第99話 夕山回想禄1
―*―*―夕山視点 ―*―*―
四月と暦の上では春も深まり、氷点下の日々が去った新学期。太陽の日差し強く暖かさは一段と増し、風が吹けば清々しく感じる日々。
雪解けが進んだ路肩には、アスファルトを押し退け顔を出すフキノトウ。これは世界が終末の日を迎える前、約一年前とまだ黒髪であった頃の物語である。
「そこっ! 反応が悪いっ! 真面目にやってるのかっ!!」
光るフローリングの床が特徴的な剣道場にて、竹刀を片手に檄を飛ばすは顧問の男性教員。体格はガッチリとした四十代で、角刈りの頭に剣道着姿の熱血漢。
指導に熱心なのは良いものの、熱さが災いし嫌っている部員も一定数。それでも成果あるため、保護者や校長から一目置かれる人物。
「それに比べて、成海! 今のは良い反応だったぞ!」
「どうも。でも、まだまだですよ」
綺麗に面が決まったところで、男性教員は必要以上に褒めていた。
しかし自己評価としては甘さあり、納得できぬ部分も多い。顧問たるこの男性教員には、実績者に甘いところがあるのだ。
「今年も勝てば、個人二連覇だからな。期待しているぞ。それに比べて山田っ! お前は何をやっとるんだ! 三年でありながら、二年に好き勝手にやられてっ! 恥ずかしいと思わんのかっ!」
反面この男性教員には、実績ない者を必要以上に叱責。貶める傾向があり、その点も部員から嫌われる要因であった。
「今のままでは、レギュラー落ちも考えないといけなくなるぞ!」
部員が成績を上げ実績を残せば、顧問である男性教員の評判が良くなり評価も上がる。
生徒のためと装い、本質は自己利益に忠実。他者の目の色を常に気にし、態度を変えるといった人物だ。
「成海の奴。また上手く取り入っているよ」
「本当。まぐれで勝っただけなのにな」
ギリギリ耳に届く範囲にて、陰口を叩く先輩たち。実績ある者を優遇。実績なき者は冷遇。極端な方針は部内に亀裂を生み、年功序列と古き考えをもつ上級生は卑屈に。
下級生で実績ある者となれば、嫉妬と不満を武器とした的。非なきことで受ける羨望の眼差しに、正直なところかなり嫌気が差していた。
「お疲れ様でした!」
「ちょっと待て! 成海!」
練習が終わり声を合わせ部員が帰って行く中で、呼び止めたのは顧問の男性教員。
「考えた結果。今年はお前を、団体のレギュラーに起用しよう思う。山田には悪いが、勝負の世界だ。努力自体は認めるが、実力主義だからな」
個人戦の全国優勝と秀でる成績を残したことで、相対的に株を上げる結果となった顧問の男性教員。
今度は団体戦でも、全国を狙いたいとの願望。尚早に思える時期でも構わず、レギュラーの打診をしてきた。
「僕は個人戦だけで十分ですよ。先輩たちは最後の年ですから、起用してあげてください」
前半は正直な気持ちの表明であるも、後半は全く思いもない建前。勝負の世界であるから、実力主義で上等。
しかしここ陵王高校の剣道部は、上級生を優先する古き慣例。熾烈なレギュラー争い中で下級生の起用など、反感を買って一悶着ありそうなもの。個人戦のみ注力していた身としては、団体戦など一ミリ足りとも興味がなかった。
「そう言うな。成海。実力を高くかっているから、こうやって打診しているんだ」
しかし男性教員に何度も懇願されては、やむなく出場を受け入れる他なかったのだ。
***
「成海の奴。団体のレギュラーに選ばれたらしいぞ」
「外されたのは山田先輩だってさ。剣道部に三年間在籍して、無遅刻で無欠席。後輩にも優しく人当たり良い人で、今年が初のレギュラーだったのに」
団体戦レギュラー決定はあっという間に広がり、今や上級生から下級生と部内外まで。妬み嫉みの感情は一段と増し、部内には不穏な空気が漂っていた。
「個人戦で全国優勝したからって、調子に乗っているんじゃねぇか。先生にかなり媚を売っているらしいし」
噂はいつの日からか、実際ないことまで大げさに。
しかし真実でなれば、相手するのも無駄。煩わしく感じることあれど、練習へ打ち込む日々が続いていた。
「おい。成海。自分をレギュラーにしてくれるよう、先生に嘆願したって言うじゃねぇか。山田は三年で、最後の年だぞ」
高圧的な態度で言うのは、剣道部に在籍する先輩の一人。わざわざ二年の教室まで訪れ、人のいない階段まで呼び出す手間。
今回のレギュラー争いとは、直接に関係ない人物。それでもある種の仲間意識というものが働いてか。いかにも自分が正しく、正当性あると思い込んでいるようだ。
「山田の頑張りは、みんなが知っている。個人戦もあることだし。成海から先生を説得してくれないか?」
一緒に訪ねてきたもう一人の先輩は、比較し穏やかな口調で言う。
昨年の結果に伴い男性教員は、過去の慣例を一蹴する傾向。今まで自分たちが乗ってきたレールが崩れては、納得していない者も多いようだ。
「その話なら僕に言わないで、直に先生へ言ってくださいよ。決定権なんて、僕にはないですからね」
しかし勝負の世界は、実力主義。この見解に異論はなく、受けたからには断る理由もない。何か異議や申し立てをしたいのならば、人を介さず勝手にやればよいだろう。
「もう先生には言ったんだよっ!! 少しは協調性を持って、年上を敬えないのかっ!?」
感情的になって言う先輩は、あくまで自分が正しいと思っているのだろう。
年上を敬え。協調性を持て。これに類似する他を強要する言葉は、合理性なく実に納得できぬ言葉だ。
ははっ。年が一つ上なだけなのに、どこを敬えと?
普通に生き尊敬の念など、そもそも簡単に抱かぬもの。それがたかが一つ年上の先輩となれば、考えるまでもない。
年が一つ上なだけで、大きな顔をする者。さらに敬えと強要する者ならば、軽蔑や侮蔑ほうが相応しいだろう。
それに協調性なんて、僕のもっとも嫌いな言葉だ。
協調性を優先すれば、個性を殺す。何事にも長所と短所があり、片面から見るだけではならない。
小学生のときにあった、合唱コンクール。歌を披露することになっては、放課後も残って練習。クラスの中心人物たちが決めたことであるも、ほとんど毎日となれば不平不満が続出した。
授業の範囲内であれば、ある程度はみなも許容するだろう。しかし放課後の時間を毎日となれば、それぞれに塾や習い事と用事があるのは必然。協調性と言われるも実際のところ強要で、クラスを瓦解させる出来事となった。
協調性なんてものは、同じ目的意識ある者で成立すること。
それに個人戦のスポーツにおいて、協調性を求めるのはナンセンスだ。
野球やサッカーなど多人数でプレイするスポーツならば、チームプレーあり協調性が大事になるのも理解できよう。
しかし剣道を含め、ボクシングや相撲なら別。あくまで個人の戦いとなれば、協調性など最初から不要である。
「僕が剣道を選んだ理由は、協調性が煩わしかったからなんだよ。野球やサッカーが上手くても、下手に足を引っ張られたら最悪。仮に勝っても、評価が曖昧なのは嫌だからね」
他人の顔色を見て競技する、全ての団体競技が嫌いだった。団体では曖昧になりそうな、成果の所存や責任の割合。個人となれば論ずるまでもなく、全て一人のものとして明々白々。
結果に対して欲しいのは、揺るがぬ正当な評価。勝ったときの充実感も、負けたときの責任も。全て自分自身のものとし受け入れ、消化できればそれで良い。
「なんだとっ!?」
「やめろ。話しても無駄だ」
先輩の一人は意見を聞いて憤慨するも、もう一方が冷静であったため制止。
しかし彼らが嘆願してきた意見は、スポーツマンシップと真逆。仲良し小好しの環境が作り出した、悪しき妄執といってよいだろう。




