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第八話 それは甘く残酷な誘惑

 


 森から出たグレンの妹を出迎えたのは赤黒い光景だった。



 本当の父親みたいに頼っていいのだと言ってくれた隣の家のおじさんが無事な箇所が見えないほどアザで埋まるまで暴行を受けて潰えていた。


 女の子なんだからもっと着飾るべきだと今彼女が着ている青を基調とした服を初めとして何着もの服をプレゼントしてくれたお姉さんが四肢を切断されて転がっていた。


 わしの村に住む者はみんな家族なんだからもっと甘えていいんじゃぞ、と頭を撫でてくれた村長が無数の剣を突き立てられて地面に縫い付けられていた。


 他にも、他にも、他にも。

 見覚えのある、大好きな人たちが赤黒く変貌していた。ついさっきまでの温かな空間は赤と黒の地獄に塗り潰されている。


 真紅の鎧の男たち。

 妹でもリアバルザ軍がこの国に攻め込んでいることは知っていたし、かの国の兵が真紅の鎧を纏っていることくらいは知っている。


 だけど、あくまでリアバルザ軍はシャルディーン軍とぶつかるだろうからこんな辺鄙な村にまでやってくることはないし、万が一遭遇しても大人しく投降すれば食料やお金は要求されるかもしれないが、素直に要求に従えばそう酷いことにはならないと兄をはじめとして村のみんなは言っていたというのに。


「う、ああ……」


 コカトリスが空を舞っている。純白のドレスの女はビクビクしながら後ろのほうを歩いており、妹の隣には茶色のポニーテールの女の子が並んでいた。


 何も言わず、ただついてきていた。


 兄は森の中に入っているようにと言っていたが、どうしても我慢できなかった。その目であの男たちの言葉が嘘であることを確認しないといけない。


 嘘に決まっている。

 決まっているのに……。


 やがて景色に変化が出てくる。

 今までは見覚えのある大好きな村の人たちだったのが、真紅の鎧を纏った男たちの死体が混ざってきたのだ。


 攻め込んできたリアバルザ兵が死んでいる。

 それは誰によって?


「そう、そうだよ……。お兄ちゃん、そうだよお兄ちゃん! あの男の言っていたことは嘘で、だってお兄ちゃんが、悪い奴らをやっつけて、だから生きているはずっ、だって、だって! 迎えにくるって約束したんだから!!」



 その先に、現実は横たわっていた。

 ずっとずっと、生まれた時からずっと一緒だった大好きなお兄ちゃんは剣を握ったままぐちゃぐちゃの肉片となって横たわっていたのだ。



「……ぅ……あ」


 目が限界まで見開かれる。

 見たくないのに、目が離せない。

 認めたくないのに、よろよろと力なく歩み寄ってしまう。


 崩れ落ちるように兄の死体のそばに座り込む。触れる。ぐちゃりと骨まで見えるほどに抉れた肉はすでに冷たくなっていた。


 温かな手で頭を撫でてくれることも、抱きしめてくれることもない。


『心配するな。お前のこと、ちゃんと迎えにいくから』


『本当……?』


『ああ約束だ。俺が嘘をついたことあるか?』


 約束は。

 もう果たされない。


「お兄ちゃんの嘘つき……。やだ、こんなのやだよっ。お兄ちゃん、こんな、お兄ちゃん!! 返事をしてよ、頭を撫でてよっ。からかってくれていいから。あたし、ちゃんとお兄ちゃんの言うこと聞く良い子になるから! なんでもする!! だから、約束したのにっ、だから、お願いだから……あたしを、一人にしないでよ……」


 縋りつく。

 もう何も言ってくれない冷たい肉塊に、妹は力の限り縋り付いて喉が張り裂けんばかりに泣き叫ぶのだった。



 ーーー☆ーーー



 そして。

 感情に体力が追いつかず、朦朧とするまで長時間泣き続けていたグレンの妹の隣にずっと無言で立っていたポニーテールの女の子はこう囁いた。


「もしもアテがないからわたしと一緒に来るっすか?」


 差し伸べられた手を。

 両親も村のみんなも兄さえも失って独りになった妹は掴むしかなかった。



 ーーー☆ーーー



 ぞっ、と王女は言いようのない悪寒に後ずさっていた。


 兄を殺された女の子に手を差し伸べる。字面だけなら善なる行いなのかもしれないが、どうにも彼女には悪魔が無垢なる魂に喰らいついているような……。


(あの時)


 王女の脳裏に浮かぶのは上空でのこと。

 あの黒髪の女の子を助ける前のことだ。


『ん? ……ふふんっす。「良さそうなの」見っけっす。ようし、コカっち急降下っすよ!!』などとポニーテールの女の子は言っていなかったか?


「……、わたくしもあの子と同じなのかもしれませんけどね」


 王女が死にたくないからと縋りついた相手。

 近衛兵や宰相を圧倒していたことからも強いことはわかっていたし、『期待』していたからこそ縋りついたのだが──こうして真紅の鎧のリアバルザ兵を複数惨殺したという結果を前にゴロツキ少女ならばなんとかしてくれるのではという『期待』が間違っていなかったことを確信していた。


 彼女もまた善性とは程遠いとわかっていて、それでも掴んだ手を離すことはできない。


「王女様。偶然だったけど適当な『戦果』が手に入った。この『戦果』と王女様の後押しで事を進めるから協力よろしく」


「よくわかりませんけど、それはわたくしが死なずに済むためには必要なのですよね?」


「うん」


 悪魔の囁きなのだろう。

 この先にはこの村に広がっている以上の鮮血と死が待っているのかもしれない。


 だけど、それだけ圧倒的な力があれば自分の命『は』守れる。


「わかりました。ベルゼさん、わたくしは何をすればいいのですか?」


 もしかしたら。

 何の抵抗もできず、リアバルザ軍への手土産として捕らえられていれば少なくともまともな人間ではいられたのだろう。自分のためなら何でも切り捨てられる、どうしようもない醜い本性を知ることはなかったはずだ。


 だからといって今更戻れるわけがない。

 死なずに済む可能性があるのならば、もう元の無力なだけの王女として殺されるなど許容できるわけがない。


 いくらだって殺してやる。

 その果てに自分だけは生き残れるのならば、悪魔にだって魂を売ってやろうではないか。



 ーーー☆ーーー



 スカーレット領の中心地、レリア。

 隣国とほど近いスカーレット領は他の領と違って軍事に力を入れており、レリアはその最たる街であった。


 領主からして前線で暴れ回るタイプであり、その下につく兵もまた好戦的な者が多かった。


 だが、先の戦において大国リアバルザが相手だったとはいえほぼ同数でぶつかり大敗した衝撃は決して小さくなく、領主にして女将軍の居城の門を守る二人の兵の顔色は暗かった。


「なあ。これからどうなるんだろうな?」


「…………、」


 先の戦ではシャルディーン軍の戦死数もそうだが、散り散りに霧散して帰って来なかった兵も多い。女将軍の配下たる第三席軍の中にも戦死ではなく逃走した者はもちろんいる。こうして居城にまで付き従った千人弱の兵は第三席軍と、将が殺されてもなお逃走しなかった他の軍の兵を寄せ集めた総数であった。


 ゆえに門番の二人も未だリアバルザ軍に故郷を明け渡すつもりはなく、しかし圧倒的な戦力差に怯えていないわけでもなかった。


「まだだ。我らが戦女神は健在なれば、必ずや勝機を切り開いてくれる。……そう信じるしかない」


 返ってきたのはどこか己に言い聞かせるような言葉だった。自身の答えに絶対の自信があればそんな声音にはならないだろうに。


 と、その時だ。

 上空よりある種の力の波動を感じた二人の兵士はバッと顔を上げて──瞬間、四足歩行の巨躯が目の前に降り立った。


「なっ!?」


「コカトリスだと!?」


 咄嗟に手にしていた槍を構える門番たちだが、鎧を着込んでいようがお構いなしに人間を砕く膂力や肉や骨を溶かす毒のブレスを放つようなA級魔獣に対抗できると思うほどの実力があるとは思っていなかった。


 それでもせめて足止めと魔獣を襲撃を知らせるくらいはと口を開いたところで──



「待ってください! わたくしたちは敵ではありません!!」



 その声に門番たちは視線を上げる。

 コカトリスの背に四人ほどの人間が乗っており、そのうちの一人が声をかけてきたのだ。


 純白のドレス姿の彼女。

 お飾りだからこそ、人気取りのための『顔』として民衆の前に出ることが多い王族の一角。


 彼女のことは国境近くの領に住む彼らも知っていた。


「おっ王女様!? どうしてこのようなところに!?」


 いかに一部からはお飾り王女などと揶揄されているとはいえれっきとした王族である。平民の門番たちでは言葉を交わす機会があるなどと想像すらしておらず、頭の中が真っ白になっていたのもそう不思議ではない。


 だからこそ、次の言葉をそのまま受け止めたのだろう。


「シャルディーン最大の危機を貴方たちと共に乗り越えるため、それ以上の理由が必要でして?」


 ……注意深く見ていれば、勇ましい台詞とは裏腹に王女の頬が引き攣っていることに気づけただろうが。

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