第六話 例え勝ち目がないとわかっていても
妹のことは己の命よりも大事だ。
だが、両親のいない自分たちを村のみんなは親身になって助けてくれた。
だから、仕方ない。
どれだけ無謀でも、グレンにはこの道を選ぶ以外考えられなかった。
遠くからでも確認できるほどに巨大な炎に向けて駆け込んだ彼を出迎えたのは燃え盛る炎に呑まれて誰かもわからなくなった複数の死体だった。
小さな村には似つかない真紅の鎧の兵が三十人ほど。彼らの内の誰かが炎の魔法で村人を焼き殺したのだろう。
真紅の鎧、つまりはリアバルザの兵士が、だ。
妹と同じ黒髪をくしゃりと掻きむしり、彼は大きく息を吐く。感情的になりそうなところを寸前で抑え込む。今はダメだ。どれだけ辛くとも、ここで冷静さを失っては救えるものも救えなくなる。
両親の死後、もっと自分たちを頼っていいのだと豪快に笑いながら背中を叩いてくれた隣の家のおばさんが斬り殺される。
おすそ分けだと自分たちも決して裕福ではないはずなのに色んな作物をくれる農家の男が槍に貫かれた。
グレンと同じく小型の魔獣を狩ることで村の平和を守ってきた青年が土の塊で押し潰された。
他にも、みんなが、殺されていく。
何が楽しいのかリアバルザ兵はゲラゲラと笑っていた。笑いながら、殺していた。
敵は魔法を使えるような実力者だ。時間を稼ぐにしても準備を整えた上で冷静に対処しなければ勝ち目は──
「ふざっけんなッッッ!!!!」
我慢なんてできるものか。
冷静になどなれるわけがない。
腰の剣を引き抜いた彼は今まさに幼馴染みの女に手を伸ばそうとしていたリアバルザ兵へと斬りかかった。
小型の魔獣程度なら何度も斬り殺したことはあったが、やはり護身術の域を出ていなかったのか、リアバルザ兵の腕の一振りから吹き荒れた暴風によって刃が届く前に吹き飛ばされていた。
だけど。
だけど、だ!!
「グレン、くん!?」
「逃げろッ!!」
地面を転がりながらも彼は最も大事なものを見失うことはなかった。こんな状況でもグレンのほうへ駆け寄ってきた幼馴染みへと叫ぶ。
「ここは俺が何とかする。だからみんなと一緒に早く逃げるんだ!!」
「ばかっ! 何を言って……っ!!」
「いいから、頼むから早く逃げてくれっ。お前には死んでほしくないんだ!!」
「グレンくんっ! そんなの私も一緒だよっ!!」
なおも足を止めて何か言おうとした幼馴染みへと彼女の両親が駆け寄る。母親が一瞬グレンへと視線を向けて、小さく『ごめんなさい』と呟いた。
もちろん薄情などと思うことはなかった。
安堵さえしていたくらいだ。
「へっ。謝らないでくださいよ。全部俺が好きで選んだ道なんですから」
「グレンくんっ。だめだよっ。そんなの絶対だめなんだ──」
ドスンッ!! とグレンの拳が幼馴染みの腹部に突き刺さる。意識を失う。ぐったりとした彼女をどこか迷った様子の父親が抱き止めた。
父親が自分もと言いかけたところでグレンは『誰がそいつを運ぶんですか?』と言葉をかける。
父親は顔を歪め、それでも最後は頭を下げてから娘を担ぎ、母親と共に走っていった。
グレンは一つ息を吐き、暴風を放った後は何もせずにニタニタと笑ってこちらを見ていたリアバルザ兵と向かい合う。
足りない。
一人を足止めしたって意味はない。
だから。
だから。
だから。
「雑魚狩りは楽しいかよ、腰抜け共があ!!」
叫ぶ。
その叫びに周囲のリアバルザ兵の注目が集まる。
「いきなり襲ってきたかと思えば武器も持ってない相手を殺して回ってよ。なんだなんだ? てめえら天下のリアバルザ兵なんだろうがっ。それが無抵抗の人間に手を出すしか能がないだなんて情けないにもほどがあるってんだ!!」
一人でも多く自分へと引き寄せれば、その分だけ多くの村人が逃げられる可能性を高めることができる。
「俺が相手してやる」
当然のことだが、リアバルザ兵は彼よりも強い。グレンという青年は傭兵や冒険者にも満たない、護身術程度の技術しか持たないのだから、リアバルザ兵と真っ向からやり合えば確実に殺される。
わかっていて、彼は選択する。
両親の死後、本当の家族のように自分たち兄妹を大切にしてくれた村のみんなを、私は貴方のことが好きだと言ってくれた幼馴染みを、そして兄にして親代わりとして元気に育ててみせると誓った妹を守るために。
「死にたい奴からかかってこい!!」
ーーー☆ーーー
上空数百メートルでのことだ。
凄まじい速度を叩き出すもふもふ羽毛のコカトリスから落ちないように必死にしがみつく王女が泣き叫んでいた。
「ベルゼさん! 少々速くないですかぁ!?」
「そう?」
「コカっちいけいけっす!」
もふもふ羽毛に恥も外聞も投げ捨てて両手両足でぎゅうぎゅう抱きついている王女と違ってゴロツキ少女やポニーテールの女の子は地上を眺める余裕すら見せていた。
と、何かを見つけたゴロツキ少女が無表情のままこう言った。
「ちょっと離れるわ。大丈夫だとは思うけど、何かあったら私のことを『奪って』ね、マイ」
「へ? ちょっ、まっ、ベルゼさあーん!?」
まさかのダイブであった。
上空数百メートルから単身飛び降りたゴロツキ少女に王女が目を見開くが、その時にはもう金髪赤目の女はぐんぐんと落下していた。
何をやっているのだと唖然としていた王女は、ふと気づく。
「あの、質問があるのですが……ええと」
「あ、マイっすよ、王女さま」
「えっと、では、マイさん。コカトリスはベルゼさんに屈したから言うことを聞いているのですよね?」
「そうっすね」
「それではベルゼさんがいなくなれば元の獰猛さを取り戻すのではないですか!? いやあ!! こんな空高くでコカトリスに暴れられたら確実に殺されるではないですかーっ!! わたくしを助けると約束したはずではないですかベルゼさーん!!」
「ん? ……ふふんっす。良さそうなの見っけっす。ようし、コカっち急降下っすよ!!」
「あれ? 無視ですか??? いやそれよりもベルゼさんがいないのに言うこと聞くわけが……うっきゃあ!?」
ぐんっ、とコカトリスの巨躯が地上に向けて急降下する。うぎゃぎゃーっ! という元気な鳴き声と共にポニーテールの女の子の指示に従う形で。
ーーー☆ーーー
『半人前』だとしてシャルディーンの相手を任せられることになったリアバルザ兵は当初憤りを感じていた。
普通の国であれば彼らの実力は高く評価されているはずだからだ。
だが、その憤りもシャルディーン軍を殲滅し、こうして残党への追撃を仕掛けている最中には消え去っていた。
残党に合わせた千人の『半人前』へと、正規兵であり追撃部隊の隊長を任せられたゴードンはこう言ったものだ。
喜べ。手付かずの領土をお前たちが好きにできるんだぞ、と。
ゆえに千人規模の追撃部隊は真っ直ぐにシャルディーン軍残党を狙わず、兵力を分散して周辺の村を襲っていた。残党が動くまでという期間限定なれど、文字通り『好き』にしていいという。
金も食も女も思いのまま。
どれだけ奪い、喰らい、殺したってお咎めはない。いいや、むしろリアバルザ国王自らが推奨しているというのだ。
憤りなど消え去るに決まっていた。
欲望の炎が『半人前』のリアバルザ兵を炙り尽くしていた。
だから、それは当然の結果だったのだろう。
だんっ!! と上空数百メートルから降り立ったゴロツキ少女の目の前に広がっていたのは赤黒い『残骸』だった。
彼女が着地した近くに剣を握った黒髪の青年の死体が転がっているくらいであった。それくらい、小さな村は死体で埋め尽くされているということだ。
百人は殺さないとこれほどの死臭は漂わないだろう。少なくとも上から確認した限りでは生きているのは真紅の鎧のリアバルザ兵だけだった。
数百メートルもの高さから飛び降りても傷一つないゴロツキ少女は、しかしこの程度で表情を動かすことはなかった。
「なんだ、こいつ上から──」
「とりあえず死んでおいて」
先程まで黒髪の青年に見せつけるように仲の良さそうだった女を嬲り殺していたリアバルザ兵は自分が何をされたのか、最期まで理解してはいなかっただろう。
言葉にすれば単純なものだった。
腰に差したボロボロの長剣を抜き、リアバルザ兵の首を刈り取っただけだ。
だが、周囲のリアバルザ兵たちさえも結果しか視認できておらず、先ほどまで楽しそうにしていた兵士の頭が地面に落ちて鮮血が噴き出すまでぼけっと突っ立っているだけだった。
いかに『半人前』とはいえ天下のリアバルザ兵であることに違いはない。即座に思考を切り替え、近くの二人のリアバルザ兵が左右からゴロツキ少女に襲いかかり、少し離れたところに立っている兵は炎魔法でもって援護しようとしたのだが、
「遅い」
ザザンッ!! と刃が霞み、ゴロツキ少女に襲いかかった二人のリアバルザ兵はまとめて胴体を輪切りにされ、遅れて着弾した炎魔法は下から上に振り上げられたゴロツキ少女の蹴りによって真っ二つに引き裂かれた。
ゴッア!! と左右に分かれた炎はそのまま後方の民家に直撃、燃やすというよりはぶち抜くといった形で貫き、瞬く間に燃やし尽くしていった。
「嘘だろっ。鉄さえも溶かす炎だぞ!!」
「だから?」
言下にゴロツキ少女が突っ込む。
顔に驚愕の表情を貼り付けた炎魔法の使い手を雑草か何かのように軽々と斬り捨てる。