第十五話 憎悪が霞むほどに
隣国との国境線に接するスカーレット領の中心地であるレリアへと迫るは砦の部隊と先んじて追撃を仕掛けていた部隊が合流した九千五百のリアバルザ軍であった。
未だレリアには届かずとも、その侵攻ルートに沿う形で多くの村が略奪や殺戮に晒されているのが現状である。
……なぜか最短距離を無視して、そう、わざと遅らせるついでに略奪や殺戮を行いながらの進軍である印象を受ける。
リアバルザ軍の動きを探っていた部下からの報告を受けたグリュンメルトの限界はとっくに超えていた。
「準備は?」
「軍としての準備は終わっているよう! だけどお、肝心のりーだーがまだ帰ってきていないんだよねえ」
「……お連れのマイとやらはなんと?」
「そっちに指示がなかったってことはどう動いても構わないってことっすだってえ。……今はそれでいいっすからね、なんて意味深に付け加えていたけどお」
「ならお言葉に甘えて好きにさせてもらうとするですわよ」
もしかしたらベルゼはグリュンメルトが我慢の限界から動くことも予期していたのかもしれない。
その予測が合っていても間違っていても、グリュンメルトが意思を変えることはなかったが。
「侵攻中のリアバルザ軍へとこちらから仕掛けるですわよ!! 例え勝ち目がないとしても、これ以上民が殺されるのを黙ってみていられるわけないですわよ!!」
「りょーかいだよう!!」
それはベルゼが立ち去った翌日のことだった。
ともすれば考えるよりも行動する性質のグリュンメルトが一日待てたのが奇跡と言えるだろう。
ちなみに、その決定に王女が悲痛な叫びを漏らしたのは言うまでもない。
「あ、そうですわよ。あの方の不在に関してですが」
「しょーぐんの命令通り外に漏れないよう他の兵には隠しているよう!!」
「ならいいですわよ。……あの方が何を狙っているにしても情報が出回るのを防いでおいて損はないですからね」
ーーー☆ーーー
シャルディーン軍出陣の報はグリュンメルトの居城を監視していたリアバルザ兵の間諜より迅速に本隊へともたらされた。
総司令官であるドラガーナの副官にしてレリアに向けて侵攻している九千五百の軍を束ねる男は呆れたように首を横に振る。
「スキル使いがいればこれほどの兵数差も覆せるとでも思ったか? どこまでいっても小国の軍だな」
「どうします?」
「決まっている。全軍でもって蹂躙してくれようぞ」
「どっドラガーナ様が合流するまで待っているようにという命令であったはずですがっ」
「もちろん命令は絶対だ。だが、向こうから仕掛けてきたのならば対応しなければならないのも確かだろう?」
「そ、そうですよね……」
副官の男はドラガーナの部下ではあるが、彼が仕えているのはあくまでリアバルザという国家である。
立場上、表立ってドラガーナに逆らうことはないが、だからといってドラガーナのくだらない命令に無理して付き合うこともない。
戦況に影響しないならまだしも、この状況で軍を退かせてまでドラガーナとの合流を優先する義理はない。
(大方ドラガーナ自身の手でスキル使いを殺してレベルアップしたいのだろうが、そんなもの知ったことか。来るなら来い、シャルディーン軍。返り討ちにしてくれようぞ)
ーーー☆ーーー
「らん、らん、らんららんーっす!」
進軍中のシャルディーン軍でのことだ。
第三席軍であることを示す紅の布地に剣と槍の十字を背にした大鷲の軍旗が靡く軍勢の中であってポニーテールの女の子は目立ちに目立っていた。
何せ特に武装することなく軍の先頭、それもメイド服に着替えさせた黒髪の女の子を抱く形で軍馬に跨っているのだから。
周囲から不審な目で見られていても彼女は特に気にした様子はなかった。流石に黒髪の女の子は不快そうに身じろぎしていたが。
「別についてこなくても良かったんすよ?」
「残っても、もう、あたしには居場所はないから。それなら貴女のそばで一人でも多くのリアバルザ兵が死ぬのを見てやりたい」
「そーゆーもんすかね」
ドロドロとした憎悪が滲む声音で吐き捨てる黒髪の女の子。
普通の人間であれば相応の対応というものがあったのかもしれない。だが悪意に魂を侵食されているマイにはいまいち『普通』というものが理解できなかった。
ゆえに懐いているなら利用しやすいので良し、と結論づけたのだ。
「それよりなんで憎悪の対象がシャルディーンの兵にも向かっているんすか? 村の人たちを殺したのはリアバルザの兵だったはずっすけど」
「……こいつらは守ってくれなかった」
ギリッ、と。
血が滲むほどに歯を食いしばる黒髪の女の子は吐き出す。
「みんなを守ってくれなかっただけならまだいい。だけど! そんな奴らが他の村の人たちを守るために戦うんだって意気込んでいるのが気に入らないのよっ!! みんなは、お兄ちゃんのことは見捨てたくせに今さら正義の味方ぶってんじゃない!!」
その叫びにマイは小首を傾げる。
理解はできなかったが、ポニーテールを揺らす女の子は思うがままにこう返した。
「ならこいつらのこともぶっ殺すっすか?」
「……、え?」
「別にわたしはそれでもいいっすよ。ご主人さまには怒られそうっすけど、最悪王女さまさえ残しておけば小言で済むだろうっすしね」
「いやっ、それは、そんなつもりじゃ……っ!! 」
「ん? 気に入らない奴が死ぬのが喜ばしいって感じじゃなかったっすかね??? まー気が変わったら言うことっす。殺し自体を目的に運動するのは嫌いっすけど、他の目的のために殺しという手段を持ち出すことに関しては別に嫌いじゃないっすから」
「……一ついいかな? どうしてそこまでしてくれるの?」
問いに。
マイはニコニコと本当に楽しそうにこう答えた。
「自分の物を大切にするのは普通じゃないっすか?」
ーーー☆ーーー
その頃、出陣前に『グリュンメルトや勝算度外視の兵という暑苦しいくらい正義感のある抑止力が出ている以上、城に残るのは危険すよ? 何せ王都の時のようにシャルディーン内の裏切り者によってリアバルザ軍への手土産にされるかもっすからね』とマイに囁かれた王女が軍の中心でガクガク震えていた。
マイ曰く軍に守られている状態が安全らしい。正確には王女を差し出して自分だけは生き残りたい連中は無謀な特攻仕掛ける軍に近づくことはないから安全という暴論だったりする。
(確かにシャルディーン内の裏切り者に狙われることはないかもしれませんけど、このままでは無謀な特攻と共に殺されるだけではありませんか!? ううっ、あんな言葉に乗らなければよかったかもしれません!!)
とはいえ、それだけではシャルディーン軍への同行を決める決定打にはならなかっただろう。
『それに何よりご主人さまのそばが一番安全だし、やっぱりついてきたほうがいいっすよ』と締めくくられては縋りつくしか選択肢はなかった。
(マイさんのあの言葉、近々ベルゼさんがこちらに合流するということですよね? 信じていいんですよね? ね、ねっ!?)
もう完全に自分の身の安全しか考えていない王女が乗る馬車の隣に並走するグリュンメルトは見直したように口元を緩めていた。
「王女様」
「はっはい!?」
「どうやら我は貴女のことを誤解していたようですわね。王族として侵略者からこの国を守るために死を恐れず立ち向かうと選んだこと、我は尊敬するですわよ」
「え、えっと……へ、えへへ」
何やら誤解されていたが、王女は特に訂正することなく愛想笑いを浮かべていた。
(ベルゼさあーん!! 本当に早く帰ってきてくださいね!? そうでないと悲劇の勇者ぶった特攻に付き合わされてわたくし死んじゃいますよお!!)
死ぬならわたくしを巻き込まず貴女たちだけで死んでおいてください!! と喉元まで出かかったが、その辺りはお飾りとして過ごしてきた経験でもって軽やかに流すのだった。