第十四話 反撃への火種
翌日。
ベルゼの『伝言』は隣国メディの首都を占拠していたリアバルザ軍の東部侵攻軍総司令官ドラガーナ=サーチフォールドにも届いていた。
「──以上のことから砦に駐留している八千五百と追撃部隊の千とを合わせた九千五百の兵でもって迅速にシャルディーン軍を討伐するとのこと。当初予定していた『訓練』を中止することを許して欲しいとのことです」
ベルゼが残した『伝言』を、そしてスキル使いによるものだろう漆黒の力がもたらした惨殺を聞いたドラガーナは二メートルを超える巨躯を歓喜に震わせていた。
「スキル使い……。ははっ、はははは!! そうかそうか、シャルディーン軍はスキル使いなんてものを持ち出したのかっ!!」
「ドラガーナ様?」
ドラガーナ=サーチフォールドが中将と呼ばれるのを極端に嫌う、というのはリアバルザ軍では有名な話であった。
リアバルザ軍に所属するスキル使いの中で彼だけが大将ではなく中将であるというのがコンプレックスであるのは想像に難くない。
だからこそ、だろう。
東部侵攻軍総司令官ドラガーナ=サーチフォールドは咥えていた葉巻を吐き捨て、踏み潰しながら立ち上がり、こう告げたのだ。
「俺様もいくらか兵を連れて合流する。それまでは待機しているよう伝えておけ」
「ドラガーナ様がですか!? いえ、ですが、いかにスキル使いといえどもこれまで埋もれていたレベルであり、なおかつ我が軍との兵数に七千以上の差があればいずれは力を使い尽くして潰えるのは目に見えて──」
「貴様の意見は聞いていない! いいから命じられるままに動くがいい!!」
「は、ははっ!!」
報告をもたらした兵が泡を食ったように立ち去るのを確認して、ドラガーナは心のうちに広がる期待にくつくつと肩を跳ね上げていた。
(スキル使いをスキル使いが殺せば、元々宿しているスキルの威力が増す。とはいえスキル使い自体が希少であり、滅多に殺し合う機会なぞないものだが、ははっ!! よもや勝敗が決しているつまらない戦争でこのような好機が湧いてくるとは!!)
リアバルザ軍が誇る五人の大将。
いくら戦果を残そうが、同じスキル使いであるドラガーナがその枠に入ることはなかった。
だが、それも今日まで。
シャルディーン軍のスキル使いを踏み台に自身のスキルを底上げし、文句のつけようがないほどの絶対的な力を獲得すればこれまでふんぞり返ってきた五人の大将を超えることも──何なら殺すことだってできるかもしれない。
(ベルゼとやら。精々俺様の躍進の踏み台になるがいい!!)
ーーー☆ーーー
「──みたいっす!!」
「そう。だったら予定通りにいくとしようか」
ーーー☆ーーー
「たったたっ大変ですよマイさあん!?」
居城の朝に王女の素っ頓狂な声が響いていた。
ベルゼの連れだからと貴族用の豪華な客室を与えられたポニーテールの女の子・マイはどこに隠し持っていたのかメイド服を黒髪の女の子に着せながら、面倒そうに扉を蹴破るような勢いで部屋に飛び込んできた王女に視線を向ける。
「なんすか王女さまー」
「なんすか、じゃないんですよっ。ベルゼさん、ベルゼさんがどこにもいないんです!!」
「そりゃーご主人さまは出かけていったから当たり前っすよ」
…………。
…………。
…………。
「なんですってえ!?」
「もーう、うるさいっすよ王女さま」
「だって、そんな、リアバルザ軍を殺し尽くすという話はどこにいったんですか!? まさか一人で逃げたのでは──」
「それはないっすね」
飄々と。
笑顔を浮かべながらも、瞳だけは温度を失ったように冷徹に固めてマイは言う。
「あのご主人さまが一度交わした約束を反故にするわけないっす。暴食のままにこの世全てを喰らい尽くすことを否定したんすよ? それほどにはこの世界の何かに価値を見出したってことなんすから。というか、王女さまを助けたくなかったらコソコソ逃げ出すようなことはせずに、約束だろうが何だろうがどうでも良さそうに切り捨てて立ち去っているっすよ」
「確かにあのベルゼさんならコソコソ逃げるようなことはしないとは思いますけど……」
「だったら信じて待つことっすね。大丈夫、あのご主人さまが貴女の味方なんすから全部任せておけば万事解決っすよ」
「そう、ですね。そもそもわたくしにはそうするしかないんですからっ!!」
もう明らかに無理矢理搾り出した声だった。
それでいてその言葉が現状を示しているのも理解していた。
ゆえにベルゼがいなくなったこと『は』受け入れられた。
ただし、
「それはそうと、先程マイさんが言っていた……」
「ん? なんすか???」
マイの発言に不穏なものを感じていた。
現状、すなわち直近に迫ったリアバルザ軍という危機に対して……ではない。
暴食。
その言葉が示しているのは──
「いえ、なんでもありません」
「そうっすか」
聞けば簡単に答えてくれそうではあった。
ただし興味本位で暴いたその先に待っているものが軽々と受け止めることができるものであるとは限らない。
(単なるたとえ話……ですよね?)
もしもそうでないとすれば。
いいや、あり得ない。
遥か過去に勃発した『大戦』は単なる歴史の一部。そんなものに関わる脅威が現在にまで顔を出しているわけがない。
ーーー☆ーーー
シャルディーンの隣に接するメディという国には慈悲深き王とまで讃えられるソージア王をはじめとして身分に関係なく政務においては優秀な人材が揃っていた。少なくともシャルディーンのように貴族贔屓で国家上層部が固まっていることはなかった。
とはいえソージア王は争いを好まず、外交においてもまず話し合いで解決するべきだと主張するような男だった。
その優しさは、いいや甘さはリアバルザ軍が侵攻してきた時でさえも失われず、二万対二万の軍勢が向かい合った状況でさえも話し合いを望み──応じたように見せかけて単騎で前に出たドラガーナ=サーチフォールドによって斬り殺されることとなった。
王を失ったメディ軍はそのままリアバルザ軍の猛攻に崩れ、壊滅。メディは数日のうちにリアバルザ軍によって占領された。
メディの民は正規軍の振る舞いとは思えないほど略奪や殺戮を繰り返すリアバルザ軍に怯える日々を送っている。
「我が国を占領して一週間で全体の半数をシャルディーンに差し向け、リアバルザ軍は勝利した。つまりシャルディーンが落ちるのも時間の問題ってわけだ」
「未だグリュンメルト将軍率いる第三席軍は残っているみたいだが」
「だからどうしたっ。たかが千人程度の残党が残っていようとも蹴散らされて終わりだ! 俺たちのようにな!!」
田舎町の酒場でのことだ。
正確には酒場に偽造した隠れ屋の一つに集まった数十人の男たちが言葉を交わしていた。
薄汚れた様は盗賊か何かのようにも見えるが普段の鎧を脱ぎ捨てて目立たないようにしている彼らは全員が『騎士』である。
国王直属騎士団『ホワイトライガー』。
国の紋章を左胸に刻んだ白銀の鎧、つまりは国王直属騎士団としての誇りを脱ぎ捨ててでも生き残ることを優先した彼らの目的はただ一つ。
優しく、ゆえに死んでしまった王の敵討ちである。
「そんなことはわかっているっ。だが、だとしてもっ、ドラガーナだけは俺たちの手で殺さないと死んでも死にきれないというものだ!!」
「リアバルザ軍は今もなお我が国の民を殺してゲラゲラ笑っているっ。あのような暴虐、許してなるものか!!」
「気持ちはわかる。だが現実問題、どうする? シャルディーンを攻めている間でさえドラガーナが潜む首都には五千もの兵が残っていて、別の五千の兵を我が国を蝕むようにばら撒き、しかもシャルディーン侵攻さえも同時進行で行うくらいリアバルザ軍には余裕があるんだぞ!?」
「それは……」
話し合い、といえば聞こえはいいが、建設的な意見など出てくることはない。話題が停滞するくらい打つ手がないということだ。
と、その時だ。
勢いよく扉を開けて一人の女が隠れ屋に入ってきた。
白いマントで全身を隠してはいるが、その奥から誰が苦言を呈しても決して脱ぐことはなかった白銀の鎧が覗いている。
腰まで伸びた深緑の髪に特徴的なとんがった耳、何より彼女の年齢は軽く百歳を超えているというのに見た目は十代の美しき乙女であることがその正体を示していた。
長寿種族、その一角。
すなわちエルフの女である。
「皆の者、朗報である!!」
四十になろうかといった歳でこの世を去ったメディ国王の剣術指南役を務めていたこともある彼女こそ国王直属騎士団『ホワイトライガー』の騎士団長にしてメディ最強の女騎士・ルリアであった。
彼女は満面の笑みに息子同然だったメディ国王を殺された憎悪を滲ませて、こう続けた。
「ドラガーナのクソ野郎が首都より出てきよった!! しかも直属の手勢を五百ほど連れてである!! 今なら憎きドラガーナを殺せるであるぞ!!」