第十二話 ご馳走を誘うための撒き餌
追撃部隊の本隊はグリュンメルトの居城があるレリアへと続く街道近くの平原に展開されていた。周辺の村々に合計で三百ほどの兵を放っているので本隊の総数は七百。それだけでも万が一シャルディーン軍が動き出したとしても余裕をもって迎撃できるだけの力の差があると考えているからだ。
追撃部隊隊長ゴードンは天幕で部下からの報告に眉を顰めた。
「未帰還の兵がいるだと?」
「はっ! 森の先にある小さな村に攻め込んだ三十三名、そして別の村に攻め込んだ二十五名の兵が定刻になっても戻らないのです」
「シャルディーン軍が動いている様子はないし、大方ハメを外しているだけだろう。そこら辺が『半人前』たる証拠なのだがな。良い、放っておけ」
「よろしいのですか?」
「シャルディーン軍相手に真面目に戦をすることもあるまい」
彼がそう吐き捨てた時だった。
失礼しますっ、と焦った様子の別の部下が天幕に飛び込むように入ってきたのだ。
「ゴードン様、大変ですっ!」
「そんなに慌てて何があった?」
「それが、その、言葉にするのが難しいのですが……とにかく実際に見ていただいたほうが早いかと思います。どうぞこちらへ!」
「なんだと言うのだ」
部下についていき、外に出たゴードンは『それ』を目撃する。
四肢を切断され、断面がどす黒い粒子で覆われて出血の一つもなく、それでも未だ息をしているリアバルザ兵を。
「なんだ……これは?」
リアバルザ軍の正規兵として殺しに慣れているはずのゴードンですら悪趣味な有様に目眩を覚えていた。
「それが、気がつけばここに転がっていたのだと。確か未帰還だった二十五名の襲撃部隊の一人ですよ、彼は」
と、四肢を失った兵の恐怖に歪んだ瞳がゴードンに向き、安堵したように緩んだ。
「ほう、こく……します。ちまちま、遊んでないで、さっさと『全軍』でかかってこい。……シャルディーン軍を指揮するベルゼからの、伝言……確かにお伝えしました」
「ベルゼ? 残っている将軍はグリュンメルトだけのはず。ならば残党を指揮しているのもグリュンメルトのはずで、そのような無名の奴が出てくるわけがな──」
ゴードンがそう言いかけるが、そこで四肢の断面を覆うどす黒い粒子がずるずるずるう!! と急激に動き出し、断面から全身を埋めるように侵食を始めたのだ。
「やった、これで、これでえ! もう死ねるんだあ!!」
狂ったように叫ぶ兵の顔も粒子に覆われたかと思えば、ぱんっと粒子が霧散した。そこにはすでに兵の姿は失われていた。そう、肉片どころか血痕さえも残らず『消えた』のだ。
ごくり、とゴードンの喉が鳴る。
不気味に何もなくなった場所を見つめ、知らず知らずのうちにその口から嘆きが漏れていた。
「まさかスキルか……? だが先の戦であそこまでの大敗を喫したシャルディーン軍にスキル使いが与しているなどあり得ない!! なんだ? 一体何が起こっている!?」
ーーー☆ーーー
四肢を失った兵がどす黒い粒子に呑み込まれる数時間前。
グリュンメルト=スカーレットを殴り倒したベルゼは一息入れることさえなくスカーレット領のある村に向かっていた。
上空を飛ぶコカトリスの背中にはベルゼ、マイ、黒髪の女の子、王女と一兵卒の少女が乗っていた。
マイに関してはポニーテールを揺らしながら率先してついてきており、黒髪の女の子はマイについてきた形だ。
王女は当初居城に残るつもりだったのだが、ベルゼ不在の際にリアバルザ軍が攻めてきたらと思い、半ば縋りつくようについてきた形である。
そして、一兵卒の少女はというと、
「そちらのマイだっけえ? どうやって情報を仕入れたのか知らないけどお、彼女が言うには一つだけ助けが間に合いそうな村があるとかあ」
ベルゼたちがコカトリスを使役しているという事実に驚いてはいても顔には出さず、あくまで戯けたように一兵卒の少女は言う。
「だから助けるってのは気持ちとしては理解できるけどお、局所的な勝利を収めてもリアバルザ軍を完全に退けることができなければ結果は同じになるわよお。その辺どう考えているわけえ、しょーぐん?」
「将軍? ……ああ、別に将軍の座までグリュンメルトから奪ったわけじゃない。あくまで軍の指揮権をもらっただけだから将軍だなんて呼ぶ必要はないわ。ほら、小難しいお仕事まで押し付けられても面倒だしね」
「ふうん。それじゃあ、りーだー。村を救うのはりーだーの力があれば簡単だろうけどお、スカーレット領に攻め込んできている千人規模のリアバルザ軍はどうやって退けるつもりい?」
「スカーレット領内に千人の敵兵がいて、シャルディーン国境近くの砦に残りの敵兵がいるんだったっけ。面倒だからまとめて殺すつもりよ」
「へえ。……ん? まとめてだってえ!?」
平坦な声音で言うものだから、聞き流すところだった。敵が油断から兵力を分断している今が絶好の好機であるというのにベルゼはあえてまとめて相手にするつもりのようだ。
兵数だけの単純計算でも九から十倍、力量を考慮すればそれ以上の戦力差があるのだ。いかにグリュンメルトに勝利するだけの力を持つベルゼが加わったとはいってもこれだけの戦力差をひっくり返せるとは到底思えない。
とはいえ、代案がないのも事実。
玉砕覚悟の特攻くらいしか選択肢はなく、それでもこの国に住む民を救う道を諦めたくなかったからこそ今日まで踏みとどまってきたのだ。ほんの僅かでも、そう、そこまで平然と言い切るだけの勝算に賭けるのもアリだろう。
ーーー☆ーーー
本陣から遠く離れた村を目指して馬を駆る二十五名のリアバルザ兵はほとんどが『半人前』で構成されていたが、一人正規兵の男が含まれていた。
暴風の殺人鬼としてリアバルザが征服する前の大陸中原のある国を騒がせていた男であり、リアバルザがある国を征服した後は『好きに殺していいならお前らに従ってやる』と軍に加わった経緯がある。
戦争の行方などどうでもいい。
彼にとって好きに殺せるのならば他はどうでもよく、ゆえに正規兵でありながら周辺の村の殲滅という作戦にも無理矢理参加しているのだ。
先頭を駆ける彼から『半人前』の兵たちは距離をとっていた。素行の悪さは有名であり、ともすれば味方であっても殺しにくることだってあり得るのだから。
そこまで人間性に問題があっても正規兵となれるほどにリアバルザ軍は完全実力主義、というか実力しか見ていない。……ともすれば略奪や殺人『が』目的なのではと思うほどに軍の性質そのものが歪んでいた。
だから。
だから。
だから。
だんっ!! と真正面に降り立った女を見て、驚くことなく一言さえ漏らさずにてゴッ!! と烈風を纏う槍を突き出した暴風の殺人鬼が槍や馬ごといとも簡単に両断されるとは誰も想像すらしていなかった。
縦に一閃。
綺麗に切り分けられた肉塊が彼女を避けるように倒れる。噴き出した赤黒い液体を浴びる少女はその手に握る長剣をだらっと下げていた。
そのまま前へ。
勢いを殺せず、彼女に突っ込む形となったリアバルザ兵へと飛びかかり、その首を斬り捨てる。
「なっなんだ!?」
「伝言役には一人生かしていればいいし、後は殺そうか」
言下に彼女は跳躍。リアバルザ兵が剣や槍を向けようとも、魔法で応戦しようとも関係なく、軽々と両断して数を減らしていく。
そして、言葉通りに一人だけ残ったリアバルザ兵へと切っ先を向ける。同じ『半人前』扱いの兵はともかく、暴風の殺人鬼として悪名を轟かせていた正規兵すらも手も足も出なかったのが決定打となったのだろう。すでに戦意を消失している彼は両手を挙げて抵抗の意思はないことを示す。
そんな彼の近くには大きく膨らんだ布袋が落ちていた。情報通のマイからすでに話は聞いているので、それが他の村を襲って手に入れた戦利品だと理解できた。
「たったすっ、助けて……」
「ふざけるな!!!!」
それはベルゼではなく、後ろに降り立ったコカトリスに乗った黒髪の女の子のものだった。かつては無垢な瞳をしていたのかもしれないが、今の彼女の瞳は憎悪で濁りきっていた。
「お前たちも一緒のくせに!! 村のみんなやお兄ちゃんを殺したように好き勝手やったくせに!! 助けてなんて許されるわけない……。リアバルザの兵士は!! 一人残らず死んでしまえ!!!!」
「ってわけでご主人さま、よろしくっす」
「うん。伝言さえ頼めるなら後はどうでもいいし、貴方のことも殺すから」
「ひ、ぁ……まって、待って待って!! 殺してしまったら伝言も何も──」
ぐじゅっ、と。
痛みもなく右腕が崩れ落ちた。
「え、は?」
ぐじゅべぢゅ、と蠢くのはどす黒い粒子。無数の蝿が這い回るようにどす黒い粒子が次から次に殺到して兵の四肢を覆っていったのだ。
「ああ!? はぁあああああああああ!?」
腐るように喰われる。気がつけば肩や股関節から先が消失しており、断面をどす黒い粒子で覆われていた。
痛みも出血はなく、ただ失われる。
人間として当然の機能を喰われる。そのあまりにも異常な体験に兵の心はとっくに限界を迎えていた。
「あ、あひっ、あうあ……」
「伝言をきちんと果たせたら殺してあげる。だけどそれさえもできないなら」
ずっ、と断面から飛び散った粒子が兵の耳に入る。じゅるじゅると蠢くその音は果たして何が喰われている音だ?
「できるようになるまで脅すしかないわ。痛覚を喰って施した『鎮痛』を脅しのために解除されたくなかったらきちんと伝言役を全うして死ぬように」
そうしてベルゼは伝言を四肢を失った兵に託し、リアバルザ軍の追撃部隊の遥か上空までコカトリスで移動してから彼を投下。どす黒い粒子で落下の衝撃を殺し、無事に届いた彼を確認してその場を後にするのだった。
ーーー☆ーーー
そんなベルゼを頼もしいとすら思ってしまったことに一兵卒の少女は苦笑をこぼす。
(だけど、ここからどう転んだってシャルディーンに勝ち目はないんだよう)
そんなことはわかっている。
だからこそ……。