第十一話 鬼が宿りし女
グリュンメルトの居城に乗り込む前のことだ。
コカトリスのもふもふな背中の上でゴロツキ少女はこんなことを言っていた。
『シャルディーン軍の指揮権は私が握る。王女様にはその後押しをお願いするわ』
『へ?』
『王女という立場とさっきの「戦果」で向こうが納得するならそれでよし。言うこと聞いてくれない場合は上から順に殺していくからそのつもりで』
『え、え???』
『ねえマイ。今のシャルディーン軍を指揮しているのは誰?』
『ちょい待ちっす。……グリュンメルト=スカーレット。唯一生き残った将軍っすね。貴族としての権力でのし上がった他の連中と違って実力は本物みたいっすよ』
『そう。できれば使える戦力は殺さずに済むといいけど』
『ベルゼさんそれ本気で言っているんですかぁ!?』
もちろん、と頷くゴロツキ少女。
彼女がどんな人間かは短い付き合いの王女でも理解している。やると言ったらやるのだろう。上から順に殺すというのも冗談で済ませるとは思えない。
『これ、わたくしが頑張らないと流血騒ぎになるかもしれないってことじゃないですかっ。いやあ! なんで次から次に物騒な問題が出てくるんですかーっ!!』
というわけで『王女様』の顔を被って頑張ってみたのだが、結果はグリュンメルトとベルゼが激突するという形に収束した。
ここまできたら殺しはしないというベルゼの言葉を信じるしかないだろう。
と、客間の隅まで避難した王女は現実逃避気味にぶん投げるのだった。
ーーー☆ーーー
スカーレット家の血筋には『鬼』が宿っていると言われている。
代々人間ではあり得ない異常な身体能力を継承していることからそのような噂が流れているのだが、そうなっても仕方ないと納得するだけの力をグリュンメルト=スカーレットは持っている。
グリュンメルトは魔法やスキルを使えない。
そんな彼女が実力だけで将軍の地位にまで駆け上がったのはその異常なまでの身体能力あってのことなのだから。
「ハァァァッ!!」
ゴォッ!! と空気を引き裂く音を響かせながら身の丈以上の大剣が背中から引き抜かれる。銀の閃光と化してベルゼへと襲いかかる。
獅子のようにボサボサの紅の髪の女が放つ斬撃は持ち上げるのも大変そうな大剣の重量を感じさせない速度を叩き出す。その一撃は部屋の隅まで避難していた王女では視認すらできなかった。
だから。
しかし。
抜剣、そして激突。
直接斬り結ぶのではなく大剣の側部へとベルゼのボロボロの長剣が叩き込まれた。
そのまま、ズラす。
猛烈な速度を叩き出す身の丈以上の大剣を払ったのだ。
瞬間。
石造の床に叩きつけられそうになった大剣はそのまま積み木を崩すような気軽さで強固な床を斬り裂くのではなく砕いた。そう、激突の瞬間に大剣を引いて、刃が床に触れていなかったというのに衝撃波だけで強固な石造の床が砕けたのだ。
崩れ落ちる。
ベルゼやグリュンメルトの足場ごと砕けた床が瓦礫と化して雪崩のように階下へと。
「……、へえ」
「ハッ!!」
その程度ではグリュンメルトが止まることはなかった。大剣が振り回されて宙を舞う瓦礫をバターのように引き裂きながらベルゼを狙う。瓦礫を足場に避けられた瞬間には空中であることを良いことに身体を縦横無尽に振り回して多角的に斬撃を放つ。
だが、その全てがベルゼには届かない。
ボロボロの長剣で払われ、身体をひねることで避けられ、そして階下に着地。
ばらばらっ!! とそれなりの大きさはあった瓦礫の雨が砂粒のように細かく刻まれて降り注ぐ。そこまで刻むだけの斬撃が走っていたということだ。
しかし、それでもベルゼは無傷であった。
向かい合い、グリュンメルトは口の端を獰猛に歪める。
「やるですわね」
「そっちも予想以上の実力の持ち主だった。私の力は長期戦だとガス欠の危険があるからシャルディーン軍の協力が必要だったんだけど、正直あまり期待はしてなかったんだよね。だけど、うん。これは嬉しい誤算かも」
ゾッッッ!! と走る悪寒にグリュンメルトは従った。その一瞬の判断が明暗を分けたと言っていい。
ガッギィン!!!! と。
盾のように掲げた大剣が真上に弾かれる。
ぶんぶんと何かが宙を舞っていた。それが半ばよりへし折れた大剣の刃だと気づいた時には『次』が迫っていた。
「お、おおおお!!」
大きくのけぞり、それでも足りなかったので背中から床に転がる。先程までグリュンメルトの首があった場所にどす黒い軌跡が走る。
「そ、れは……スキルですわね!?」
「うん」
ボロボロの長剣を粒子が覆っていた。
ぶっ、ブゥゥゥンと無数の蝿が蠢くような不気味な音を響かせるどす黒い粒子。それらが大剣をへし折るだけの力を発揮したのだろう。
どす黒い切っ先がグリュンメルトへと突きつけられる。
「まだやる?」
「やると言ったら?」
「だったら仕方ない」
と、ベルゼはどす黒い長剣をそこらに投げ捨てた。床に落ちる前には長剣から粒子は霧散しており、カランと軽い音を立てていた。
両の拳を握り、構える。
無表情のまま、なんでもなさそうにベルゼは言う。
「うっかり殺さないよう、殴り倒して負けを認めさせるだけ」
「我の身体能力を知って、それでも肉弾戦を挑むだって?」
「うん。だってこれ以外の方法だと殺しちゃうもの」
その当然だと言いだけな物言いにグリュンメルトは小さく笑みさえ浮かべていた。普段の彼女であれば侮辱だと憤っていただろうが、不思議と怒りは湧いてこなかった。
それはベルゼに悪気がないことが伝わっているからだろうし、何よりその物言いにふさわしいだけの力の持ち主だと認めつつあるからだろう。
だからこそグリュンメルトは立ち上がる。
勝ち目はないだろうと心の奥底では確信していてなお挑むように両の拳を構える。
なぜか。
そんなの戦士としての意地以外の何物でもない。
「上等ですわよ」
言下に拳と拳が交差。
ゴンッッッ!!!! と互いの頬を打ち抜く轟音が居城全域に炸裂し、勝敗は決した。
ーーー☆ーーー
「わ、わたくしは悪くありません。努力はしましたし、きちんと止めはしましたもの。ですから万が一グリュンメルトさんが殺されたってわたくしのせいじゃありませんからねっ!!」
部屋の隅で言い訳のように叫ぶ王女。
そんな王女に視線をやって一兵卒の少女は呆れたように肩をすくめる。
そこで轟音が炸裂した。
砕けた床の穴から階下を覗き込んだ一兵卒の少女はグリュンメルトが倒れ、決着がついたことを確認する。
ツゥ……と殴られた口の端からベルゼが血を流していたが、やろうと思えば拳一つで砦を粉砕できるグリュンメルトの一撃を受けてその程度で済んでいるのが規格外の怪物である証明であった。
「誰が軍の指揮権を握ってもいいけどお、せめて一人でも多くの民を救えるよう尽力することだよう」
「それなら心配はいらないわ。とりあえずリアバルザ軍は蹴散らすから、これ以上民が殺されることはない」
と、その時だ。
『お兄ちゃんのことは守ってくれなかったくせに』という憎悪に満ちた呟きが一兵卒の少女の耳に突き刺さった。
振り返ると、黒髪の女の子の暗く澱んだ瞳と真っ向からぶつかり、一兵卒の少女は苦く表情を崩す。
大体の事情は察することができた。
だからといって全ては今更ではあるのだが。
(悪かったわねえ)
その言葉は呑み込んだ。
謝罪など自己満足でしかない。
今の彼女にできることは一つしかないのだから。
(……このまま終わったりはしないんだからあ)