第十話 激突
「ええと、それでは改めましてご挨拶しておきましょうか」
先程まで金髪赤目のやけにどす黒い印象を抱かせる少女に縋りついていたとは思えないほど見事な切り替えであった。先程のアレソレさえ忘れれば『慈悲深く美しい王女様』なんて印象さえ抱きそうになるほどだ。
お飾り、つまりは外面だけを求められてきた賜物なのだろう。
「わたくしはフィリアーラ=シャルディーン、一応この国の王女です。グリュンメルトさんとは何度かお話ししたこともありましたけど、覚えていますでしょうか?」
「もちろんですわよ」
魔道具やスキルで見た目を変える、という術に心当たりはないが現在相手にしているのは大陸統一を志す大国リアバルザである。見た目を変えるような力で王女になりすましているのでは? とも考えたが、少なくともその手の力には波動のようなものが感じられる。グリュンメルトが観察する限り、何かしらの力が発動している様子は確認できなかった。
こちらの感覚を騙す性質も備えている、などと疑い始めたらキリはないが、そもそも圧倒的に優位に立っているばかりかシャルディーン軍と兵数を合わせるような余裕を見せているリアバルザ軍がなりすましによる刺客を送り込んでくるとは考えにくい。
王女らしくない行動だとは思うが、何度か会話した程度の仲である。彼女の本質を見抜ききれていなかっただけで、有事の際には勇気を振り絞って行動する人間だったのかもしれない。
……だからといって戦を知らない王女が前線に出てきても出来ることはほとんどないのだが。
「それではグリュンメルトさん。報告は受けていますが、互いの認識に齟齬を生まないためにも貴女の口から現状を教えてくださいませんか?」
「はっ!」
求められれば断るわけにはいかない。
先の大敗を改めて口にすることに抵抗がなかったかと言えば嘘になるが。
ーーー☆ーーー
一万対一万。
場所は国境近く、隣国の端に広がる草原でリアバルザ軍とシャルディーン軍は真っ向から激突した。
当初はそれなりに戦えていた。強力な魔道具や練度の高い魔法使い兵を惜しげもなく前線に投入してリアバルザ軍の進軍を食い止められていた。
転機はやはり国王や王子の死だったか。
貴族贔屓の政策、そして過度な重税で私服を肥やす者たちではあったが、だからこそ自らの土地を奪われるのは何が何でも阻止したかったのだろうし、敵が同数であれば優秀な自分たちが害されるわけないという驕りもあったのだろう。
魔法使いとして優秀な彼らは拮抗状態を崩すために敵軍へと突撃、リアバルザ兵を蹴散らしていった。そこからシャルディーン軍は勢いを増してリアバルザ軍を押し返していったのだが──まさしく一瞬であった。
空からの雷鳴。
降り注ぐ雷撃が国王と王子、そして近くにいた五百ものシャルディーン軍の精兵を貫き、何秒も何十秒も彼らが炭化して崩れるまでその雷撃は消えることなく帯電し続けた。それほど強力な『複合魔法』だったのだ。
そこからは一方的な殲滅戦だった。
国王や王子をはじめとした主戦力を失ったシャルディーン軍はリアバルザ軍に殲滅され、グリュンメルトを除く全将軍も討ち取られた末に敗走することとなった。
グリュンメルトの居城には自身の配下や他の軍の生き残りを寄せ集めてそれでも千人程度の兵しか残留していない。一万のうち九割が戦死あるいは逃走したということだ。
リアバルザ軍はもちろん追撃を仕掛けてきているが、なぜかシャルディーンが国境を守るために用意した砦を奪った後は(シャルディーン軍との戦闘で五百ほどの兵を失ったために)九千五百の軍から千を追撃部隊として放ったという。
直近の敵は同数だが、それでも今のグリュンメルトたちには領内で好き勝手暴れる追撃部隊へ対応するだけの余力は残されていない。それほどまでに追い詰められているのが現状である。
と、そこまで説明を終えたグリュンメルトは勢いよく跪いた。
「この度の敗北、到底謝罪のみで済むことではないのは理解しているですわよ。この首を差し出せというのならば如何様にも切り捨ててくださって構わないですわよ。しかし、未だリアバルザ軍は健在。最後の最後まで真っ向から挑むことを許していただければと」
「えっ、と……」
軋んでいた。
『王女様』という整えられた顔が軋み、その奥から隠しても隠し切れない恐怖が滲んでいた。
無理もない、とグリュンメルトは思う。
国王や王子は死に、リアバルザ軍は侵攻を続けている。このままいけば唯一生き残った王族である王女がどうなるかは考えるまでもない。
だからこそ疑問が消えない。
ここで恐怖を滲ませるような人間がどうして前線にまで足を運んだのか。
その時だ。
そっと、王女の視線が動く。
それまで彼女の一歩後ろで話を聞いていた金髪赤目の少女へと、縋るように。
「王女様、一つこちらからご質問しても?」
「は、はいっ。なんですか?」
「お連れの方たちは一体何者ですわよ?」
少なくともグリュンメルトは見覚えがなかった。護衛であれば近衛兵がつくはずであり、しかし彼女たちは近衛兵であることを示すものを何一つ身につけていない。
王女の連れだからと言い聞かせていたが、やけにどす黒い金髪赤目の少女や何が楽しいのかニコニコしている茶色のポニーテールの女の子、どう見ても一般人であるはずなのにやけに暗い目をした黒髪の女の子は何者なのか。
対して。
どす黒い金髪赤目の少女は淡々とこう答えた。
「私の名前はベルゼ。貴女に代わってシャルディーン軍の指揮権を得る女よ」
しばらく何も言えなかった。
冗談の類だという返しがないことを確認して、グリュンメルトは金髪赤目の少女ではなく王女へと視線を向ける。
「それは王女様のご意向で?」
「そ、その、そうですわ。異論はありますか?」
「確かにリアバルザ軍に大敗した我らが頼りないと言われれば否定はできないですわよ。代わりを用意したいという王女様のお気持ちは十分に理解できますわね」
しかし、と。
ここで不敬罪だと切り捨てられようとも構わないと心に決めてグリュンメルトは真っ向から言葉を紡ぐ。
「例え我らが至らなくとも、唯一生き残った王族が判断を下して命じるとしてもそのような素性のわからない人間に民の命運を預けることはできないですわよ!! 可能性が限りなく低くとも、憎き侵略者を退ける未来を掴むために最後まで足掻くのが我らの務め!! いかに王女様の命令とはいえ素人考えで軍事に口出すことはご遠慮願うですわよ!!」
「えっと、えっと、こちらのベルゼさんはスカーレット領内の村を襲っていた数十人のリアバルザ兵をやっつけたんですよっ。それだけの『戦果』を残しているのですから、その、できれば言うこと聞いてくれませんか?」
ぴくりとグリュンメルトの眉が動く。
果たして反応したのは王女が手で指し示すベルゼが数十人のリアバルザ兵を倒したことか、それともスカーレット領内の村が襲われたことか。
「つまり、実力はあるから従えと?」
「そうですそうですっ」
「わかりました」
本当!? と気がつけば『王女様』の顔が完全に剥がれているフィリアーラ=シャルディーンへとグリュンメルトは背負っていた大剣の柄を握りながらこう言った。
「その者に我らを率いるだけの力が本当にあるのか、我と勝負して見事勝利したならば王女様の命令に従いましょう」
「え? えええ!? いや、その、ええと、それはやめたほうが……っ!!」
「これ以上の譲歩はありません。しかし、もしもその者が本当にこの国の命運を託すに足る人物であると証明できたのであれば、ここまで追い詰められてもなお戦うことを選んだ千騎もの英傑の指揮権を譲渡することを約束するですわよ!!」
どうするですわよ? と挑むように問いかけるグリュンメルト。国王や王子が戦死した現状、王女はこの国の頂点に等しい。その王女は困った様にベルゼに視線をやり、『駄目ですよ? 流石に自国の将軍がぐちゃぐちゃになるのを見るのは目覚めが悪いですからっ』などと言っていたが、ベルゼはというと表情を変えることすらなかった。
「そんなことで認めてくれるなら、いくらでも勝負してあげます」
「べっべべっベルゼさん!?」
「心配しなくても殺しはしない。言うこと聞かないなら上から順に潰していくつもりだったけど、勝てば言うこと聞くというならわざわざ私の手で戦力を削ぐ理由はないから」
「……随分と余裕ですわね。敗軍の将など恐れるに足らずとでも?」
予想に反して、ベルゼは首を横に振った。
彼女は無感動な声音で言う。
「私の態度に何か思うところがあったとしたらそれは貴女だからということじゃない。私、これまで生きてきた中で何かを恐れたことは一度もないだけ」
「ならば今日が恐怖を覚える記念すべき日になるかもしれないですわね」
「そう? それは楽しみかも」
直後。
ちゃっかり部屋の隅まで逃げた王女を置いて、金髪赤目の少女とグリュンメルトは真っ向から激突した。