ヒーロードライバー
この研究室も今月いっぱいで閉鎖。部屋を明け渡さなければいけない。
せめて新年度となる来年の春までは、このままにしておいてくれればいいのに。そこには、部屋を遊ばせておきたくない大学の事情もあるのだろう。
明け渡しまで、もうあまり日が無い。今日ボクは研究室に置きっぱなしになっている私物を持って帰ろうと、紙袋を持参して研究室へとやって来たのだ。
突然、教授が倒れたのが先週のことだった。
人の命なんてあっけないもの。
それからは通夜だ葬儀だなどと色々な儀式があって、あっという間の落ち着かない一週間だった。
そうして主のいなくなった大学の研究室は、とうぜん召し上げられるというわけだ。
ボクは力なく椅子に座って部屋を見回す。
独りの研究室は、とても広く感じられた。
学生たちが集って活気のある研究室だったわけではない。もともとこの研究室には教授とボクしかいなかったのだから。
人数の変化のみで語るならば、一人減っただけだ。でも、その一人はボクにとっては大切な恩師、高圧的なところの無い本当に優しい人だった。
教授はボクに「博士」と呼ばせていた。そしてボクのことを「助手くん」と呼んだ。それがポリシーなのだと言っていたが、ここはバッタの研究室。教授は昆虫博士にでも憧れていたのだろうか。その割には「趣味は機械いじり」なんて言ってたっけ。
でも、お世話になった教授がそう望んでいたのだから、ボクだけはこれからも「博士」と呼ぼう。
それにしても、一週間前のあの時は焦った。突然この部屋で、博士が倒れたのだから。
ボクが慌てて駆け寄って抱きかかえると、かろうじて意識はあったものの、もはや虫の息。きれぎれの言葉で「机のものを託す……たのむ」なんて弱気なことを言うものだから、これはマズいと必死で学生課へ駆け込んで、助けを求めたんだったな。
…………机のもの?
そうだ、気持ちの整理が付かなくて忘れていたが、たしかに博士はあの時、机のものを託すと言った。
ボクは何を託されたのだろう。
ボクは立ち上がり、博士のデスクの方へ向かう。
負債的なものだったら困るなぁ。
そんなことを考えながら、デスクの引き出しを開けてみた。
上の二段の引き出しには主に書類ばかりが詰め込まれていたが、下段の引き出しを開けると、何やら四角いものが入っていた。
何だろう、これは。
箱型の機械にベルトのようなものが付いている。
しばらく箱型の部分を見回してみたが、いったい何の機械だかよく解らない。
形から察すると、子供が喜びそうなテレビの特撮ヒーローが身に着ける変身ベルトのように見える。
まさかこれなのか? ボクが博士から託されたものは。
そして、いったい何を頼まれたんだろう?
デスクの上に置いた機械をぼんやりと眺めながら、ボクは博士が望んでいたことに思いを巡らせてみた。
趣味だったとはいえ、いい大人の机から子供のおもちゃが出てきて、それが遺品として人目に晒されることが恥ずかしく心残りであるから、ボクにこっそりと処分することを託したということか。そう考えると府に落ちた。
『分かりました博士。この機械はボクが責任をもって処分しておきます』
ボクは上を向いて、心の中で博士にそう語りかけた。
さて、処分する物となったこの機械だが、今のボクにとっては博士の形見である。プライベートの博士がどう楽しんでいたのかは、知ってから処分したいと思った。
ボクはデスクの上からその箱形の機械を手にとって観察した。
電源が入れば光りそうな小さな穴がいくつかある。また、これも今は消えているが、上面には液晶のプレートのようなものも付いている。自作のカメラである可能性も感じられるが、左右から伸びるベルトから察すると、やはり変身ベルトのおもちゃにしか見えなかった。
ところがこの機械、どこを探してもボタンが見当たらない。どうやって動かすのだろうか。
もう大学生とはいってもボクはやはり男の子、動かし方は分からないけれど、これが変身ベルトのようだと思うと、何だか心踊るものがある。
ボクは箱の片側から生えたベルトを腰に一周させると、箱のもう片側きある差し込み口らしき穴へとベルトの先を挿し込んでみた。
カシィィィン
何だか壮快な音が鳴ったかと思うと、ちょうどボクのお腹のあたり、ベルトのバックルとなる機械の箱の何ヵ所かが、赤や青に光っている。
何これ、カッコ良い!
どうやらベルトを装着することが、機械を起動させる操作だったようだ。
すると、バックルの左側に不自然な溝があることに気が付いた。これは何だろうかと指で触ってみたりしていると、バックル上部の小さなモニターに文字が表示された。
英語だ……読めない
でもまぁこんなものは、知ってる単語だけを訳してみれば、だいたいの意味は解るものさ。
【 User、Init、Entry、OK?、1/2 】
ほらね、曲がりなりにも受験をクリアした大学生を舐めてはいけない。これはたぶん、ユーザー登録しろと言われているんだ。
モニターの文字は、指をバックルの溝に当てている時にだけ表示される、ということは指紋認証か、それとも静脈認証か。しかも、OKかと聞いておきながら、解答するボタンも無いということは、音声認識するということか。
ボクはバックルの溝に指を当てたまま、バックルへ向かって答える。
「オーケー!」
【 1/2 】と表示されていた部分が【 2/2 】に変わった。
二人まで登録が可能で、その二人目としてボクが登録されたように見える。……ということは、一人目の登録者は博士なのだろう。
…………で、どうすればいいんだ?
これが博士が作った玩具だとして、操作方法が分からない。ボタンが無いので基本的に音声認識で動くのかもしれないが、マニュアルが存在しないせいで、どんな言葉に反応するのかが不明だった。
ただし、このベルトが音声認識であるならば、一つだけ確実な言葉がある。この言葉で反応が無いようであれば、こいつはそもそも変身ベルトじゃない。そんなことを考えながら、ボクは独りの研究室で声を発した。
「変身!」
四角いメカメカしいバックルのランプの色が変わった。腰にベルトを装着して以来、赤く点灯していたいくつかのランプが、全て青か緑に色が変わったのだ。
この言葉に反応するとは、やっぱり変身ベルトのおもちゃだったんだ。
バックル上部のモニターには、
【 Start Rider Mode 】(スタート ライダー モード)と表示されている。
もう完全に「ライダー」と言ってしまっている。
そうか、博士はその学識と、若い頃から憧れた趣味が高じて、自作の変身ベルトを作ってしまったのか。
恩師の可愛い部分が見えた気がして、何だか微笑ましかった。そして、人生の最期の時にそんな秘やかな趣味をボクに共有してくださった博士のことが思い出され、嬉しくもあった。
しかし──
!? なんだこれ!
ボク、手袋をしている。
いや、おかしいだろ、今日は手袋なんて着けてきていない。それどころか、ボクはそもそも手袋なんて持っていない。
不思議に思いながら両手を裏表と返しながら見ていたが、すぐに手袋どころの話ではないことに気が付いた。左右の腕にまで目をやると、手首から肘、そして肩の方まで、黒いものに包まれていた。しかも、全く着ている感覚というか、違和感がないのだ。
ボクは自分の胸のあたり、さらには両手を上げてみたりして、見える範囲で自分の姿を確認する。
ボクが着ていたはずの服やズボンは見えない。腰に巻いたベルトだけがそのままに、見たこともない衣装に身が包まれている。
胸は硬いプロテクターのようなもので覆われているものの、動きにくくもなければ重さも特にない。脚は腕と同じように黒いもの覆われ、手袋と同じ色のブーツを履いていた。
全身を包む着ぐるみを着ているようなものなのに、まるで着ている感じがしない。いったいどんな素材でどんな仕組みなのだろう。
これはどう見ても、変身ヒーローの格好だ。
まさに子供の頃に見ていたバッタをモチーフにした特撮ヒーローのようだ。
変身って言ったからか?
ベルトを着けて変身って言ったからなのか?
すごい! 博士、何てものを作ってるんですか!
これで悪と戦え、とでも言うんですか!
ボクに託したのは世界の平和なんですか!
しかも、ボクは気付いている。
さっきから、妙に身体が軽いんだ。
これって、このスーツを身にまとったせいなんでしょ?
ボクはその場でジャンプをしてみた。
もう少しで研究室の天井に手が届きそうだった。明らかに普段のボクの力じゃない。身体能力が1.5倍は上がっているんじゃないか。この分だとキック力やパンチ力、防御力だって上がっているのだろう。
まるでパワードスーツなのに、重くゴテゴテしたものを身に着けている感覚が無いのだ。この力があれば、本当に悪を相手にも戦えてしまうのではないか。
夢が広がる。変身ポーズが必要なのではないかなどと、本気で思えてくる。
これは全身の勇姿を見たい。ボクは研究室入口横の壁に貼られている鏡の前へと向かう。
どんな顔なのだろう。やはり頭部はあのバッタをモチーフにしたデザインだろうか。
『あまりグロテスクな造形でなければいいな』
子供の頃に見た中から贔屓のヒーローの顔を思い浮かべた。そしてボクは鏡の前に立ち、ヒーローとなった自分の全身を見た。
………はぁ?
ボクがいた。
首から下にライダースーツを着たボクが立っている。
最近、若くして薄毛に悩んでいる貧相なボクの顔に、首から下だけが引き締まったヒーローの格好で鏡に映っていた。
ち……ちょっと博士…… 変身が不十分ですよ
独学での研究と考えれば、この変身だけでもオーバーテクノロジー、博士のやったことは偉業といえるだろう。それは解っている。解ってはいるのだけれど……
博士との最期の会話がまたよみがえった。
ボクが託されたのは平和、悪を蹴散らして正義を示すこと。
しかし……
コンプレックスを持つ部分だけを晒して戦い、強大な敵と戦えば戦うほど目立っていき、いつしか世間に追いかけられるようになる。バッタのヒーローが悲しき戦士だったのは知っているが、これは悲しさの方向性が違う。
「博士、ごめんなさい。ボクにはできません」
ボクはヒーローになることをやめた。
業も宿命も背負っていない男の信念など、あっさりしたものである。そして、劣等感が人の決断に及ぼす影響は、それほどに大きいともいえる。その点で、博士はこのヒーロードライバーを託す人選を誤った。ヒーローは誕生することなく終わってしまったのだ。
さて、やめると決めてしまうと、急に熱が冷めたように落ち着いた。そして今日、ここに来た目的を思い出した。さっさと私物の片付けに戻らないと。
教授の私物は教授の奥さまが引き取ることになるだろう。ただ、多くの文書や備品から、どれが私物なのかを選り分けるのはボクが手伝わなければ、奥さまだけでは骨のおれる作業だろう。そのためにも、ボクの持ち物は今日明日には整理してしまわないといけないんだ。
しかしここで、ボクは大きな問題にぶち当たった。
変身解除の仕方が解らない。
変身した時と同じようにバックルの溝に指を置いて、特定の言葉を言えばいいのだろうか。
バックルのこの溝が静脈認証ならいいが、指紋認証だともう手はヒーローのグローブに包まれているので認証不能だ。変身解除は別の方法と言うことになる。
「変身解除!」「戻れ!」「通常モード!」……色々と言ってみたが、何も起こらなかった。
困った……。いっそ、ヒーローのパワーでベルトを叩き壊すか。変身により向上したパワーで変身ベルトを破壊するとは皮肉な話だが。
「博士、ごめんなさい」
ボクは頭よりも高く上げた拳をベルトのバックルに向けて振り下ろした。
……しかし、ボクの強化された拳がベルトを捉えることはなかった。拳がベルトに当たる直前にとつぜん全身が固まってしまったのだ。
── これは
ベルトを自らが破壊してしまわないように、制御がかかっているのか。
博士、ここまでの物を作ることができる貴方が、何でバッタの研究なんてやってたんですか。
世を忍ぶ仮の姿にも程があります。
それにしても、腰に巻き付いてしまっているベルトというのは、何とも調べにくい。しかも、ヒーローの強靱で厚い胸板が完全に裏目に出てしまっており、ベルトのバックルが見えにくくて仕方がないのだ。ましてやベルトの裏側なんて、手探りしかできない。
何か手掛かりが無いものかと、藁にもすがる思いで再び博士の机を物色する。すると、マニュアルではないが、何やら手作りのスクラップを発見した。切り抜かれた新聞記事が、5ページに渡って貼り付けられている。
ボクはその内の一つを読んでみた。
【26日未明、B市幸町の通りにて帰宅中の山田●子さんが刃物を持った●島二郎容疑者に襲われたが、駆けつけた男性によって取り押さえられた。男性は容疑者を柱にくくりつけると、警察官が現場に到着する前に立ち去ったという。山田さんの証言によると、男性は白髪の年配ではあったが、コスプレの衣装のようなものを身に着けていたという。──】
もう実用化していた。
博士、やってるじゃないですか。しかも新聞の記事にまで載っている。
やっぱり無理だ。ボクはこんな風に記事になることには堪えられない。
いずれにせよこのままではマズい。
このままの格好では外も歩けず帰れないし、このままここにいても誰かがこの研究室に来るかもしれない。
もし誰かが来ると、どうなるか。
想像は付く。
「恩師が亡くなったそばから、何をふざけているんだ!」
そんなふうに責められるのだろう。
「教授の業績に泥を塗るんじゃない!」なんてことも言われるかもしれない。
教授が作ったベルトのせいでこんな格好なんだけどね。
そんな時、ボクのスマートフォンが鳴り出した。
画面には『お母さん』の文字が表示されている。
今は家族と電話などしている場合じゃないはずなのに、ボクは電話に出る。ここに今のボクの心細さが表れているのだ。
電話の向こうのお母さんはいつものように尋ねてくる。
「あなた、病気せずに元気でやってる?」
「ああ、大丈夫だよ。」
たいへん追い込まれた状況に置かれてはいるが、元気なのかと問われると、今のボクは元気どころか1.5倍増しでパワーがみなぎっている。
ほんとうはこの一週間のことを話しておきたかったが、ここで長電話をするのは得策ではない。軽い話で会話をつないで終わらせるべきだろう。
しかし
「お母さんの方は元気なの?」
この返しが余計だった。
会話のボールを握った母は、喜々として話し始めた。
「もうね、聞いてよ、裏の吉岡さんが犬を放し飼いにするせいでね、畑の~~~」
世間話が始まってしまった……
お母さんの話が20分ほど続いた頃、さすがに業を煮やしたボクが、やっつけ気味に話を終わらせにかかる。
「犬には怖くて二度と畑に入れないくらいの思いをさせて追い出せばいいし、ドローンでの配達の実験で迷惑しているのは、ドローンのプロペラに石でも当ててやればいいんだよ」
「もう…… お母さんまじめに話してるんだから、てきとうなこと言わないでよぉ」
「ボク、今まだ学校にいてね、長電話してる場合じゃないんだよ」
「あら、そうだったの? ゴメンねぇ家に居るのかと思って。 じゃあまた電話するわね」
そう言って電話が切れた。
ふうっ……と、ひと息ついたボク。
力なく椅子に座り込んでうなだれる。
・・・・・・
── はっ!? まったりとしている場合じゃなかった。
ボクは左手の腕時計を見る。
【3:20】
ここに来てもう2時間も経ってしまった。
早く何とかして戻る方法を見つけないと。
── あれ? 腕時計?
ボクは急いで鏡の前へと駆け寄る。
ああ…… もとの姿だ。
うす茶色の綿パンにチェック柄のシャツ。ボクが今日、着てきた格好だ。
お洒落でも格好良くもない自分の全身を鏡に映して、こんなにホッとしたのは初めてだ。
鏡に映っているボクの姿からは、博士に託された腰のベルトだけが違和感を醸し出していた。
なぜ変身が解けたんだろう。
時間が経つと自動的に変身が解除されるのかな?
いや、そんなはずはない。悪と戦っている最中に変身が解けたりしたら大変だもの。
じゃあ……お母さんとの電話の中で、変身を解除する合言葉を言ったのか、ボクは。
……どれだ?
答えは思い当たりはそうにないが、とにかくまた誤って変身してしまわないうちにベルトを外さないと。
ボクはまるで呪いのかかった装備を外すように、そそくさと腰からベルトを外した。
このベルト…… どうしよう。
せっかく博士から託されたものだけど。
博士の机の引き出しに戻しておこうか。
でも、ボクの情報が登録されちゃってるしなぁ……
あとで色々聞かれたら面倒だし。
………… 仕方ない、持って帰るか。
ボクは持ってきた高島屋の紙袋にガサガサとベルトを入れる。私物を詰めるための紙袋の3分の1がベルトだけで埋まってしまった。実にかさばる。
この先何年も、年末に部屋の掃除をするたびにこの高島屋の紙袋を見つけては、中のベルトを捨てようかと悩むことになるとは、今のボクには知る由もないことだった。