タロット売りの雪の思い出
「サーちゃんサーちゃん、雪見たい、雪!」
「はいはい、騒がしくしないでください」
雪にも劣らぬ白さのサファリの手の中にあるのは、晴れの夜空を切り取ったような美しいカードたちでした。
言葉を話す不思議なタロット。それは最近巷で有名になり始めたタロット絵師ツェフェリ渾身の処女作です。サファリはツェフェリのタロットを売り歩いておりますが、これだけは別物で、非売品です。ツェフェリの名前の宣伝として持ち歩いていた彼らですが、ツェフェリはもう彼らの力がなくとも、充分にタロット絵師としての夢を叶えられます。
ツェフェリの処女作であるタロットカードたちはツェフェリのことが今でも大好きです。ですから、ツェフェリの住む北の街にサファリが立ち寄ったときは、ツェフェリとの再会を喜び、ツェフェリと一晩中語らったりします。けれど、彼らもサファリを主人とするのにだいぶ慣れてきました。
喋るタロットの声は限られた人間にしか聞こえませんが、聞こえる人間からしたら、なかなか騒がしいものです。サファリのことをサーちゃんと呼ぶ[恋人]の二人のように、話好きのタロットが多いですからね。
「海辺の街でも北の街でも、雪が降らないの、不思議よねえ」
「つぇーちゃん雪を見たことがないんじゃない?」
「でも、北の街は北の果てなのでしょう? ここよりうんと寒くなるはずじゃない。どうして雪が降らないのかしら?」
「北の街の冬は乾燥しているからですよ」
サファリが説明します。曰く、北の街やツェフェリが元いた海辺の街は乾燥しているため、雲ができにくいのだそうです。けれども、太陽があまり届かないため、寒いのだとか。
タロットに気温はわかりませんが、なるほど、と[魔術師]が言います。
「北の街の人が年がら年中似たような服装なのは、冬が特別寒いからではなく、普段から寒いからなんですね」
「それでも他が冬という時期には、いつもより寒くなるんですけどね」
北で暮らす人々にとって、寒さとは常にあるもので、友のようなものなのです。冬に普段よりちょっと寒くなるというのは、彼らにとってはちょっとした誤差に過ぎません。
「サファリは寒いのは好き?」
そうサファリに問いかける溌剌とした声は[太陽]のものです。[太陽]はこのタロットの中でも特にお喋り好きなカードでした。
そうですねえ、とサファリが答えます。
「確かに、寒い方が好きかもしれません。暑がりというわけではないんですが、太陽が眩しいのは苦手です」
「あっはは! サファリってば面白いこと言う! 太陽はどこでも等しく輝けるものだよ」
「暑い上に太陽が燦々としていると、より眩しく感じるってことですよ」
北と呼ばれる方角に行くと、太陽は遠くなります。反対に、南と呼ばれる方角に行くと、太陽は近くなります。暑い寒いもそうですが、太陽との距離によって、太陽がどれだけ眩しく感じるかは変わってくるのです。
まあ、どこで見る太陽よりも煌めいていて元気なのがこのタロットの[太陽]なのですが。
サファリははら、はら、とタロットたちを入れ替えながら、窓を眺めます。雪がしんしんと降り積もっていく……などということはなく、外はごうごうと吹雪いています。
本当に、今日、泊めてもらえる場所を確保できてよかったです。こんな吹雪の中で野宿なんてしてごらんなさい。翌朝には凍え死んでいるかもしれません。更には雪に埋もれて、見つけてもらうことすらできなくなっていたかもしれないのです。
もし、今夜の宿が確保できなかったら、サファリは山越えを諦めるところでした。それくらい、雪というのは恐ろしいのです。故に、人間以外の動物たちも、雪の降る冬は窖に籠るのです。そうして、冬の間は外に出ないように、蓄えた食糧を少しずつ食べたり、ずうっと眠ったりします。これを冬眠と呼びます。
人間は冬眠ができません。冬という季節は何ヵ月も続きます。何ヵ月も飲まず食わずで眠るだけ、など人間にはできないのです。食べ物もどれだけ少なくしても、体に悪いだけですから、少量で済ますということもできません。
けれど、それを悪いことだとは、サファリは思いませんでした。冬眠ができないのは、人間ならではの個性とさえ考えています。
それに、寒い日というのも悪いものではありません。体質的に寒い方に体が慣れているというのもあるのかもしれませんが、サファリにとって雪が降るほど寒い日は特別でした。
何故って、そのくらい寒い日は必ず、父が隣で一緒に眠ってくれるからです。
[ベルの行商人]の息子として、父に付き添っていたときも、世界各地を回りました。サファリの父は決して口数の多い人ではありませんでしたが、幼いサファリに細やかな気遣いをしてくれる、素敵な父親でした。
少し南の日差しのいい街で、皆が快適そうに過ごす中、サファリが太陽を眩しそうにしていると、日傘を出してくれました。[ベルの行商人]の名を負うため、いつも渡される日傘のデザインは異なるものでしたが、趣味がいいのは間違いなかったでしょう。仕入れて売ってをする中で、サファリが試用することで、ちゃっかり宣伝もしていたようですが、それでもそれなりの紳士淑女の心を射止める商品を取り扱っていたのですから、サファリの父はセンスがよかったと断言していいでしょう。そのセンスがあったからこそ、今もなお、[ベルの行商人]の名は世界中に轟いているのです。
また、雨の日はレインコートを着せました。移動のときは傘を持たせ、休憩のときには温かい飲み物をサファリに与えてくれました。
商人としての旅の最中でそれをするのがどれだけ難しいことなのか、父から継いで商人をしているからこそわかります。街で宿をとることも、当日で入るのさえ難しいこともあるのに、サファリの父は黒人というハンデを背負った上で、サファリが不自由しないように、なるべくいい宿をとっていたのです。
それでも雪の降る街や村では宿をとるのが難しく、広くもない固いベッドに二人で寝ることはしょっちゅうありました。雪の降る地域であればあるほど、人の肌は白いので、黒人への蔑視もひどく、他にも部屋はあるのに、わざわざ一番安い部屋に泊まらせたりする人もいました。
白人であるサファリが黒人の父と共にいることは、助けにもなりましたが、足枷となることもありました。差別思想の者たちから見ると、黒人が白人を従えているように見えて、快くなかったからです。
「すまないな、サファリ」
「ううん」
それでも、サファリに不満はありませんでした。考え方を変えればいいのです。
狭い部屋で固いベッドだと、父が隣で寝てくれます。時には腕枕なんかもしてくれます。父の腕はベッドとそう変わりないくらい固く、ごつごつしていましたが、それでも、寒い土地で傍らに人の温もりがある安心感に勝るものはありません。サファリはサファリに寒い思いをさせないように、と寄り添ってくれる父が好きでした。
だから、雪の降る場所に行くことは苦ではなかったのです。もはや楽しみですらありました。
サファリも年を重ね、見た目は幼くとも、年嵩がそれなりになり、父に甘えるのを躊躇うこともありましたが、母という存在が幼少期になかった分、やはり誰かに甘えたい、という気持ちはどこかにあり……
そうやって、雪の街で不器用に寄り添うことで、サファリは親に甘えていたのです。
雪は冷たいので、手が悴んだとき、手が赤くなったサファリを見て、動揺した父の姿をサファリは今でも思い出せます。父はサファリよりも寒さに慣れている人……というよりか、寒いことに鈍感な人でしたので、最初、寒さ対策なんて、よくわかっていなかったのです。
サファリのために、父は襟巻きや手袋を買ってくれました。それはとても愛おしい思い出です。商いに関わること以外で、父が物を買うなどよほどのことでしたから。
サファリはとても嬉しく、とても充実していました。どんなに寒くても、どんなに吹雪いていても、父が傍にいてくれた、それだけでその時間は何物にも変えがたい宝物となったのです。
「吹雪いてて真っ白でよくわかんなーい。つまんなーい」
「自分で見たいって言ったんでしょうに」
[恋人]の言葉に苦笑し、サファリはタロットを仕舞いました。
サファリの隣で寝てくれた、父はもういません。それにもだいぶ慣れました。
それでもなんだか少しだけ、物寂しいような気がしてしまうのは、ちょっと欲張りですよね、とサファリはベッドに潜ります。
それでも、死んだ人が帰ることはもうありませんから、サファリは一人で眠れるのです。
寂しくとも、一人で眠れるのです。