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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット売りの占い処
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タロット売りと親子

 ことことことこと煮える鍋、しんしんしんしん降り積もる窓の向こうの淡雪の凍えから守るぬくもりがその鍋の中にありました。

 ここは北東の山。雪のよく積もる白山と呼ばれる場所です。またの名を黄金の山と言い、山の麓には広い田園があります。そこでは麦や米が育てられており、ここは穀物が豊富なことで有名でした。

 それも雪深くなれば、また春を待つまで、静けさを灯します。そんな村より、山を登ると、二人の親子の住む小さな木の家がありました。馬車用の馬を待たせる厩があり、そこには一台の荷車が停められています。荷車に立てかけられた看板には[行商人サファリ=ベル]の文字。どうやら客人が来ているようです。

 家の中では、ぱちぱちと薪が弾ける音が静寂の中に淡々と流れていました。暖炉があるようです。内装は物が多くなく、質素ながらも、どこか温みのある色を湛えております。母親とおぼしき人が、天井から吊り下がったランプに火を灯していました。山には電気が通っていませんから、こうして炎の光で過ごすのが基本です。そのためか、通常街で見かける電灯より、自然の温もりを感じられます。

 母親が台にしているがたがたの椅子を幼い女の子が支えていました。その傍らで、湯気の立つコーヒーカップを前に固唾を飲んで女性を見守る絶世の美少年。雪よりも白く透明な、銀世界にいたら見つけられないような真白な肌と同じく白でありながら、雪のようにちらちらと光を散らす銀糸の髪を顎ほどまでに揃えています。彼を色で表現するのなら、きっと白だ、と思わせるくらいに白に愛された子ども。けれど睫毛さえ白い彼の中で、白くないものが二つ。翠と碧を混ぜ合わせたような少し乳白色を孕んだ宝玉のような眼二つが、燦然と少年の顔の中に佇んでおりました。それは山から出たことのない女の子でも、聞いたことくらいはある、綺麗な海の色です。

 無事にオイルランプを点け、部屋に柔らかな灯りを広げた婦人は、椅子を支える娘の手を踏みつけないように、そうっと床に降り立ちました。床板がきい、と軋む音を立てます。娘は母が怪我なく済んだことに、小さな手でほう、と胸を撫で下ろします。

 母が少年に苦笑いを向けて言いました。

「すみませんねえ。今年は収穫が良くなかったもので、あなたのようなご立派な方をこんな貧相なお家にお泊めすることしかできず」

「いえいえ、こんな悪天候の中、急に訪れたにもかかわらず、受け入れてくださっただけでも、充分に過ぎるというものです。お気になさらず」

 少年は慣れたように朗々と気遣いの行き届いた返しをします。それでも、婦人の表情の曇りを拭い去ることはできませんでした。

「ですが、[ベルの行商人]と言いましたら、世界中に名を轟かす、こんな片田舎でも耳に入るほどの立派な商人様です。大したおもてなしもできず、申し訳ない限りです」

 [ベルの行商人]とは、世界を股にかけ、旅商売をする界隈では知らなければもぐらと笑われるほど大きな影響力を持つ存在です。

 実際、この山を抱えた農村は地図にも名を忘れられるほどの存在ですが、[ベルの行商人]の名を知らぬ者がいないほどです。少年はそんな偉大な商人としての看板を背負っているのでした。荷車に立てかけられた看板[サファリ=ベル]というのが少年の名であることは事実です。

 けれどサファリはゆっくりと頭を振りました。

「僕自身はそれほど、大したものではありません。[ベルの行商人]という看板を築いたのは僕の父であり、僕はその看板を受け継いだに過ぎません。まだまだ父に遠く及ばない、修行中の身でございますよ」

 これでも、父が行商人をしていた期間の方がまだまだ長いのです、とサファリは語りました。その声色は優しくて、卑下でも謙遜でもなく、自分の父親を誇る色が見受けられます。

 ああ、この子の父親はいい父親だったのだな、と噛みしめながら、婦人は鍋の方へと行きました。

 サファリは、椅子を片付けてとてとてとサファリの足元に近づいてきた女の子の頭を優しく撫でながら続けます。

「今年のこの村での不作については聞き及んでおります。日用品でお困りのものがあれば、宿泊のお礼としていくらか置いていきますよ」

「そんな、悪いです」

「悪いなんてことはありません。困ったときはお互い様です。僕もまさかこんなに雪が降るなんて思っていなくて、困っていたのですよ。女心と山の空とはよく言ったものです」

「それを言うなら秋の空でございましょう?」

 それまで恐縮していた婦人が、くすりと笑みをこぼしました。それを見て、サファリに頭を撫でられていた女の子が目を零れ落ちんばかりに見開きます。

 出来上がったスープをよそう母が背を向けているのをいいことに、女の子は声を潜めてサファリに問いかけました。

「おにいちゃんって、もしかして、魔法使い?」

「どうしてそう思ったの?」

 こてん、と首を傾げるサファリに女の子は母親を必死に指差しました。

「だって、おかあさんが笑ったの、久しぶりに見た!! わたしがどんなにお手伝いを頑張っても、おかあさんはいっつも苦しそうで、にこって笑わなかったのに、村の人に助けてもらっても、ごめんなさいみたいな笑い方しかしなかったのに、今おかあさんは、にこって笑ったよ! おにいちゃん、どんな魔法を使ったの?」

 無垢な問いかけに、サファリの口元が思わず綻びます。サファリは女の子に倣って、顔を寄せて、女の子に密やかな声で伝えました。

「僕は魔法使いじゃないよ。特別な力なんて、持っていないんだ。魔法は特別な力なんかじゃないよ。僕が今使ったのだとしたら、それは言葉の魔法だ」

「言葉の魔法……やっぱり魔法使い?」

 サファリが首を横に振ると、さらさらと銀糸が音を立てて擦れます。その音は雨の日の音色に似ていました。

 顔を寄せられ、自然をそのまま湛えたような神秘な眼差しが目の前にあり、細波のような声色と雨音のような所作の音色に、女の子は思わず魅入っておりました。

 魔法使い、という言葉に、サファリはまたさらさらと首を横に振ります。

「僕は魔法使いなんて、特別な存在じゃないよ。言葉の魔法は特別じゃない。誰でも使えるものなんだ。だからきっと、君もこれからたくさん言葉を使っていけば、覚えられる魔法だよ」

「ほんと?」

 サファリが首肯すると、母が娘の名を呼びました。女の子はすぐさま、はぁい、と華やいだ返事をして、母の方へとてとてと歩いていきます。

 お夕飯ができたから、運んでちょうだい、うん、わたし、がんばる、と掛け合う親子の姿に、サファリはその海色の目を細めました。かけがえのない宝物を見るように。そしてそれを羨むように。

 サファリには母がおりません。父が男手一つで立派に育て上げてくれたのです。男性が旅をしながら一人で育児だなんて大変だったことでしょう。それでもサファリを守り育ててくれた父には感謝しかありません。堂々と胸を張って自慢のできる父親です。

 ただ、それは裏を返せば、この目の前の女の子のように、母親と交流する時代がサファリには存在しなかったということになります。サファリは自分の母について、あまり知りません。父から聞けなかったわけではありませんが、元々口数の少ない方の父から得られた情報は微々たるものです。ただ、サファリの母はサファリが生まれてすぐ死んだと聞いていました。

 ですから、こういう母と子の交流を見ていると、らしくもなく焦がれるのです。夢想するのです。もし、自分の母が生きていたなら、このような温かい光景の中に自分もいられたのだろうか、と。

 そこで、いけない、とサファリは自らを窘めました。父と過ごした時間も充分にサファリの心を満たすものであり、かけがえのないものであることにちがいはありません。母がいたら、という夢想は、父と過ごした時間を否定するようで、あまり心地がよくありませんでした。

「おにいちゃん、はい、どうぞ」

「ありがとう」

 サファリの分の食事を運んできてくれた女の子にお礼を言い、サファリは女の子の頭を撫でました。

 父が亡くなってから、味わう機会のなかった団欒のような時間を過ごせることに感謝をし、食事に向かって手を合わせ、いただきます、と親子と共に唱えます。

 外は吹雪いて寒いけれど、確かにその家の中には温かいものが存在するのでした。

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