タロット占いを信じるということ
「今回使用する[二者択一法]というのは、現在の状況を基点として、そこから二つの選択肢の結果である[未来]と[最終予想]を導き出していく手法です」
サファリは求められずとも、占いの展開について少女に説明しました。
よくタロット占いで出てくる[最終予想]という単語ですが、これは[未来]よりもっと先の未来のことを表したり、[対応策]などを踏まえた変動した未来のことを表したりします。大抵の場合は前者の意味で用いられ、[二者択一法]での[最終予想]もその意味を持ちます。
カードをよく混ぜ、サファリは展開を始めました。まずは一番手前に六枚を一枚ずつ重ねて置きます。その左上に七枚を重ね、右上に一枚。左上のものに連なるように左上に七枚、右上のものに連なるように一枚を配置します。逆三角形の展開です。
「一番手前が[現在]を表します。[二者択一法]なので、結果は二つに分岐します。左側が[僕と旅した場合]右側が[そうでない場合]の結果となります。展開が完了したところで、解釈を始めていきましょう」
サファリの透明な声を傍らで聞きながら、少女はこくこくと頷きました。
まずは基点となる[現在]のカードをサファリがめくります。出てきたのは木に宙吊りになった、どこか滑稽な様相の青年です。それは[吊られた男]のカードでした。
「[吊られた男]の正位置。[吊られた男]は我慢や忍耐を表します。現状はつらいけれど、それに耐え忍んでいる、ということですね」
少女が目を見開き、呆然と「当たってる」と呟きました。まあ、これは占うまでもなく、少女の容姿や行動を見ていれば、自ずとわかるよえな簡単なものです。
[二者択一法]はここからの分岐が肝なのです。
「ではまず、[僕と旅した場合]の方から開けていきましょう」
「はい!!」
少女はそちら側に希望を傾けているからでしょう。サファリの一言にぱあっと表情を輝かせます。対して、サファリは無表情。自分の関わることだというのに、微塵も興味を抱いていないように見えます。
サファリの白い手が左上のカードを翻しました。出てきたカードに少女は息を飲みます。
決して、少女にそのカードの意味がわかったわけではありません。ただ、そのカードには、白い肌、白い髪、海色の目に感情を宿さない、サファリととてもよく似た風貌の天使が描かれていたのです。女性のように描かれていますが、サファリと瓜二つといっていいでしょう。
その天使は水瓶から水瓶へ、水を移し替えているようでした。──ただし、この絵柄は全て逆さまです。
「[未来]は[節制]の逆位置。[節制]は中立、安定を表すカードです。これが逆位置といって、逆さまの状態で出た場合、意味も逆さまになります。偏りや不安定。それは君の主たる目的である収入面に関する不安定さかもしれませんし、精神面に偏りが表れて、暗雲立ち込めるのかもしれません」
「そんな」
明らかに良い意味ではない解釈に、少女は思わず不安げな声を出します。悪いカード、悪い結果が出鼻を挫いているようです。
そんな少女の悲しみをつゆも汲まず、サファリはその向こう側、[最終予想]のカードをめくってしまいます。
「[恋人]の逆位置。[恋人]はその名前の通り、恋仲を示すこともありますし、この絵柄の通り、異性同性を抜きにして、仲睦まじい様子を表します。それが逆さまということは、先程と同じく、意味も逆さまになります。
君と僕とでは、旅の中で良好な関係を築いてはいけません」
サファリの冷たい断言に、少女はひゅ、と息を飲みます。その顔は色をなくしていました。
サファリが静かに投げかけます。
「何事も君の思い通りにばかり行くわけではないですよ。そんなこと、君がよく知っているのではないですか?」
サファリの一言一言が耳に刺さって痛いです。けれど、少女はふるふると首を振り、毅然としてサファリを見上げます。
「まだ占いは途中でしょ? そうじゃない未来の方が、もっとひどいかもしれない」
少女の覚悟のこもった視線を受けて、サファリは何故だか、ひどく悲しそうな表情をしました。少女はまだ開かれていないカードたちを見ていたため、それを知ることはありませんでしたが。
「そうですね。そうでした。続けましょう」
サファリの声は海に降り注ぐ細い雨のように心地よく耳朶を打っていきます。
さあ、今度は[そうでない場合]の[未来]です。
「[戦車]──これは物事が勢いよく進んでいく様を表すカードです。騎士が馬車を走らせている理由は、味方の元へ援軍に行くためですので、味方となってくれる人や君を支えてくれる人が現れるのかもしれませんね。これは逆さまじゃないので、意味はそのままです」
「その味方って、あなたじゃないの?」
「おそらく。僕と一緒じゃない未来でしょうから」
サファリから放たれた言葉に、少女は衝撃を受けました。[そうでない場合]とはつまり[サファリと旅をしない場合]と頭では理解していたはずですが、いざ本人から、その未来に自分は介在しないだろうと宣言されると、心が受ける衝撃は想定より大幅に大きいものとなります。
そんな少女の心に追い討ちをかけるように、[最終予想]で出てきたのは、お日さまの下で幸せそうに笑う男の子の絵でした。[太陽]の正位置です。絵を見ただけでわかります。こんな幸せを前面に押し出した顔の男の子が、悪い意味を持つわけがないのです。
「[太陽]は見ての通り、幸せや安定した未来、ちょっと将来的なことを言うなら、結婚なんて意味も持つカードです。何事も円満に収まると読んで良いでしょう」
サファリは感情の読めない海色を少女に向けます。あたかも無垢であるかのように、こんな問いかけを投げます。
「こちらの結果の方が見るも明らかに良いと思いますが、どうしますか?」
少女はしばらく愕然としていましたが、[太陽]のカードと逆さまの[恋人]を交互に見て、やがて意を決したように、サファリと向き合います。
「どんな困難が待ち受けようと、わたしはあなたについていきます。連れていってください」
丁寧に頭まで下げた少女をサファリは温度のない目で眺めました。置物を眺めるみたいな、関心も何もない目です。
「では、駄目です」
「なんで!?」
あっさりと拒絶され、少女がびょん、と顔を跳ね上げました。ぶつかりそうになったところを、さりげなく避けます。
サファリはそこから少女の眼差しにずい、と深く透明な眼差しを寄せ、細波のような声で告げます。
「最初に僕は言いました。[僕の占いを信じられないときにだけ、ついてきてください]と。けれど君は結果を見た末、[どんな困難が待ち受けようと]だなんて言うじゃないですか。それは僕の占いで出た[節制]の逆位置の解釈を[信じている]ということです」
「そんなの、こじつけじゃないですか! それに、あなたのその[占いを信じられないとき]のことだって、わたしは了承していません」
サファリの口八丁に負けじと少女は言い返します。それでも、サファリは一ミリとて揺らぐことはありませんでした。
恐ろしく抑揚のない声で、少女にとっては残酷な言葉を紡ぎます。
「君の了承なんていりません。僕を信じる信じない如何の話は君がついてくるにあたって、僕が[条件]として提示したものです。これまでも様々なお店の手伝いをする上で[今日一日限り]とか、[給金はこれくらい]とか、雇うのに条件を出され、それを全て飲んできたはずです。[僕の占いを信じられないとき]というのは、僕が出した君を雇う上での条件です。こんなたった一つの条件も守れないのなら、君と旅をするどころか、商いもできません」
つらつらと述べられたのは反論の余地もない正論です。それでも少女はサファリという少年を諦めきれないようで、まだまだ言い返してきます。
「そんなの、滅茶苦茶です。雇用条件云々が重要なのはわかります。でも、雇用関係って、雇う側も雇われる側も信じることでこそ成り立つものじゃないんですか? あなたの出す[信じない]という条件は、そもそも雇用関係というものから破綻しています」
威勢のいいことです。が、サファリは少女とさして年の差のないような見た目をしていますが、その見た目からは想像できない年月を過ごし、それに見合った経験を積んでいます。
それに、サファリの中に刻み込まれた商人としての心得がサファリの言葉の芯として通っているのです。
カードを仕舞い、サファリは姿勢を正して、真っ直ぐに少女と向き合います。
「いいですか、世の中には雇用上の信頼関係とか、そんなものは絶対的に存在しません。商いというのは特に、売り込むときに過度な脚色や嘘と本当を交えて相手を信じさせる、人を騙して生業を立てる側面があります。
僕のような根っからの商人の言葉を簡単に信じてしまうような君のような真っ直ぐな心根の子に僕の側での仕事は合いません。僕のためになるどころか、僕の足を引っ張るような存在になる子を、僕は連れて行こうと思いません」
そうして、サファリは一人の夢ある貧しい少女を突き放したのです。
それが昨日の街での出来事。あれからサファリは急ぎ荷造りをして、街を発ちました。少々忙しなく準備を整えたため、サファリは疲れているようです。ですから、ツェフェリ作の貴重なタロットを無防備に風に晒してしまったのでした。
その中から飛び立った[恋人]のカードは、風にゆらゆらと身を委ねながら、サファリの所業について文句を垂れ続けます。
「あれはひどいよ。女の子の夢を完膚なきまでにぶち壊すサーちゃんのやり方はいけ好かない!」
「同感同感! 多感な年頃の女の子に無情な現実を突きつけることの、なんとむごたらしいことか。サーちゃんの神経を疑うよ」
「ぜーーーーったいに、サーちゃんと恋人なんかになるより、もっといい人やいい男がたくさんいるって! 女の子は悲しいだろうけど、泣いちゃってたけど、あんな男に誑かされないで済んで、未来は明るいよ」
「やはり、お二人もそう思いますか?」
「うんうん、そうとも──って、え!?」
介入してきた聞き慣れた声に[恋人]は驚きます。[恋人]のカードはがさ、と木の枝に引っかかったのですが、それを見つけて手にしたのは、なんということでしょう、サファリなのでした。
二人の悪口をなんでもないことであるかのように爽やかに肯定する美少年は、[恋人]を見てにこりと笑いました。
その表情に[恋人]の二人は悟ります。サファリにとって、[恋人]の二人が憤慨し、サファリの元から離れようとすることまでお見通しで、サファリはわざと無防備にカードを晒し、更にはわざわざ[恋人]のカードを一番上に置いていたのです。サファリにはタロットたちの声が聞こえますから、寝たふりをしていて、[恋人]が去っていく声は筒抜けだったのでしょう。
なんと周到で意地の悪い持ち主なのでしょう。けれど、いけしゃあしゃあと彼は告げます。
「でも、あなたたちが言うのであれば、彼女が僕の恋人になれないのは確実なことでしょう」
サファリの満足げな声に[恋人]はくーっと悔しい気持ちを露にします。
「わざわざ[二者択一法]なんて選択肢の少ない展開を選んで、こんな結果になることまで、サーちゃんにとっては想定済みだったのね! この人でなし!」
その罵倒にサファリはひょいと肩を竦めて答えます。
「先見の明あってこその行商人ですからね」
そんなことをさらりというサファリには怒りを禁じ得ません。
が、さすがはツェフェリの目に留まっただけのことはあり、タロットたちを完全に使いこなしています。幾千幾万の文句があろうと、それだけは認めざるを得ません。
それはそうと、その夜[恋人]たちがサファリに対する文句の数々を投げつけたのは、また別のお話です。