タロット売りが不機嫌だったり
北の街を出て、森を抜けていく荷車がありました。たくさんたくさん荷物の積まれた荷車を引くのは小さな男の子です。
荷物の支柱代わりにされた看板には[行商人サファリ=ベル]とあります。そう、彼こそは世界を股にかける[ベルの行商人]なのでした。その名を築いたのは彼の父で、彼はその看板を引き継いだのです。
北の街にはサファリの友人が何人かいます。服屋のレイファ、狩人のサルジェ、そしてタロット絵師のツェフェリです。サファリは旅の者で、北の街は最果てですから、なかなか会えません。そんな人たちとの久しぶりの再会でした。
が。
「……」
サファリはその流麗な面差しで、目を据わらせています。碧とも翠とも形容しがたい目にかかる白い睫毛が美しいですが、誰に指摘されなくとも、彼が不機嫌であることは明らかでした。
サファリは雲を紡いだような白髪に、海のような目を持ちます。小柄ながらにすらりとしていて、頭の先から爪先まで、どこか一部でも視界に入ったなら、魅入ってしまうような魅力的な容姿の持ち主です。そもそも綺麗な人は怒っても綺麗などとは言いますが、怒りに満ち満ちているサファリの姿は迫力があり、声をかけがたいものがあります。
「あのぅ……」
そんな中、サファリに声をかける猛者が一人。いえ、一人というのは、正しい表現ではないでしょうか。辺りは森。誰もいません。
頼りなさげな青年の声はサファリのウエストポーチの中からしました。サファリは立ち止まり、ポーチの中から鮮やかなオレンジ色のタロットケースを出します。夕焼け色に塗られたケースから出したカードの中から、一枚を選び取り、サファリはにこりと微笑みます。
「何かな、[魔術師]くん」
ぎくり、と空気が固まったような心地がしました。
サファリによって取り出されたのはタロットカードのナンバーⅠ[魔術師]のカードです。ツェフェリが最初に手掛けたタロットカードは摩訶不思議な喋るタロットなのでした。
[魔術師]のカードに描かれているのは金貨、聖杯、短剣が置かれたテーブルの側で佇む杖を持った青年です。故に[魔術師]のカードからは青年の声がします。
[魔術師]はしまった、と思っていました。やはり、今のサファリに話しかけるべきではなかった、と声をかけてから思いました。だってサファリの苛々がカードに触れる手からまで伝わってきます。
けれど、サファリは沈黙を許しません。
「何かな、[魔術師]くん」
笑顔の圧が強いです。まあ、一度話しかけたのですから、続きを言ってくれないと、落ち着きませんよね。
[魔術師]は思いきって疑問を口にします。
「ツェフェリ殿と会えたのに、なんだか不機嫌ですね? 何故ですか?」
「ふーーーーーーーーん? 君がそれを聞くんだ。ふーーーーーーーーん?」
サファリの声のトーンが普段の二倍くらい低くなりました。サファリは細波のような声をしているのに、今の声は大波です。
つついてはいけない藪をつついたことに[魔術師]は気づきましたが、時既に遅し。[|魔術師]はカードなので、勝手に逃げることもできません。
サファリはにこにこにこにこと、[魔術師]を見つめました。
「じゃあ[魔術師]くんに聞いてもらおうかな。そんなに聞きたいんじゃあ、仕方がないよね。僕がなんで怒ってるのか。ね。次の街まで随分あるもの。北の街まで行く旅人なんてそういないことだし、独り言も心置きなく喋れるもんね。うん、そうしよう」
「あの、主殿……?」
「なぁーんでツェフェリの口からサルジェとのあれやこれやの惚気の数々を聞かされなきゃなかったのかなあー? んん?」
ああ、やっぱり。[魔術師]が表情を動かせたなら、げっそりとしていたことでしょう。
サファリは本人たちの前では表情に出しませんが、ツェフェリに恋心を抱いていたのです。一緒に旅をしようと口説き、手段を選ばず、ツェフェリをものにしようと画策だってしたほどです。ですが、当時タロットたちの主であったツェフェリは自分が他人に向ける好意、好意の優先順位と真剣に向き合い、最後にサルジェを選んだのでした。
誠実なツェフェリの選択にサファリは納得しています。納得はしていても、恋敵との惚気話を延々と聞かされるのは苦痛です。サファリはツェフェリに未練がありますから、茶化すこともできません。
以前、もうツェフェリみたいに好きになれる子なんて現れないよ、とサファリは寂しそうに微笑んでいました。サファリにとっては最初で最後の恋、くらいの覚悟だったのだと思います。
「僕のこんなねちっこい執着心まみれの怨念みたいな未練をツェフェリに見せるつもりは毛頭ないけれど、あの子僕を振ったってことをお忘れでない? 僕ちゃんと告白したんだけど? したよね? まさか伝わってなかったってことなの? いやいや」
ツェフェリはきちんとサファリの好意について考えた上で結論を出したはずです。まあ、サファリが結構引きずっていることは想定していないのかもしれません。
ツェフェリの中でサファリ=ベルという人物がいかに美化されていたか、タロットたちは知っています。それこそ、サファリの存在はツェフェリの生き甲斐といっても過言ではありませんでしたし、きっと今もそうでしょう。
ツェフェリのサファリへの好きは少し高次元だったのです。サファリは自覚しているのか、いないのか、神秘的な魅力の他に神秘を感じ取れる能力を持っています。そうでなければ、心を許していないタロットたちの声など聞こえるはずもないのですから。
「サルジェの料理は美味しいだの、サルジェのおかげで料理のレパートリーが増えただの、サルジェに服を買ってもらっただの、口を開けばサルジェサルジェサルジェですよ。サルジェさんのことは嫌いじゃないですけどね、僕だって悔しくないわけじゃないんですからね」
「それはツェフェリ殿だってわかって」
「わかっててあれだったらさすがに引くよ? 間違いない。素だよ、あれ。君だってわかってるんじゃないの? 下手な慰めなんてしなくていいよ。僕は僕の話を聞いてほしいだけなんだから」
誰もいないのをいいことに、サファリは[魔術師]を上着の内ポケットに仕舞って、くどくどくどくどと話し続けます。
「ツェフェリが幸せなのは嬉しいよ。嬉しいけどね、それを見せつけられる僕の気持ちも考えてほしいなあ。言わないけどさあ。言わないからここで話すんだけどさあ」
カードケースをポシェットに仕舞い、荷車を引いてサファリは歩き出します。
「料理なら僕だってできるよ! 可愛い洋服だって手に入れられるよ! キャペットさんと知り合いだから、本を読むのにだって困らないよ! 大概の娯楽はできるし、何ならツェフェリが遊び暮らしてたって一生養うくらいできるしやるよ! っていうか今もツェフェリのために歩いてるんだし!」
そう、サファリはツェフェリから新作のタロットカードを受け取り、ツェフェリが欲しがっていた絵の資料を渡して街を出てきたのです。ツェフェリがタロット絵師として売れるためにはサファリがきちんと売り歩かなければなりません。だからサファリは森を越え、山を越え、次の街に向かうのです。
恩着せがましくしたいわけではないですが、むかむかするものはむかむかするのです。サファリだって、人間なのですから。
「サルジェ殿に嫉妬してるんですか?」
「してるよ! むしろなんでしてないと思ったの?」
ああでもない、こうでもない、と内ポケットの[魔術師]にサファリが思いの丈をぶつける少々愉快な旅路は次の街まで続くのでした。
延々と怨みつらみを聞かされた[魔術師]が、くたびれたのは、語るべくもないでしょう。