タロットたちと旅に出る
ツェフェリは失意の中、村を歩いて回っていました。[虹の子]であるツェフェリは通りすがるだけでも幸運をもたらすと信じられていたのです。それが譬、真実であろうとなかろうと、それで飢えた人々の活力になるのなら、ツェフェリは存在するだけで意義があると言えるでしょう。それが[偶像崇拝]というこの村の文化で、偶像であるツェフェリのあるべき姿なのですから。
──どうしても、思ってしまいます。どうしてこんなことになってしまったのだろうか、と。無論、今回の凶作について、ツェフェリに責任はありません。けれど、ツェフェリは自分の作ったタロットによって運命が定められてしまったように思うのです。
あの男の子のした六芒星法、よく考えてみると、全て逆位置なら、辻褄が合うのです。
タロット占いには、正位置と逆位置という概念が存在します。正位置というのは文字通り正しい向き、逆位置というのは逆さに出たカードのことを示し、大抵のカードは正位置と逆位置で異なる意味を持ったり、真逆の意味を持ったりするのです。
それを踏まえてあのときの占いを振り返ってみましょう。
[過去]は[世界]の逆位置。調和や平和を意味する[世界]ですが、逆位置だと意味が逆になり、平和や安定、調和が上手く取れていないことを示します。
続いて[現在]の[力]の逆位置。正位置ではライオンを恐れずに御す少女の姿から理性ある力を示しています。それが反転した場合、少女が示す理性ではなく、ライオンが強調する感情が剥き出しになった状態を示し、感情の制御ができないことを意味します。
さて、[未来]の[太陽]の逆位置。安定した幸せから一変、不運に恵まれることを暗示した未来を暗示します。幸福にはなれない、ということになるのです。
そこから、[周囲の状況]の[戦車]の逆位置の意味を考えていくと、やはりよくないことを暗示していることが伺えます。[戦車]の絵は物事が勢いよく進むことを示しています。それが逆となったなら? ──物事の停滞、行き詰まることが予想されます。また、[戦車]は味方の元へ援軍に向かう様子を描いているカードで、味方に恵まれる、という意味も含まれます。つまりそれが逆位置ということは味方が必要なこの状況に手を差し伸べてくれる者は現れない、とも受け取れます。それは一つの村で完結してしまっているこの村の未来が閉ざされていることを表すのでしょう。
[潜在意識]は[隠者]の逆位置。慎重さを象徴するカードですが、これは逆位置になると慎重さが悪い意味で捉えられ、[神経質]を意味するようになります。張り詰めすぎている、という捉え方ができるでしょう。
[対応策]は[愚者]の逆位置。単純思考、最初に立ち返るという意味としてツェフェリは捉えていましたが、逆位置になるとこのカードも悪い方の捉え方になり、[無鉄砲]を表すのです。考えなしで進んでしまうこと、これは一見してそうしない方がいいように思えますが、深く考えすぎた方が行き詰まってしまう、ということを対応策として示していたのです。
そして[最終予想]で出た[女帝]の逆位置。豊穣を示すこのカードが逆位置ということはもはや語るべくもありません。豊穣に恵まれないのです。まさしく今の村の状況そのものです。
ツェフェリはタロット占いにおける基本中の基本を忘れてしまっていたのです。
タロット占いは占い師と同じ向きから見なければならない、という。
そう、ツェフェリは男の子と反対側から展開を見ていたのです。
「ボクのせいだ……」
ツェフェリはタロットカードを眺めながら呟きました。けれど、占ったのはツェフェリではありません。そもそも、占いなんて不確定なものに期待する方がおかしいのです。故に、ツェフェリには何の責任もありません。けれど、ツェフェリはそう思わずにはいられませんでした。
「主殿のせいなわけあるか!! 主殿は何も悪くない」
「そうだよ、つぇーたん。あの子が僕らを使いこなせなかっただけじゃん」
「そう言って、使い手を選ぶの……?」
ツェフェリの仄暗い声に[太陽]の男の子が不安そうな声を上げます。ツェフェリは影を孕んだ声のまま告げました。
「そうやって、人を選んで、気に入らなければ不幸にするの!?」
ツェフェリの叫びに驚いた[太陽]の男の子は泣き出してしまいます。
「ちがうもん、ちがうよ、つぇーたん……」
「主様……」
[運命の輪]の天使がツェフェリをたしなめます。
「我々には人を不幸にする力などありません。あるのは占いの道具として、使い手の力量を元に未来を占う力だけです。それに、タロット占いには[対応策]などの逃げ道があります。見落としさえなければ、不幸を避けることができるのです」
それはツェフェリもよくわかっていました。言われなくても。あのとき[対応策]に出た[愚者]の読みを間違えていなければ、どうにかなったのかもしれないのですから。
「……使い手の能力不足だっていうの?」
「酷なことを言うようですが、そうなりますね」
そう、タロットの解釈は使い手によって変わるものなのですから。正しいものとそうでないものを取捨選択できるかは、やはり使い手にかかってくるでしょう。
「主殿、そう嘆くな。誰しも人生での過ちは一度や二度では済むまい。主殿も人間、ということだな」
「人間……」
渋い声で励ましてくれたのは[悪魔]でした。その言葉にツェフェリは胸を衝かれます。
それもそうでしょう。ツェフェリは今まで[虹の子]だの[神の子]だのと担がれて、思えば普通の人間扱いなど、されたことがなかったのですから。
「……そっか、ボクは人間なのか」
タロットたちに目を落とします。[悪魔]が胡乱げに、何を当たり前なことを、と呟きました。ツェフェリは嬉しげに笑います。すると、主殿が笑ったとてんやわんやの大騒ぎ。興奮冷めやらぬ[悪魔]に[太陽]の子どもがちょっかいかけます。
[正義]の女神がツェフェリに声をかけました。
「エリーさまは一人で抱えすぎなのです。せっかく一人ではないのですから、私たちを頼ってくださいませ」
「うん、ありがと」
一人ではない。その言葉がどんなに安堵をもたらしてくれることでしょう。サファリがいなくなってから、ツェフェリは以前に戻ったと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
サファリとの交流の過程で、ツェフェリはタロットたちという仲間を新たに得たのです。普通の人には彼らの声は聞こえませんが、それでもツェフェリは作品に命を吹き込めたような気がして──毎日毎日お祈りするよりも実になることを見つけられた気がして、タロットを描くのは素晴らしいことだと、タロット絵師を目指すことに決めたのです。
タロットはツェフェリに夢を与えてくれました。そして今、温もりを教えてくれたのです。
……家族がいないから、ツェフェリにはわからないことでした。ツェフェリには、両親がいません。気づいたら、教会で育てられていました。
ふと、気になりました。
「そういえば、ボクのお父さんやお母さんって、どんな人なんだろう?」
村を見て回って、名乗り出る人物はいないので、想像したことがありませんでした。それは両親が教会の手前、一歩下がっているのか、はたまた別な理由があるのか……
「占ってみてはいかがでしょう?」
[運命の輪]の天使の提案に、それもそうだね、とツェフェリは頷きます。しかし、どうやって占ったものか。
考え込むツェフェリに、[女教皇]が案を提示します。
「[一枚引き]はいかがでしょう?」
「あ、一枚だけでも占えるんだっけ」
[一枚引き]とはその名の通り、一枚だけ引いて解釈する簡素な占いの手法です。ツェフェリはサファリから占い方をいくつか手解きされていたので、難しい方ばかりに気が向いていましたが、簡単なことを知りたいなら、[一枚引き]でもかまわないのです。
まあ、両親のことに思いを馳せるといっても、ツェフェリは両親の顔も覚えていないので、かなり気になる、というほどではありません。そうですね、せいぜい気にして……安否くらいでしょうか。どこかで幸せに暮らしているのなら、それでいいのです。ツェフェリのことを忘れていたとしても、幸せなら。[神の子]、[虹の子]と祀られて、普通に暮らすための足枷になっていたら、その方が嫌です。
それでは両親の安否確認をしよう、とツェフェリはタロットを切り、簡単に祈ります。自分の知りたいことを意識するのです。[こうだったらいいな]、とか、一度にいくつものことを考えないのがこつです。雑念が入らない方が、タロットたちも占いやすいのだとか。
両親の安否確認をしたい、とだけ頭の中で唱え、ツェフェリはタロットの中から適当に一枚引きます。
出たのは。
──[死神]。
「……え?」
[死神]はその名の通り、[死]を意味します。それを知っていたが故に、ツェフェリは理解できませんでした。この[一枚引き]が示す答えを。思考が止まってしまったのです。
ただ生きていてくれればいいな、と思っていたのに。──死?
「まさかね」
まあ、ツェフェリもそこそこの年齢になっていますから、両親が早逝している場合もあるのかもしれませんが、幸せを願った身としてはあまりにもあっさり告げられた死を受け入れられるはずもなく。
「お父さんの安否を」
[死神]。
「お母さんの安否を」
[死神]。
容赦なく出てくる骸骨にツェフェリは混乱しました。
父も母も死んでいる……?
「……帰ろう」
ツェフェリはそれから真っ直ぐ教会に帰りました。その間、タロットたちは誰一人として喋りませんでした。
それを不穏の予兆とは捉えません。考えたらいくらだって、不穏に取れるからです。[死神]のカードが出た時点で。
ツェフェリは礼讚室でタロットを広げました。礼讚室はこの教会の中ではツェフェリの第二の私室となっているため、誰もいません。
好都合に思いました。これから始める占いは、今までのものと比にならないくらい、ツェフェリにとって重要で、場合によってはこの先の未来を定めるかもしれないものだったから……誰にも邪魔をされたくなかったのです。
「主さま、何をするのですか?」
[運命の輪]の天使が尋ねます。ツェフェリは祈るようにタロットたちを胸に抱いて、告げました。
「……ボクの両親のこと」
生きていてほしい、という感情はもうツェフェリからは流れてきていませんでした。タロットたちはツェフェリによって作られ、ツェフェリの精神に最も感応します。だからこそツェフェリの思いがわかり、またその達観を悲しく思うのでした。
──お父さんとお母さんはもう死んでいる。それは変えようのない事実。それなら、[何故]そうなったのか、ボクは知りたい。
──シスターたちが、ボクに隠している真実を。
そんなツェフェリの思いがツェフェリの繊細な指先から流れるようにタロットたちに伝わってきます。タロットに描かれた者たち全員が、なんとも言えない思いを抱えました。
タロットたちは神様ではありません。使い手の力に応じて相応に明瞭な未来を示しますが、解釈の仕方は使い手次第ですし、正しい解釈なんて、カードたちにはわからないのです。
だからこそ……自分たちがツェフェリの前に残酷なまでの[真実]を示すことが恐ろしいのです。
ツェフェリは沈黙の中、展開を始めました。どうやら[六芒星法]を使うようです。真ん中から三角形、逆三角形を描くように並べ、一枚を最後に真ん中の山に置きます。
しん、と静まり返った礼讚室は緊張感に満ちていました。
ツェフェリは順番にカードを開けていきます。
「[過去]──[死神]の正位置」
唱えて開いたカードを置きます。黒装束で大きな鎌を持った骸骨。その物々しい名前の通り、[死]を表すカードです。[一枚引き]で出たのもこのカードです。
ツェフェリは淡々と解釈しました。
「お父さんとお母さんはとっくの昔に死んでいる。死因はわからないけど」
次は現在。
めくられたのは、巨大な塔が雷に打たれて崩れていく様子──が逆さまになっています。
けれど、ツェフェリは逆さまなままで解釈を進めていきます。タロット占いはカードの向きも解釈において重要になってくるからです。
「[塔]の逆位置……[塔]はタロットカードの中で唯一正位置も逆位置も悪い意味を持つカード。正位置の場合は自分がやったことで悲劇に見舞われることを示すけれど、逆位置は……周りに巻き込まれた結果の悲劇、を表す」
つまり、ツェフェリが教会にいるという現状は[悲劇]であり、それを引き起こしたのは、占う対象であるお父さんでもお母さんでもなければツェフェリ自身でもありません。
ということは。
「……教会の人が無理矢理ボクを両親から引き離した。そのせいで……」
三枚目をめくります。
[審判]。天使がラッパを吹き鳴らし、洞穴で待つ人々に復活を告げる様子のカード。──が、逆さまです。
「再起不能になった。死んだ。……もしかしたら、殺されたのかもしれない」
「主さま……」
「つぇーたん……」
[運命の輪]の天使と[太陽]の男の子が心配そうに声をかけます。他のタロットたちにもひしひしと伝わっていました。
今まで信じていた人たちの蛮行と裏切られた落胆。悲しみ、憎しみ、何より怒りが大きかったのです。家族を、勝手な理由で奪われた。そのことがどうしても許せなかったのです。
「……一度始めた占いは、最後までやりきらなきゃ」
ツェフェリの言葉に返す者はありませんでした。返す言葉など、あったのでしょうか。
一度始めた占いは、最後までやりきらないと──それはツェフェリにタロット占いを教えたサファリがツェフェリに特に念押ししていた事項でした。
投げ出したところで、未来は変わりませんし、途中でやめたら、変えられるかもしれない未来を、可能性を投げ出すことになります。
希望かどうかはわかりません。けれど、可能性がある限り、諦めてはいけません。サファリはツェフェリにそう教えました。それは正しいのでしょう。
四枚目。[周囲の状況]は[戦車]の逆位置。味方がいないのでしょう。物事が上手く立ち行かないということも示しているのかもしれません。
どれだけツェフェリに親切に接しようと、所詮はただ祭り上げただけの偶像。大切に思うことなんて、ないのかもしれません。
「次は潜在意識……」
それは[世界]でした。これは平和や調和を表します。おそらく、このままツェフェリを[虹の子]として祭り上げておいた方が安寧を得られる、と考えているのでしょう。望んで、ツェフェリの両親はツェフェリを教会に引き渡したのでしょうか。だとしたら何故、殺されたのか、気になるところです。
ツェフェリの顔はもう蒼白になっていました。両親が殺されたという事実だけで、ツェフェリはいっぱいいっぱいなのです。
[対応策]をめくります。そこには[悪魔]が佇んでいました。[悪魔]は誘惑を意味します。
「誘惑……思うがままに行動すれば、道が拓けるってこと?」
そして、[最終予想]は──
「ツェフェリさま、そのお姿は……!?」
振り向いたツェフェリは、いつもの質のいい服ではなく、マントを羽織った旅人の装束でした。そこで何より目を引いたのは七色に変化する目──ではなく。
ばっさりと切られた鶯色の髪でした。
ざっくりと切られたところを見るに、ツェフェリが自分で切ったのであろうことが伺えます。
「ツェフェリさま、何故」
「ボクはもう、[虹の子]をやめる」
「ええっ!?」
大変な発言をしているというのに、ツェフェリは清々しい表情をしていました。
「ボクがここにいたら、この村はいずれ壊れる。だからボクはこの村を出ていく」
「そんな急に」
「ボクの占いでそう出たんだ。結果を疑うの?」
誰も、反論できませんでした。これまで崇拝して煽てて、今更否定するなどちゃんちゃらおかしい話なのです。だから誰も反論できませんでした。
ツェフェリもそれを知っていて、わざとそう言ったのです。
本当はこんな搦め手なやり方は好みませんが、ツェフェリの決意は揺らぎません。
「じゃあ、さよなら」
ツェフェリは村を出ていきます。一文なしですが、なんとかなるでしょう。タロットたちと共にいれば。
いつか、タロット絵師になって、儲けてやればいいのです。サファリならきっとそう言うでしょう。
……占いの最終予想で出たのは[運命の輪]の逆位置でした。このままだと、歯車の噛み合わないまま歪な未来へと進んでいくことになります。だからツェフェリは、兼ねてより望んでいた[この村から出ていく]という誘惑に従ったのです。
置き土産はツェフェリの髪です。奉るなり何なりと好きにすればいいでしょう。
ツェフェリは引き慣れない荷車を引きました。運動らしい運動をしてこなかったツェフェリには重いものですが、それでもゆっくりと村を出ていきます。
少し金目になりそうなものを積んだので、どこかで売って路銀にしましょう。
これがツェフェリの旅の始まりでした。