タロット売りの即興占い
短い短いお話の小さな小さな街角で、少年少女がごっつんこ。二人は恋に落ちました。
サファリが読んだ、そんなお話。サファリは本をぱたんと閉じると、お店に返しに行きます。正確にはお店ではなく、本を無料で貸し出す移動図書館です。
「巷ではこういうものが流行っているんですね」
「入手するのが大変だったよ、まったく」
くたびれた風に肩を竦めて、サファリから本を受け取ったのは、オフゴールドの癖毛が特徴的なおばちゃんでした。いえ、手がしわくちゃで節榑だっているので、おばあちゃんでしょうか。まあ、どちらでも良いのです。こと、女の人の年齢については触らぬ神に祟りなし、ですからね。
そのおばちゃんは移動図書館を運営している世界的に有名な人です。車輪のついた蔵書でいっぱいの書架。そこにカウンターがついていて、おばちゃんはそこで本の貸し出しをしているようです。車の上にはレトロな雰囲気の木の看板がかかっています。
「そういえばキャペットさん、後継の方は見つかりましたか?」
「見つかっていたらこんな寂れたばばあがカウンターなんぞ出とらんよ」
[キャペット道端図書館]というのが、看板に書かれた名前です。車体の緑色、看板の焦げ茶色、文字のオレンジ色がポップでありつつ、レトロな雰囲気も醸し出す、不思議な車でした。この[キャペット道端図書館]こそが移動図書館として有名な無料で本を貸し出してくれるお店です。[移動図書館]として世界的に有名で、歴史もそれなりにあります。今の店主のキャペットは本の虫で移動図書館が来るたびに車に張りついて、新しい蔵書を読み漁っていたところを前の店主に引き継がないかと言われて、移動図書館を運営するようになりました。キャペットというのは移動図書館運営者としての名前で、実名ではありませんが、キャペットはもう何十年もキャペットと名乗るうちに、本当の名前を忘れたと言っています。
そんなキャペットもいい年です。そろそろ後継を探さなくてはなりません。名が売れてしまったものほど、途絶えさせるのは惜しまれるもの。途絶えるのを誰よりも惜しむのは、当然、運営してきた本人です。
移動図書館、ということもあって、様々な街に知り合いはいても、一つ所に留まるような質ではありません。キャペットもまた、サファリと同じく、旅から旅への根なし草の者でした。キャペットとサファリの違いは、賃金の発生云々でしょうか。
サファリは[行商人]であるからにして、商品を売らなければなりません。商品のやりとりには当然お金の動きが発生します。行商人に限ったことではなく、商人というのはそういうものです。
一方キャペットは本の貸し出しを無償で行っています。何故商売でなく成り立つのかというと、貸し出した本は必ず回収するから、というのと、本という知識や娯楽は古くから人々に求められ、一般には入手困難であるからです。入手困難なものを期限つきとはいえ無償で貸し出す移動図書館は大変重宝されており、どんな村でも街でも、移動図書館が来たなら、滞在中の衣食住は無償で提供するという暗黙のルールがあるのです。本から得られる知識や知恵はたくさんあり、人々の生活の役に立ちます。けれど、本を普通の人が入手するのは困難なのです。娯楽品である本は日用品よりもお高めで、一般人にとっては高嶺の花なのです。
蔵書に恵まれているキャペットの移動図書館はどんな街でも歓迎されました。では、キャペットは一体どうやって本を入手しているのでしょうか?
それはサファリのような行商人と時折落ち合って、取引をしているからです。商人が街や村で栄えるためには、まず、その街や村の人々に知識がなければどうにもなりません。村人が言葉を理解していなければ、商いが成り立ちすらしないのです。商人は無償で何かを与えるほどお人好しばかりではありません。知識を与えるのにお金をぼったくる悪徳商人だっています。
そこで移動図書館の出番です。移動図書館が無償で与える知識や知恵が、志ある誰か一人にでも伝われば、その一人が人に知識を伝え、教えます。興味を持った人が本を借りて知識を得ようとします。そしてまたそれを別の誰かに教える、そういう循環ができていくことによって、街や村も発展し、商いも栄えていくようになるのです。
故に、世界の人々だけでなく、商人にとってもキャペットの移動図書館はなくてはならない存在です。流行を作るのも新しい知識からなのです。流行ができると、流行に沿ったものが売れるようになりますから、商人が安定した商売を行う一つの手立てとなるのです。
ですから今、キャペットに後継がいないのは由々しき問題でした。
「うーん、後継さんについて、気休めに占いでもしてみましょうか?」
「んな大掛かりなこたぁやらんでいいよ。アタシみたいなヤツに時間を割くより、本業に力を入れた方がいい。そんな神秘的な容姿で神秘的なことやっとったら、占い師と勘違いされるよ」
「むう、それも不本意ですね」
サファリとキャペットが以前会ったのは今はもうない海辺の村でのことです。あれから結構な年数が経っており、キャペットはベルの店主が死んだことに寂寥を覚えていました。
[ベルの行商人]の名を世界に轟かせたのは、黒人の青年、サファリの父親です。その後ろをついて回る真っ白な容姿をしたサファリは、父が黒人であることを差し引いても、かなり目を惹く子どもでした。その容姿は数年前と寸分違いません。不思議でこの世の神秘を宿したような子ども。それがキャペットの知るサファリでした。
それが占いなんて神秘のものをやってみなさい。この子はいつかの[虹の子]のように神の子として祭り上げられてしまうでしょう。父親の看板を引き継いだということは、それを絶やすことは望まないはず。そう考えたキャペットは、サファリに占いなんてしない方がいい、と助言しました。
「まあでも、絶賛売り出し中のタロット絵師と商談をしたのですよ。その名前を広めるために、簡単な占いくらいはすることになるでしょうね。それはそうと、そのタロット絵師から譲り受けたタロットカードがあるのですが、綺麗なんですよ。キャペットさんも見てみませんか?」
「へえ、アンタのお眼鏡に敵うとは興味深いねえ」
キャペットの言葉に、サファリは腰のポシェットからタロットカードを出しました。夜空のように染められたカードは夜の色でありながら、どこか透明感があり、神秘の空気を纏うサファリに非常に馴染んで見えました。
キャペットはサファリが広げてみせた中から、ひょい、と端のカードをつまみ上げます。
「ん? おや、カードが引っ付いてるみたいだよ。……崖っぷちの男と、本を持った清楚な女だ」
「[愚者]と[女教皇]のカードですね。近々、キャペットさんの前に向こう見ずでおっちょこちょいだけど、前向きで理知的な本好きの子が現れますよ」
「それも占いかい?」
「[一枚引き]という簡易的な占いの応用ですよ。気休めにどうぞ」
「ははっ、ちゃっかりしてるねえ。アンタが商人の道を選んだの、応援することにするよ」
「ありがとうございます」
キャペットへの挨拶を終えたサファリはタロットカードを手に持ち、近くの喫茶店を探しました。カードがくっついていたということで、汚れがついていないか確認したかったのです。ツェフェリの大事な見本ですからね。
一人で来るのは初めてな街で、喫茶店がないかきょろきょろ見回していると、不意に現れた人物とどん、とぶつかってしまいました。はらりとカードが一枚落ちてしまいます。
サファリはそのまま体勢を崩して、転んでしまいました。なんとか他のカードは守ります。
「いてて……大丈夫ですか?」
「あ、はい……!?」
ぶつかったのは女性でした。サファリの顔を見て息を飲みます。きっとサファリの白髪が珍しかったのでしょう。羨望のような眼差しで見られるのは昔からでした。人を惹き付ける容姿をしているサファリのことを父は心配していました。放っておくと拐われかねない美貌であるのと、子どもであることが親としての不安感を増幅させるものでしたから。
おそらく、サファリは母親似なのです。サファリの父は時折サファリにサファリの母を重ねることがありましたから。ツェフェリの[節制]のカードを見たときも驚いていましたし。
定住しようにも黒人蔑視がありますから、宿を取ることさえままならなかったサファリの父はサファリと野宿することも多かったのです。今日までサファリが平穏無事に過ごせているのは父のおかげだとサファリはつくづく思います。
人を惹き付ける容姿であろうとあるまいと、サファリは父から離れるつもりなど毛頭なかったのですが、目が合った相手が息を飲んで固まるのはよくあることでした。
「ごめんなさい。僕、この街にまだ慣れていなくて。不注意でした」
時を動かすためにそう口にすると、ああいえいえとんでもない、私の方こそ、といった返事がきました。
立てますか、と手を差し伸べ、立たせました。パッと見、怪我がないようで、胸を撫で下ろします。
サファリは商売癖で、つい女性の表情を観察します。考え事をしていて上の空だったと苦笑いしながら言い訳をする女性。笑顔の中に混じっているのは、これまで経験したことのない事象への不安でした。滲み出たそれと、女性が足元から拾ったツェフェリのカード。その絵柄を見て、サファリは得心します。
「これ、あなたのでは?」
「あ、そうですね。ありがとうございます」
「タロットカードは一枚欠けては大変ですものね」
軽い雑談として、女性が口にした言葉にサファリは微笑みを返します。
タロットカードのことを知っているのなら、拾ったこのカードの意味は知っているでしょうか。
「よくご存知で。そうそう、一枚でも欠けると、占いができなくなりますからね。ありがとうございます」
タロットカードナンバー〇[愚者]──そのカードを眺めてから、サファリは細波のような声で優しく告げました。
「あなたのような美しい方が、周りも見えないほどに思い悩むことはありませんよ。先のことは誰にもわからない。それは当たり前のことです。それでも、目標に向かって駆けていく力を、あなたはお持ちのはずだ」
このカードはあなたに必要な[思い切り]を示しているのですよ、とサファリは暗に教えたのです。
では、と軽くお辞儀をして、その場を去ります。サファリは[愚者]のカードを見ました。
「即興占い、お見事!」
「勝手に落ちないでくださいよ、[愚者]くん」
咄嗟に閃いた[一枚引き]の簡易占い。
カードの示す意味の通り向こう見ずな[愚者]のカードにサファリは苦言を呈するのでした。
その女性が向かった先が[キャペット道端図書館]だったというのは、また別のお話です。