タロット売りとあのときの村
ここからサファリが主人公の「タロット売りの占い処」パートになります。
大きな大きな村を抜け、長い長い街道を、歩いていくと、ありました。小さな小さな教会が。
[行商人サファリ=ベル]の看板を立てて、サファリは荷車を引いていました。腰のポシェットにはタロットカードが入っています。
「あれ? なんだか懐かしい感じがする」
その声はポシェットの中からしました。
サファリが持ち歩いているのは喋る不思議なタロット。北の街に住んでいるツェフェリという少女が作った一点物です。サファリはツェフェリと交渉して、このタロットを譲り受けたのでした。
「ねえねえサファリ、どこに向かっているの? 波の音が聞こえる!」
好奇心旺盛な男の子の声はタロットカードのナンバーⅩⅨ[太陽]のものです。サファリはポシェットに優しく手を当てると、波の音に似た涼やかな声で答えました。
「ツェフェリを奉っていた村の跡地だよ」
「何!?」
そこで渋い声が上がりました。憤怒を宿したその声はサファリに敵意を持っています。
「まさか我輩たちを見世物にするつもりではあるまいな?」
「それは君たちが喋らなければいいだけでしょう、でーたん」
「[太陽]の小僧と同じ呼び方をするでないわ! 小童が」
「でーたんこわーい」
渋い声の剣幕に[太陽]がおどけて、なんだかややこしい感じになりました。
でーたんと呼ばれているのはタロットカードのナンバーⅩⅤ[悪魔]です。喋るタロットの中で[太陽]と[悪魔]は特にお喋りでした。
けれど、この不思議なタロットたちの声を聞ける者は限られています。前の持ち主のツェフェリ、それから北の街の地主。サファリ以外に声を聞けるのは今のところこの二人しかいません。サルジェという狩人も声を聞けますが、タロットカードのナンバーⅠ[魔術師]のものだけです。
つまり、このタロットたちの声を聞けるというのは特別なことなのです。そういう意味では、サファリは選ばれた者でした。
しかし、鼻息がふんすと聞こえてきそうな勢いで[悪魔]がまくし立てます。
「良いか小童、我輩はまだ貴様が主を泣かせたことを許しておらんからな? そして一生許さぬ予定だ。心しておけ」
[悪魔]は前の持ち主であるツェフェリのことをものすごく慕っており、そのため、サファリと仲が悪いのです。といっても、[悪魔]が一方的にサファリを嫌っているのですが。
サファリがツェフェリを泣かせたというのは別なお話なのですが、簡単に説明すると、このタロットたちが喋るようになった事件のときに、サファリが吐いた嘘をツェフェリが悲しんで泣いたのです。仕方ないといえば仕方ないことでしたが、ツェフェリ思いのタロットたちはツェフェリの涙に大変心を痛めました。その中でも[悪魔]はツェフェリを泣かせたサファリにずっと怒っているのです。
[悪魔]のカードは憎しみの意味を持つので、恨み深いのかもしれません。
そこへ、まあまあ、と取り成す穏やかな女性の声がしました。
「[悪魔]、過ぎたことをいつまでもひきずっても、どうしようもありませんよ」
「だがな、[女教皇]よ」
「何より、ツェフェリさまが私たちの新たな担い手にサファリさまを選んだのです。何を文句が言えましょう」
知性と理性に満ちた言葉に、[悪魔]はぐぬぬ、と押し黙りました。
[悪魔]を諌めたのはタロットカードのナンバーⅢ[女教皇]です。[女教皇]はタロットカードの中で唯一絵の中に本が描かれているものとされています。そのことから[女教皇]は知性、知識の意味を持つのです。
[悪魔]が沈黙したのを見計らって、[女教皇]はサファリに問いかけます。
「ですが、私も疑問です。どうしてあの村の跡地になど向かうのですか? 少年と少女が一人ずつしか暮らしていないと仰っていたでしょう? 身を寄せあって生きる姿は微笑ましいでしょうが、貴方は商人です。商いをしに行くわけではないのですよね?」
「勿論。子どもからお金をたかるほど、心は廃れてないし、貧しくもないよ」
サファリが告げます。
「ただ、顔見知りだからね。ちゃんと生きてるかくらい、確認しても罰は当たらないでしょ」
彼の村は獰猛な動物に荒らされ、少年と少女が一人ずつだけ生き残りました。二人だけでは村を保てるわけもなく、かつてツェフェリが暮らしていた教会で自給自足の生活を送っています。
年端もいかない男の子と女の子が魚を獲ったり、食べられる植物を採取したりして生活をしているのはなかなかに逞しいことではありますが、あの近くには他に村がないので、もしも二人が死んでしまっていたら、誰も知ることができません。それに一度だけとはいえ、顔を合わせたことのある人間が通りすがりで死んでいたり、死にかけていたりするのをただ通りすぎるのも後味がよくありません。
そんなわけで、サファリは村の跡地の教会に向かっているのです。
「サファリも後味悪いとか思うんだね」
「君たちは僕を何だと思っているの?」
「嘘つき!」
「商人」
「悪魔じゃ」
「そんなにひどいことしたっけ……」
悪魔に悪魔と言われるようでは、形無しです。
そんな愉快なやりとりをしていると、教会の前に着きました。大きな教会ではありませんが、この村にあった民家と比べると、大きな建物ではあります。ツェフェリ曰く、五人くらいのシスターと一緒に暮らしていたそうなので、これくらい大きいのでしょう。
扉には鍵がかかっていません。それは教会が誰もが訪れるところだからです。誰もが神を求め、神に告解し、神に懺悔します。そのための場所である教会はある程度自由に出入りできる必要があるのです。
サファリはそっと扉を開けました。
「こんにちは」
そう声をかけてみますが、少年少女の姿はありません。サファリの声が通りにくいのもあるので、サファリは赤いカーペットを渡り、礼拝堂の中を歩いて回りました。
「あ、サファリさん」
「お久しぶり、メルトくん。チサちゃんもいるかな?」
「はい。でも今、山菜を採りに行ってます」
「それじゃあ、サプライズしようか」
そう言って、サファリは荷車から持ってきていたものを取り出しました。
チサは日がてっぺんに昇る頃に戻ってきました。今日はたくさんきのこが採れた、と得意げな笑みで教会の中に入っていきます。
すると、食堂の方からいい匂いがしてきました。チサはきょとんとします。材料がないと料理ができないから、チサが山菜を採りに行っていたのですが……
「チサちゃん」
細波のような声がして、食堂へ続く扉からひょっこりと、息を飲むほどの美貌の持ち主が現れました。
「サファリさん! いらしてたんですね」
「また来るって言ったでしょう」
サファリはすぐ、チサが抱えたかごのきのこに気づきます。
「たくさん採ってきたね」
「えへへ」
頭を撫でてくれるサファリに、チサは頬を赤らめました。チサだって女の子ですから、かっこいい男の人に褒められたら照れもします。
「ベーコンを持ってきたんだ。北の街まで行っていたんだけどね、いい肉屋さんがあったから、君たちにと思ってね」
「あ、ありがとうございます!!」
「君たちは育ち盛りだからね。魚もいいけど、たまにはお肉も食べないと」
ベーコンは焼くと香り立つのと同時、旨味が出てくるのが特徴の燻製料理です。ある程度日持ちもするので、量があってもそう困らないでしょう。
「きのことソテーにするのもいいかも。さ、メルトくんが待ってるから行こうか」
「はいっ」
チサは平静を装おうとしましたが、サファリに優しく手を繋がれて、耳が赤くなるのを隠せませんでした。
食堂に行くと、メルトがチサを見てぱあっと顔を明るくします。
「おかえり、チサ」
「ただいま」
「あ、そうだ。北の街で料理が上手い人からパンの作り方を教わったんだ。後で三人で作ってみよう」
「え、そんなにしてもらっていいんですか?」
驚く二人にサファリは軽くウインクしてみせます。
「二人が健やかに育ってくれることが、僕は嬉しいからね」
わあ、と嬉しそうに頬をぽうっとするチサの横で、メルトが少しもやもやとした表情をしていました。どうしたのでしょうか。
ひとまず今は、食事をしましょう。