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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット絵師の移ろい処
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タロット絵師たちの親とおや?

 大きな大きな森を抜け、小さな小さな山小屋にサルジェは足を踏み入れました。そこはサルジェの持ち物となっている秘密の小屋です。サルジェも滅多なことでは訪れません。立ち入り禁止区域ですから。

 では何故そんな立ち入り禁止区域に来たかというと、その山小屋に住む人物に会うためでした。

 小屋に入ると小屋の中はもわっとしていて、サルジェは溜め息を吐きました。また換気もしないで、と窓を開けます。小鳥の囀りと共に、山を流れる軽やかな風が小屋の中に入ってきました。

 部屋の端っこで、毛布にくるまっている人がいます。サルジェはそれに歩み寄って、声をかけました。

「父さん」

 その人がむくりと起き上がります。シルバーグレイの髪はぼさぼさで、髭も生え放題。無気力な黒い瞳はサルジェの姿を認めるなり歪められました。

「何しに来た?」

「何しに来たも何も、この小屋は俺の所有なんですけど」

 勝手知ったるサルジェは箒や雑巾を掃除用具箱から取り出します。

「片付けしに来ました」

 サルジェの父、つまりは北の街の前の地主はほとんど誰も来ないサルジェの山小屋で過ごしていました。過ごしている、というよりはサルジェに放り込まれたのですが。

 あの街には前の地主を恨む者が大勢います。それはいくら既知の間柄とはいえ、ランドラルフでも庇えないほどに。だからサルジェはハクアが地主になったときに、父親をこの小屋に匿ったのです。

 北の街の人々を人殺しにしたくありませんでしたし、ひどい扱いを受けていたとはいえ、サルジェにとっては父親です。街を追い出してその辺で野垂れ死なれても寝覚めが悪いですからね。

 ハクアにも許可は取っています。というか、ハクアはこの男に興味がなさすぎて、サルジェに「好きなようにしろ」と言いました。

 それで、好きなようにしているわけです。

「あーっ、また人参だけ残して! あんたガキじゃないんだから好き嫌いしないでちゃんと食ってくださいよ」

「五月蝿い。これは山うさぎたちの好物だろうが」

「生ゴミ溜めないでちゃんと山に還してるのは偉いけど、それと好き嫌いは別の話ですから」

「けっ」

「それから、道具は揃えてんだからちゃんと見てくれは整えてくださいよ」

「誰も来ないだろう」

「俺が来るんです」

 きゅっと手袋をはめたサルジェはもうお掃除モードです。割烹着姿のサルジェを見て、サルジェの父はちょっと引いています。

「お前……まだその割烹着持っていたのか」

「いけませんか?」

 緑色がベースで少し一、二本ピンクが混じったタータンチェックの割烹着。サルジェの愛用品の一つです。父には以前、人前にはこれで出るなと言われましたが、サルジェはこの割烹着を着ると身が引き締まる心地がするので、戦闘服のように思っています。

 何と戦うのかというと……家事ですね。

「……父さん、ラルフのじっちゃんから、婚約者さんのことは聞いてます」

「あんのじじい……」

 サルジェの父にはかつて、婚約者がいました。ラルフ曰く、今のサルジェにそっくりな人だったそうです。

 時が違えば、サルジェの母はアイファではなく、その人だったことでしょう。その人はサルジェの父と幼馴染みで、結婚の約束をしていたそうです。サルジェの父もまた地主の息子だったため、北の街を治めていました。

 地主の家にお嫁に行けるのは北の街においてはこの上ない幸運なことなのだとか。まあ、その伝えはサルジェの父の悪行により、忘れられてしまうのですが、サルジェの父の婚約者はその当時はとても祝福されました。

 家事全般ができる器量よし、容姿は人並みだけれど、狩人としてそれなりの腕前がありました。切り替えがはっきりした人で、革鎧を着ると狩人の顔に、割烹着を着ると使用人の顔になったと言います。

 そんな父の婚約者の戦闘服でもあったのが、サルジェが今着ている緑のタータンチェックの割烹着です。彼女のものでずっと屋敷に残っていたものでした。それ一つ以外は全部捨てました。けれど、それだけは捨てられなかったのです。

 それを着て、てきぱきと掃除をするサルジェを見ながら、サルジェの父はずっと苦虫を噛み潰したような顔をしていました。ことことと何かを煮ている鍋からは野菜の甘い香りが漂ってきます。

 サルジェは三ヶ月に一回ほど、こうしてこの山小屋にやってきて、父の世話を焼きます。それがどうにもむず痒いのです。きっと偶然であろうに、顔が彼女にとても似ているから。彼女と過ごせなかった時間を体験しているような錯覚に陥るのです。

 北の街から追い出された元地主は、たいへんふてくされておりました。自分の悪行を悪行と知っていました。何を理由にしても、それは許されないことでしょう。別に許されたいとも思っていません。

 それを……自分を最も憎むべきであろう、息子に許されたような気がして、変な気持ちになるのです。

 いつだったか、サルジェに聞いたことがあります。何故嫌われ者の自分の面倒なんか見るのか、と。義務感や変な責任感、同情でやっているのなら、拒んでやろうと思っていたのです。サルジェの父親には何がなくなっても、プライドだけは残っていましたから。

 けれど、サルジェはさらりと答えました。「やりたいから」と。自分のしたいことをしているだけ。少しは後ろめたさやみんなへの免罪符のような面もあるけれど、サルジェは父親を捨てることなんて、微塵も考えていなかったのです。

 別に、憎んでもいないし、憎むほどひどいことをされたとも思っていない、サルジェは真っ直ぐにそう告げて、シチューを作ってくれました。なんだかそのときのシチューの味が妙に舌に残っている気がします。

「今日はハンバーグですよ。甘く煮た人参なら、あんたも好きだったでしょう。作り置きはしてくけど、たまにはこうして調理してすぐのあったかいもんも食べないと」

「ひき肉が手に入ったのか」

「肉屋の奥さんと最近よく話せるようになってきてさ、お子さんが近々産まれるんだって。子どもが好き嫌いしないように、美味しい料理を覚えるんだって張り切ってんですよ」

 ああ、それは。

 サルジェの父がいつか夢見た光景でした。

「とはいえ、やけに景気がいいな」

「ん、大事な報告があるからな」

 サルジェはそう言ってから、頬を赤らめ、視線をさまよわせ……どうも頼りない様子で吃ります。

「なんだ、報告って」

 痺れを切らして急かすと、ええっと、とどうにも締まらない様子でサルジェは言いました。

「俺、恋人ができました……」

「……」

「たぶん、結婚もします」

「いやそこは言い切れよ」

 突っ込んでから、サルジェの父は、頭を掻きます。

 ぶっきらぼうに言いました。

「大事にしろ」

「勿論。今度父さんにも紹介しますから」

「はあ!?」

「それまでに身だしなみ、なんとかしてくださいね」

 言われて、慌てて櫛で髪をとかし始める父を見て、サルジェはクスクスと笑うのでした。


 一方、北の街では、喫茶店でツェフェリ、サファリ、レイファが集っていました。

「あなた、もうすぐ出立なんでしょう? 改まってわたくしたちを呼び出して、何かしら?」

 ツェフェリとレイファの視線がサファリに注がれます。サファリは不思議な雰囲気を纏っていました。商い用の笑顔も浮かべていません。赤子の肌に触れるような柔さでいて、ぴりぴりとした緊張感を伴う空気、とでも言いましょうか。

 サファリの透き通る目は、ゆらりと二人を映しました。

「二人にお願いがあるんです」

 これは依頼です、とサファリは告げました。

「僕が行商人をする目的の一つは人種差別をなくすことです。その最たるものとして挙げられるのが黒人差別。それを和らげるための一歩として、ツェフェリには黒人をベースにしたタロットを、レイファさんにはどんな肌色の人でも似合うコーディネートを考えてほしいんです」

「人種差別をなくす……大義ですこと」

 冷やかそうとするレイファの手をツェフェリが引きました。

「あのね、レイファちゃん。サファリくんのお父さん、黒人だったんだよ」

 レイファは目を見開きました。[ベルの行商人]の名を築いたのはサファリの父だと聞いていたからです。

 サファリは少し寂しそうに笑いました。

「たぶん、父さんは人種差別をなくすとか、そんなことは考えていなかったと思うし、僕にそれを求めているわけでもないと思います。でも、僕は少しでも、父さんがいたことが報われる世界にしたいんです」

「あなたがここにいるだけで、子どもとしての恩返しは充分が過ぎますわ」

「足りないんです」

 サファリが静かな中に熱を込めて、食い気味に返します。

「僕は父さんに命を拾われたからここにいます。拾われ子なんです」

「え……」

 ツェフェリが目を見開きます。レイファはある程度予想していたようでした。

 黒人の子どもが必ずしも黒人になるわけではありませんが、それを踏まえた上でもサファリは白すぎるのです。

 それに、サファリは[黒人差別]と言わずに[人種差別]と表現しました。その表現の細やかさからも、サファリの目的がはったりやただの大義名分ではないことがわかります。

 レイファはツェフェリをちら、と見やりました。ツェフェリやハクアのような[宝石色の子]は祭り上げられる存在ですが、それも見方を変えれば差別と捉えられます。それに、こちらの地方では神のように崇められても、他の地方でもそうだとは限らないでしょう。それは世界中を旅しているサファリが誰よりも知っているはずです。

「僕は拾われ子だからといって、父さん以外の人を父親と呼ぶ気はありません。まあ、実の父とやらが生きているのなら、会ってはみたいですけどね。

 僕は世界中を旅して、僕の正体を知りたいんです。父さんがくれた名前を広げながら、自分の正体を知って、父さんの正体を知って、差別の正体を知って、世界の正体を知りたい。知るために人々に知らせたいんです」

 この世界にはたくさんの人がいて、たくさんの考え方があります。

「それらを考えるのが皆等しく[人]なのだと」

「なるほどね」

 レイファは一つ笑むと、コインを一つ、サファリに差し出しました。

「その話、乗ったわ。ただし、コーディネートを考えるにはモデルが必要よ」

「ええ。いい子が見つかったら、連れてきます」

「ぼ、ボクも賛成!」

 ツェフェリは差し出すものがなくて、あわあわしていましたが、一呼吸置いて、決然と言い放ちます。

「ボクも、ボクの正体を知りたい。ボクはお父さんもお母さんも知らないから……でも、サルジェと一緒にいたいから、この街に残るけど、世界のことや、ボク自身のこと、サファリくんのことも知りたい。だから、ボクの夢を連れてって!」

 ツェフェリの言葉に「素敵ね」とレイファが呟きました。サファリもにこりと笑います。

「ありがとうございます。これで、旅に出られます。いつか必ず僕はここに戻ってくるし、いつか必ず、夢を叶えましょう」

 そんなサファリが旅をするのは、また別のお話です。

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