タロットの新しいデザイン
「それでさ、ボク、サファリくんと契約して、タロットカードを売ることにしたんだ」
「まあ、そうですの?」
そこでレイファはふと気づきます。
ツェフェリが夕陽色のタロットケースを持っていなかったのです。大事にしているタロットカードだと聞いたのですが、置いてきたのでしょうか?
尋ねると、ツェフェリはさらりと答えました。
「実はサファリくんに売ったんだ。引き取ってもらったっていうか」
「ええ!?」
レイファからすれば驚きです。サルジェと出会う前から長年愛用していたものでしょうに、いともあっさり手放すなんて。にわかには信じ難いことでした。
ツェフェリが言うには、サファリはツェフェリの名前を売るために、ツェフェリのタロットカードを引き取ったそうです。このタロットだけは売りに出さないとのことでした。サファリは[行商人のベル]として世界中に客を持っています。中にはラルフのような独特な感性の収集家からの依頼まであるとか。
確かに、そのとんでもない人脈から、ツェフェリのタロットを気に入る客の一人や二人は見つけられるでしょう。ただ、驚くべきはツェフェリがよくあのタロットを手放すことを了承したな、ということです。
いくらお金を積まれたとして、ツェフェリの人生の多くのときを、ツェフェリの周囲にいた人物より共にしてきたカードたち。ツェフェリに愛着がなかったとは思えません。
「よかったんですの?」
「うん。というか、タロットたちにはボクのちょっとした未練みたいなものを託してるんだ」
「未練?」
ツェフェリがほろ苦く笑います。
「サファリくんと旅をしたい気持ちもほんのちょっとはあったから。サファリくんのことがなくても、ボクの知らない広い世界については興味があるんだ。この街が居心地よくて、離れがたいんだけどね。そんな我が儘を聞いてもらったんだよ」
朗らかにツェフェリは語ります。レイファはカードが喋ったりはしないと思うので、サファリに土産話でも要求したのかしら、と咀嚼しました。
さて、ツェフェリがタロットを手放し、サファリにタロット絵師としてタロットカードを売るようになるということは、一つ確定している未来があります。ツェフェリはそのことをレイファに話しにきたのです。
「レイファちゃん、相談があるんだ」
「サルジェのへたれのことかしら?」
「違うよ! サルジェはちゃんとボクのこと好きって……その、恋愛的な意味でって……言ってくれたし、迷ってたボクを見守ってくれたし、その……ぼ、ボクもサルジェのこと好きだし!」
頬を赤らめ、時々恥ずかしげに声をすぼめながら語るピンク色の目になるツェフェリのなんと愛らしいことでしょう。
レイファはそれを堪能すると、聞きたいことも聞けたので満足し、ツェフェリの相談というのを聞きました。
「あのね、ボク、早速新しいタロットを作ろうと思うんだ。それで、デザインの参考にレイファちゃんの力を借りたいの!」
想定外の相談に、レイファはきょとんとします。
「わたくし、絵に造詣はないのだけれど、それでもお力になれるのかしら?」
疑問符を浮かべるレイファにツェフェリはぐい、と顔を寄せました。驚いてレイファが少し仰け反ります。
ツェフェリは拳を握りしめ、熱弁しました。
「タロットカードの大アルカナにはね、人の絵が多く登場するんだ。人が描かれていないカードの方が少ないよ。ボクが初めて作ったあのタロットたちは、ボクなりに頑張って作ったものだけど、服装の知識とかは少なかったから、今度作るカードの子たちにはとびっきりお洒落させたいの! だからお洋服の組み合わせとか、レイファちゃんの知識を貸してほしいんだ! お洒落なタロット描いてみたいし! それにね、縁取りデザインとか、カードの裏面デザインとか、レイファちゃんのお店で取り扱ってるお洋服の模様とかも参考になると思うんだよね。レイファちゃんはセンスもあるし、ボク改まってお洒落とか可愛いとか綺麗とかの勉強したことないから、協力してほしいの!」
そのツェフェリの熱量といったら、冷めたコーヒーを再び熱くするんじゃないかというくらいの勢いでした。レイファは思わず気圧されてしまいます。
けれど、同時にツェフェリもまた拘り深い人間であることがわかりました。お洒落、可愛い、綺麗を勉強したいという向上心もあります。
この相談に否やを出す理由がレイファには見当たりませんでした。何より、自分でツェフェリの仕事に力になれることがあるというのが、ツェフェリがそれを見出だしてくれたというのが、とても嬉しくてたまらないのです。
レイファは迷うことなく、ツェフェリの握られた拳を両手でぎゅっと包みました。
「勿論! あの行商人や世界中にいるやつらが目をひんむくくらいのものにしましょう!」
「ありがとう、レイファちゃん!」
と、そんなツェフェリとのやりとりを経て、レイファは今、とある人物と対面していました。
「ツェフェリのタロットを見せてほしい、と貴女に言われるとは思っていませんでした。レイファさん」
街を出る前の行商人、サファリです。
「ツェフェリのタロット、改まって見たことがなかったですから。それに、わたくしも少し、タロットに興味を持ちましたのよ」
「へえ……楽しみですね、ツェフェリの次回作」
レイファはサファリの言葉にこいつ、ともやもやしたものを覚えます。苛立ちに近いものです。
サファリという商人は、時折何もかもを見透かしたような物言いをします。実際、何もかもお見通しなのでしょう。腹が立つくらい察しがよく、未来でも見えているのでは、と思います。レイファにツェフェリを旅に誘ったと伝えたときも「誰かの望むようになりますように」などと言っていましたが、彼はあくまで自分ではなく、他の誰かが望んでいる通りになることを予見していたようにも受け取れる言い回しです。もしかしたら、ツェフェリがサファリを選ばないことも見えていたのかもしれません。その結果、ツェフェリやサルジェを始め、ハクアやレイファなど、ツェフェリとの別れを惜しむ者たちも含め、そちらの望む通りになりました。
まあ、その上でツェフェリと商談を成立させて、ちゃっかりまた会いにくる口実まで作った辺り、サファリはとんだ食わせ者です。天晴れなほどに商人というか。ただでは転ばないというか。
見せてもらっていたカードを返しながら、レイファが問います。
「あんたはそのカードが欲しかったの?」
「んー……欲しくなかったと言えば、嘘になりますね。でも、ツェフェリの願いを叶えたかったのも、嘘ではないですよ」
サファリは以前ツェフェリがいた村でツェフェリと知り合っていたと話しました。そのときにツェフェリが語った夢は二つ。
「タロット絵師になることと……僕に自分が作ったタロットを売ること。商人に自分の作品売りつけようっていうツェフェリの発想が面白くて、今でも思い出すたび、笑ってしまいます」
その証拠に、サファリは今もくつくつと笑っていました。嫌味な笑いではありません。屈託のない笑顔。商人としての愛想笑いしかできないものだと思っていたサファリの見た目年齢相応の笑みにレイファは少し呆気にとられてから、釣られて笑いました。
「本当、ツェフェリってすごいわよね。[ベルの商人]とかいう大物も手玉にしちゃうんですもの」
「ふふっ、まだまだ、これからですよ」
サファリが空を見上げて呟きます。どこかから、大きな鳥が悠々と飛んできました。
ツェフェリの名を広めるためのサファリの旅はこれから始まるのです。
「わたくしが言うまでもないことでしょうけれど、よろしく頼んだわよ」
「お任せください」
自信に満ち溢れた海を溶かしたような瞳、細波のようでいて、明瞭な声。
一時はどうなることかと絶望したりもしたけれど、レイファはこの少年が嫌いになれなくなっていました。
街の人から聞いた[大海の子]の伝承が脳裏をよぎります。
溜め息が出るほど美しく、憎たらしい彼の魅力もその謂われ故なのでしょうか。
では、と立ち去るサファリの姿が見えなくなるまで、レイファは彼を見送りました。
サファリが街を去ってから、レイファの協力の下、ツェフェリが新しいタロットの制作を始めるのですが、それはまた別のお話です。