タロット絵師の一番の友達
閑話章スタートです
「レイファちゃん!!」
「ツェフェリ!!」
ここは北の街でも随一の人気店[ミニョン]。そこで二人の少女が抱きしめ合っていました。
「ボクね、ボク、この街でタロット絵師になるよ!」
「うん、うん!」
鶯色の髪をした少女が、琥珀色の髪を二つに高く括った少女に告げます。琥珀色の髪の少女──レイファはツェフェリの報告を我が事のように喜びました。
タロット絵師になることがツェフェリのかねてよりの夢であるのはレイファも知るところでした。そのためにツェフェリの絵の腕前や夢への真摯な向き合い方を周りへ伝える手伝いをしていましたから。
「あとね、レイファちゃんにもいっこ伝えたいことがあるんだ」
「何かしら?」
琥珀色の目をぱちくりとして、レイファがツェフェリを見つめます。ツェフェリは少し恥ずかしそうにはにかんで、レイファにこっそり耳打ちをしました。
「ここだと恥ずかしいから、後で喫茶店で」
女の子同士の秘め事を共有するツェフェリの瞳は夕空と夜空の境目のような神秘的な紫をしていました。
ツェフェリが何を話したいか、実はレイファは大体の察しがついていました。何せ、ツェフェリはあの行商人についていかず、この北の街に残ることにしたのですから。
あの行商人、サファリとはあれから話をしました。ツェフェリは自分でこの街に残ることを選んだと言います。サファリも無理矢理連れ去ったりせず、ツェフェリの意志を尊重するとのことです。
まるで人間じみていない雰囲気のサファリでしたが、ツェフェリを無理に連れていこうとしなかった辺り、レイファは見直しました。ああいう目先のことしか考えていないような輩は、相手を傷つけてでも自分の欲望を通すことは母のアイファを見て知っています。
「本当によかった……」
「あら、レイファ」
「お母さん」
会計のコーナーでお金の出入りをチェックしていたのはアイファでした。ここ最近は体調もよく、毎日この場所に座ってお客様の対応をしてくれます。アイファが元気になったことを聞きつけた街の住民がこぞってやってきて、ミニョンは大繁盛です。
レイファもそのことが嬉しかったです。ただ、母を口説こうとする輩が出入りするようになったのは難点かもしれません。
アイファは街一番の美人です。子どもを二人産んでも、病気をしても、その美貌が衰えることはありませんでした。むしろ昔よりも美人になったという人までいます。
今巷で話題になっていることの一つと言えましょう。題して「レイファとアイファ、どちらがミニョンの看板娘か論争」、レイファもうかうかしていられません。
「ツェフェリさんがこの街に残ってくれて、よかったわね」
「……うん」
和やかに笑う母に、レイファは微笑みを返しました。アイファはレイファの大切な友達がこの街を去らないで済んだことを喜んでいるのです。
幼い頃から、レイファは商売のための勉強ばかりをしていました。レイファは好きだからと言いますが、体調のよくないアイファの代わりに店を守るためだというのは明白でした。店のことだけでなく、家事やアイファの身の回りの世話までしてくれていたのです。
今でこそきちんとケアをしているので綺麗ですが、レイファがまだ十にも満たない頃、レイファの手は荒れていました。それは働き者の手ではありましたが、幼い女の子の手だと思うと、痛ましくて仕方がありませんでした。
だから、元気になって、早くレイファを助けてあげたかったのです。けれど、焦れば焦るほど、体調は思わしくなくなり、どうすればいいのか、と絶望する日々でした。医者のラルフからは焦るな、ゆっくりと回復していくのだ、と言われましたが、娘の時間を自分が殺していくようで、アイファは落ち着いてなんていられなかったのです。
アイファはここまでの回復に随分時間をかけてしまいました。レイファの時間をたくさん使ってしまいました。それでも今、笑顔の娘と店に立てることを嬉しく思います。
自分の奪ってしまった娘の子どもでいられる時間が、ゆっくりとだけれど、戻ってきている様子なので、アイファは安心しています。きっかけはそう、ツェフェリという少女がこの街に現れたことです。
レイファは毎日店を切り盛りしているので、友達を作ることがありませんでした。同年代の女の子が来ても、お客様として扱います。商売人としてはよくできた娘ですが、普通の女の子というには些か素っ気ない気もしました。
そこに現れたのがツェフェリです。サルジェの繋がりで、レイファの元にやってきた女の子。お客様として来たわけではないその子は髪が短くて洒落っ気はなかったけれど、不思議な魅力の持ち主でした。そんな魅力に惹かれて明るい笑顔を見せるレイファを見て、アイファはとても安心したのです。
それが、街を出ていくかもしれない、と聞かされたときのレイファの落ち込みようは目もあてられませんでしたが、それだけツェフェリのことが好きなんだな、と思うと、アイファは微笑ましくも、誇らしくもなりました。
「ふふ、一時はどうなることかと思いましたが、上手くいったようでよかったですわ」
「上手く?」
アイファが聞き返すと、レイファはすごく得意げで悪戯っぽい笑みを浮かべます。
「サルジェの告白です」
「まあ」
アイファが色めいた声を出します。古今東西、女性は恋の話が好きなのです。
それに、サルジェはアイファの息子です。そんな息子が人生の一大勝負に出た話に興味が湧かないはずもなく、アイファはにこにことします。
「よかった。これであの子も幸せになれるのね」
アイファはずっと憂えていました。サルジェは前の地主との間に生まれた子どもです。サルジェを生むなりアイファは捨てられ、心が壊れ、大変な思いをしましたが、大変な思いをしたのはサルジェも同じです。よくひねくれずに真っ直ぐ育ってくれたものだと思います。
前の地主はひどく自己中心的で、気に食わないことがあると人に当たりました。気に入らない人間は蟻でも踏み潰すかのように苦しめて苦しめて。やりたくないことは人任せ。……そんな人間に育たなくてよかった、と思うのです。残念ながら、アイファはサルジェを育てることができませんでしたが……それでもサルジェにはどんな親から生まれたとしても関係ない、と支えてくれる人がたくさんいたのです。少し寂しいけれど、とても頼もしいことでした。
ただ、レイファから聞くサルジェはちょっと自虐的なところがあって、自分が幸せになることを拒絶している風にも聞こえて、アイファは心配していました。実際、サルジェにはそのような葛藤は幾度となくあったようですし。それを乗り越えたのは勿論、その意識があって尚、一緒にいたいと思える人に巡り会えたという事実が、とても嬉しかったのです。
「本当に……あいつのことでは気を揉まされました。でもちゃんと、自分の意志を通す男でよかった」
そう満足げに笑うレイファが本当は一番喜んでいることをアイファは知っていました。
ここまでの一連の中で最も重要なのは、ツェフェリがこの街に残ることを選んだこと。それによって、レイファはお別れをせずに済んだのです。
大人になっていけばいくほど、苦い経験は避けられないものです。経験も積めば、後々自分のためになるものだとは言いますが、わざわざ初めてできた、できたばかりの友達で苦い経験をする必要はないはずです。
きっとどんな親でもそうでしょう。どんな人間もそうでしょう。悲しみの涙は少ない方がいいのです。
「さてと、ツェフェリと会うときの服を後で選ばなくちゃ」
「あら、今じゃないの?」
「まだ営業中でしてよ」
しっかり者の娘だ、とアイファは微笑みました。
「あ、レイファちゃんこっちこっち」
見ると、喫茶店の中でツェフェリはいつもの黄色いタートルネックのセーターを着て手を振っていました。レイファは手を挙げて応じ、ツェフェリの元へ向かいます。
ツェフェリはレイファを頭の先から爪先までじっくり眺めました。その目を緑色に煌めかせて告げます。
「さすがレイファちゃん、滅茶苦茶お洒落だね!」
今日のレイファのコーディネートは緑と黒を基調としたワンピースと肩掛け鞄です。靴は気取りすぎないスニーカー。ラフでカジュアルな感じがするのに、黒が強めなことでぴしっと背筋が伸びている感じのする格好は可愛くありつつも格好いい、そんなお洒落なものでした。
「ふふ、ツェフェリに褒めてもらえて嬉しいわ」
「ボク、全然お洒落詳しくないんだけどね」
たはは、と笑いながら、ツェフェリは席に着くレイファに話し始めます。
レイファがカフェオレを飲みながらツェフェリから聞いたのは、予想通り、サルジェの告白の話でした。サルジェに告白されて、今まで意識していなかった恋愛的な面で、サルジェのことも好きだと気づいてしまったツェフェリはたくさんの懊悩を越えて、サルジェを選んだと言います。
そこまで恋愛対象として全く意識されていなかったサルジェというのがあまりにも案の定すぎて、レイファはほろ苦く笑いました。ツェフェリが鈍感というわけではなく、サルジェが奥手だったのが原因だとレイファは思っていますが。
「サルジェと出会う前だったら、未知のものにたくさん出会えるサファリくんとの旅を選んでたよ、きっと。でもね」
唐突に、ツェフェリはレイファの手を取りました。真剣な眼差しは夕陽みたいな真っ赤な色をしています。
射抜かれたレイファは、目を見開いて固まりました。
「サルジェは勿論だけど、ボクには大切なものができたんだ。レイファちゃんは、一番の友達だし」
たくさんのお別れを捨ててまで、世界のことを知りたいだろうか、と考えて、やっぱりまだここにいたい、とツェフェリは思ったそうです。
何気なく、一番の友達と言われて、レイファはその琥珀色を見開きました。誰かから、こんな風に[友達]と言われるのは初めてだったのです。
「わたくしもよ」
レイファはちょっと泣き笑いになってしまいましたが、ツェフェリに確かにそう伝えました。