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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット絵師の商い処
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タロット絵師たちの悩み処

 サルジェは紙袋の中身をツェフェリに渡すことができずにいました。

 旅をすることに憧れていたこと。サファリの提案が夢見たほどに嬉しいものであったこと。それなのに即答できなかったことに戸惑い、涙を見せるツェフェリに告白なんてできるでしょうか。

 枷になってしまうかもしれない、とサルジェは考えました。ツェフェリの迷いに漬け込んで告白をしたら、ツェフェリは夢を捨てて、自分のところに残ってくれるかもしれません。それでツェフェリは幸せになれるのか、とサルジェは考えるのです。

 サルジェはツェフェリのことをよく知っているとは言えないと思っています。可愛くて綺麗な目をした女の子ということくらいしかわからないのです。絵が上手くて、タロットカードを持っていて、占いができます。しかもツェフェリのタロットには命が宿っていて、タロットたちは喋ります。サルジェが知るのはそれくらいです。

 ツェフェリの表面だけを見て、好きということなんて、誰でもできます。それでもサルジェはサルジェなりにツェフェリが自分の幸せを掴めるように応援してきました。好意に気づいてほしい気持ちもありました。実際、好意を伝えるために、今日は準備をしたのですから。

 ただ、今、伝えてしまっていいのだろうか、とサルジェは迷います。サファリの申し出はもう二度とないかもしれません。その一度きりのチャンスを不意にさせてしまうような、そんな居心地の悪さが込み上げてくるのです。

 勿論、サルジェが告白したところで、ツェフェリが必ず振り向いてくれる保証は全くといっていいほどありません。でも、必ずではなくとも、少しくらいは揺らいでくれるかも、と邪に思うことがあるのです。

 それではよくない、とサルジェは拳を握ります。サルジェはツェフェリにツェフェリの気持ちで選んでほしいのです。悩んでいるツェフェリの心の揺らぎを利用するような真似はしたくないのです。

 この件はサファリがラルフに相談したこともあり、ハクアの耳にはすぐ入ることになるでしょう。もうすぐハクアは帰ってきます。そうしたら、きっと忙しくなります。ただ、ハクアが戻ってくる分、北の守護者としての役割は軽減されるでしょう。

 考えないと、とサルジェは割烹着を着て厨房に向かいます。

 サルジェはツェフェリを泣かせたくないのです。


 ツェフェリは部屋に入るなり、扉に凭れてずるずると崩れました。

 サルジェはいつも通り、ごはんを作ってくれるそうです。それまで休んでいていいと言われました。

 ……泣いてしまいました。どうしたらいいのかわからなくて、泣いてしまいました。

 サファリからの申し出は、とても嬉しかったのです。でも何故かすぐに頷けなかったのです。何故頷けなかったのか、自分でもわからなくて、ぐるぐるぐるぐると考えていたら、涙が出てきました。

 タロット絵師になることがずっとツェフェリの夢でした。心の支えでした。それはサファリと出会うことがなかったら、持つことのない夢です。だから、サファリにはずっと感謝していて、サファリのことを忘れたことなんてありません。

 サファリの占い方は嘘があって、悲しいものですが、ツェフェリはそこから占い方を学びました。サファリはツェフェリに理想と現実の違いを教えてくれたのです。その上で、望む結果が得られなくても、望む手法で導くことを決めました。ツェフェリがどれだけ占いで悪い結果が出ても、その結果を真摯に受け止めることができたのは、やはりサファリに人それぞれにやり方があることを教えてもらえたからでしょう。

 ツェフェリにとって、サファリは憧れの存在です。再会して、見た目が以前とほとんど変わっていなかったけれど、自分と同い年くらいの男の子。それでいて大人びていて、自分より広い世界を知って、たくさんのことを知っていること。透明な瞳。不思議な魅惑を持つ一挙手一投足。とても端的に言うなら、ツェフェリはサファリのことが好きなのです。

 だからこそ、戸惑いました。何故憧れの存在から差し伸べられた手をすぐ取れなかったのか。自分がサファリに抱いていた感情は、今まで自分を支え続けてきた夢は、何だったのかと考えて、その先の答えが透けて見えるようで、ツェフェリは怖かったのです。

 ──もしかしたら、偽物の憧れに、見せかけの夢に、ただ酔いしれていただけかもしれない。

 そんな考えがよぎり、続けて、ツェフェリの両目からは涙が溢れ続けます。青、緑、紫。悲しみの色に移り変わる水鏡のツェフェリの瞳は皮肉なことに、とても美しく見えました。

「主殿……」

「主」

「つぇーたん」

 さめざめと泣くツェフェリにそっと寄り添うような声がかかりました。ツェフェリのタロットたちです。彼らはカードですが、ツェフェリを両手いっぱいに抱きしめるように、あるいは頭を撫でるように、静かにツェフェリのことを呼びました。

 ツェフェリは一人じゃないよ、僕たちがここにいるよ、と囁いてくれていました。そうです。このタロットたちはツェフェリがタロット絵師になろうと志を持ったきっかけ。夢の結晶たちなのです。ツェフェリに届けられる励ましはツェフェリにしか聞こえないかもしれないけれど、それは確かにツェフェリの心を温めました。その事実は偽物なんかじゃありません。

 ツェフェリは立ち上がりました。作業机の前に座ります。夕暮れ色のケースに入った夜空色の彼らを丁寧に机の上に並べました。

「迷っていいのですよ、主様。迷うことは人間ならば誰でもあるのです。迷える心の下に、私たちは存在します」

 [女教皇(ハイプリーステイス)]のシュタイムが告げました。その通り、タロット占いは迷える人を導くためにあります。迷える者とは占われる側だけでなく、占う側も然りなのです。

「天秤の揺れるときほど、あなたは正しくあろうと懸命に考えているのです。エリー様」

 これは[正義(ジャスティス)]のエスレアの言葉です。[正義(ジャスティス)]のカードには天秤と剣を持つ女神が描かれます。それは正義の女神とは公平と裁きの女神だからです。

 力強く正しさについて唱える彼女の言葉はしん、と心に沁みていきます。

「己の欲のままに動かず、一度立ち止まることのできる主は立派であるぞ。迷うことも悩むことも悪いことではなく、当たり前なのだ」

 [悪魔(デビル)]のハメスが至極真っ当なことを言うものですから、ツェフェリは思わずくすりと笑いました。だって、[悪魔(デビル)]ですよ? 悪魔が人の道を説くなんて、どこか矛盾していて、面白いではありませんか。

 すると[太陽(サン)]のティシェがはしゃいだような声を上げます。

「やった! つぇーたん笑ったよ。やっとつぇーたん笑ったよ!」

 それと共に[審判(ジャッジメント)]のエスリームの機嫌よさげなラッパの音色が響き渡ります。他のカードたちも、ツェフェリが笑ったことを喜んでくれます。

 ただ少し笑っただけなのに、部屋中が賑やかになるほど、喜んでくれるのです。

「ツェフェリ様」

 静かな青年の声が耳打ちをするようにツェフェリに告げます。

「大丈夫です。我々はツェフェリ様の味方ですよ。ツェフェリ様が笑顔でいられる選択をなさってください。運命の輪を動かすのは、ツェフェリ様自身なのですから」

 それは[運命の輪ホイールオブフォーチュン]のエセルでした。

 タロットたちは皆、ツェフェリの歩む先に祝福があることを祈っているのです。ツェフェリの選ぶ道を見届けるために、ツェフェリを励まし、見守るのです。

 迷ってもいいよ、悩んでもいいよ、と言ってくれる彼らの優しさにツェフェリは泣きそうになりました。その感情は悩みや苦しみからではなく、もっと温かい気持ちから溢れたものです。

「ボクはね、今、どうして悩んでいるのかわからなくて苦しいんだ。サファリくんの申し出は嬉しいのに。前なら迷う余地なんてなかったのに。なんであの手を取れなかったんだろうって」

 ツェフェリが語るとハメスが「あやつめ、また主を泣かせおって」云々とサファリに対する文句を垂れます。ティシェはツェフェリを心配して「大丈夫?」と問いかけました。ツェフェリが素直に打ち明けた悩みに、二十二枚は真剣に向き合ってくれます。

 彼らに突然手足が生えて、ツェフェリのために動けるようになるわけでもないのに、彼らは一所懸命に考えてくれるのです。

 そんな中、ふと[魔術師(マジシャン)]のアハットが言いました。

「主殿、それは主殿が変わったからではありませんか? 主殿が暮らす環境はサファリ殿と会ったときと比べて大きく変わりました。それに伴って、主殿も、主殿の気づかないうちに変わったのかもしれません。主殿にとってかけがえのない望みも、幸福も、夢も」

 それは決して悪いことではありませんよ、とアハットは続けました。

「新しい幸せの形を主殿は見つけたんです。あとはどちらの形を選ぶかだけですよ」


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