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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット絵師の商い処
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タロット絵師になりたいけれど

 ぱたんと開いた扉。サファリの言葉に固まったのはツェフェリだけではありませんでした。

 サルジェが紙袋をぱさりと落として、サファリとツェフェリを凝視します。

「え……」

 タロット絵師として、サファリと一緒に旅をする、ということは、夢のような提案でした。願ってもいないことです。きっと以前のツェフェリなら、一も二もなく頷いていたことでしょう。今だって、咄嗟に頷けない自分にツェフェリは戸惑っています。

 旅をすることにツェフェリは憧れていました。幼い頃から[虹の子]として教会に育てられ、自由に出歩けるといっても、それは小さな小さな村の中だけです。

 ツェフェリは本で読むような知らない世界に行きたくてたまりませんでした。けれど、村の外に出て、どうすればいいのか、ツェフェリはわかりませんでした。だから本を読んだり、海を見たりすることで、満足していたのです。

 外に世界があることは知っていました。ですがツェフェリはあの村以外で生きる方法を知らなかったのです。

 故に、旅の商人としてサファリとその父親が村を訪れたとき、旅をすればいいのだ、と思いつきました。でも、ツェフェリには[虹の子]としての役目がありました。役目を捨てるという選択肢がツェフェリにはなかったのです。

 ただ、旅への憧れは胸の中に存在し続けました。だから、村から出たときに、自分なりに旅に出たのです。何も知らないツェフェリはごはんを食べるためには自分で食糧を調達しないといけないことも知りませんでした。たくさん歩くと疲れるということも。宛てもなく歩いたところで、簡単にどこかに辿り着けるわけではないということも。

 サファリと旅に行けたなら、どんなによかったことでしょう。何も知らないことがこんなに大変だなんて、ツェフェリは知らなかったのです。誰かが一緒にいてくれることが温かいことだなんて、当たり前すぎてわからなかったのです。

 サルジェと出会えたことは僥倖でした。そこかろ北の街のハクアと知り合い、住まわせてもらえるようになったことは、奇跡と言ってもいいでしょう。そうして、周りは優しい人たちで囲まれて、ツェフェリは幸せなのです。

 様々なことを知ったために、ツェフェリはサファリの提案に戸惑ってしまいました。何故戸惑ってしまうかもわからず、混乱してしまいます。だって、サファリと旅をすることは前から夢見ていたことです。しかもタロット絵師として旅に同行させてもらえるなんて、これ以上の誉があるでしょうか。

 断る理由は何もないのです。そのはずなのに、ツェフェリは首を縦にも横にも振れませんでした。

 気まずい沈黙の中、なるほどの、とラルフが話し始めました。

「つまりはハクアが囲っている者を連れていきたいから、儂に口利きを頼みたいということか」

「その通りです。まさか、地主さまのお気に入りを無断で拐うわけにもいかないでしょう?」

「ふぉっふぉっ、難しい話よのう。しかし、条件次第では或いは、といったところか。ふむふむ」

 現在ハクアの元で暮らしているツェフェリを連れていくのです。ハクアに断りを入れるのは当然と言えるでしょう。けれど、サファリがただお願いしたところで、ハクアが首を縦に振るとは限りません。そこでサファリが取った策がハクアの師匠であり、ハクアと対等に話せるランドラルフの手を借りるというものでした。破格の貴重な絵画は、さしずめ賄賂といったところでしょう。

 ラルフは感心しました。サファリはかなり昔にこの街に来たことがあるだけで、その頃とは地主の名も土地柄も違います。この街で商売を始めてからそこそこ日は経っていますが、そんな中で情報を集め、ツェフェリを連れ出すための最良の一手を選び抜いてラルフのところに辿り着いたその手腕、ただ者ではありません。

 当の本人とサルジェは状況に頭が追いついていないようで、固まったままですが、ラルフは面白いと思いました。最良手とは言いましたが、これは大博打です。ラルフが首を横に振ってしまえば、簡単に目論見は崩れるのですから。

 サファリのすごいところはそれをわかってやっていることです。利口そうに見えるけれど、肝が据わっています。見た目の年齢は十代半ばほどですが、その肝の据わり方はハクアに勝るとも劣りません。

 ラルフはそういう人物を見ると、賭けに乗りたくなります。

「よかろう。ハクアへの口利きは任された」

「じっちゃん!?」

 さらりとしたラルフの返答に驚きの声を上げたのはサルジェです。それもそうでしょう。ラルフは思考を巡らせたとはいえ、それは僅か数秒のこと。ツェフェリやサルジェにとっては一大事とも言えるのに、あまりにもあっさり受け入れたように見えたのです。

 実際、ラルフはかなり軽く引き受けました。

「ただし、儂が説得するのはハクアだけじゃ」

「ええ、勿論。充分です」

 サルジェとツェフェリは困惑したままですが、サファリとラルフはこの交渉がどういう役割を果たすか、きちんと理解していました。

 言葉尻を取りますと、ラルフが説得するのはハクアのみです。つまり、当事者となるツェフェリのこと、他のツェフェリの周りの人々のことにラルフはかまわなくていいのです。そう、サファリはツェフェリやその周囲の人物のことは自分で説得することを大前提として、ハクアの説得にのみ、ラルフの協力を仰いだのです。

 ラルフにはとある目論見がありました。これがきっかけになれば、とサファリの頼みを引き受けたのです。

「さて、ツェフェリ」

 しゃらん、とサファリのブレスレットたちが鳴りました。澄んだ音がツェフェリたちの意識を自然とサファリの方へ向けさせます。

 サファリはその海色の目で、ツェフェリの湖面に映る色を探るように覗きました。

「急にこんなこと言ってごめんね。でも、ずっと考えていたことなんだ。すぐには決められないと思うから、ゆっくり考えてほしい。僕が街を出るまでに」

「うん」

 神妙な面持ちでツェフェリは頷きます。サファリが一度、この街を出ていってしまったら、次にいつ会えるのか全くわからないことだけは確かです。サファリは特定の街に店を持たない旅の行商人なのですから。

 ミニョンや染物屋など、様々な店と交流を持つべく交渉をして回ってはいるようですが、サファリと繋がりを持った店の話はまだ聞きません。サファリとこの街に繋がりがなければ、サファリが今後ここに来る可能性は低いのです。何せここは人間の住む最北端の街なのですから。栄えてはいても、世界的に見たら、辺境なのです。

 ツェフェリに差し伸べられた提案は、きっと最初で最後のものでしょう。そういう覚悟で臨まなければなりません。

「サファリくんはいつこの街を出る予定なの?」

「そうですね……まず、ハクアさまには挨拶をしたいですから、ハクアさまが帰ってきてからですね。それに、気になるお店も何軒かまだありますし。旅商売なので、具体的な日取りは決まっていないけれど、まだしばらくはいるよ」

「わかった」

 ツェフェリは頷くと、緑色の目で言いました。

「すぐに答えを出せなくてごめん。ゆっくり考えてみるね」

「うん」

「じゃあ、今日は帰るね」

 ツェフェリは席を立ち、扉の前まで行きました。呆然と立ち尽くすサルジェと出会います。

「サルジェも帰る? ラルフさんに用事とかじゃなきゃ、一緒に帰りたい」

「……うん、大丈夫。帰ろう」

 サルジェはそれはまあ色々と言いたいことはありましたが、それらを全て飲み込みます。ツェフェリがあまりにも、悲しげで苦しげな表情をしていたからです。青と紫の波間に揺れる瞳を放っておくことはできませんでした。

 紙袋を拾って、少ししょんぼりとしたツェフェリの肩を抱きながら、サルジェは診療所を出ました。

 サファリの提案はサルジェには許しがたいものでしたが、決めるのはツェフェリですし、一番戸惑っているのもツェフェリです。サルジェは外野もいいところ。感情のままにずらずらと色々言ってしまわなくてよかった、とサルジェは密かに胸を撫で下ろしました。

 屋敷へ続く道に出ると、ツェフェリはぽつりぽつりと語り始めました。

「ボクさ、サファリくんと約束したんだ。いつかボクの作ったタロットを、サファリくんのお店に売るんだって」

 それは幼い頃の戯れ言と切って捨ててもいいくらい昔の話でした。ただ、幼心で語った夢は純粋なものだったのです。

「ボクはボクがサファリくんに語った夢を、一度だって忘れたことないよ。そのおかげでずっと頑張って来られた。だから、サファリくんからのお誘いはすごく嬉しいんだ」

 サルジェは口を挟まずに聞きます。サファリに夢を語って約束したツェフェリはサルジェの知らないツェフェリだからです。

「すごく、嬉しいのに……」

 ツェフェリは肩を震わせて、涙しました。

「うんって、言えなかった。なんでだろ……」

 その肩をサルジェはぽんぽんと叩きながら、屋敷まで歩いていきました。

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