タロット絵師と上手い下手
ステファンはツェフェリの隣に座りました。
ツェフェリはステファンを不思議そうに見つめながらも、話に耳を傾けます。
「私が万引きで捕まったこと、ツェフェリさんは知っていましたっけ」
「え、そうなんでしたっけ?」
ステファンはしっかりしているので、ツェフェリには意外でした。ですが、よくよく思い出すと、ステファンはハクアが盗みを無罪放免にする代わりに手伝いがほしいと言っていたラルフの元に送ったのだった気がします。北の街は本当に治安がよく、犯罪なんてそれまで聞いたことがなかったので、訳ありなのはわかりました。
「サルジェさんに捕まえられたんです。ハクアさまのところに連れて行かれたときは、正直、生きた心地がしませんでしたね」
眼光が鋭く、この街では権威の象徴であるハクアの前に、罪を犯した状態で晒されるのは、それはそれは怖かったことでしょう。よくわからず、二人きりにされますしね。
「私は元々、不器用で、初めてやることは大抵できないんですよ。まあ、それは当たり前のことなんですけど。要領が悪いっていうんですかね。なかなか覚えられなくて、いつまで経っても仕事ができなかったんです」
「え、でもここの受付は普通にやってますよね?」
ステファンは苦く笑います。
「ここだって、最初は失敗ばかりでしたよ。患者さんの名前は間違えるし、順番は間違えるし、一発で用件を聞き取れないし」
それは自嘲のようでいて、どこか懐かしげにも聞こえる声色でした。
「ここに来て、初めて知りました。時間はかかるけど、自分にも真っ当にできる仕事があるんだなって。私、あまりにも何もできなくて、色々な仕事をクビになったんですよ」
「そんな! ステファンさんはいい人なのに」
そういうツェフェリの頭をステファンは優しく撫でます。その優しい心ごと、慈しむように。
「私がいい人って思われるのは、きっと周りの人が優しいからですよ。この街は時折人に厳しいけど、優しい人がたくさんいます。優しい人に囲まれて、優しくされていると、自然と自分も優しくなるみたいですね」
言われて、ツェフェリは周りの人々を思い返します。ツェフェリの夢への道を開いてくれたハクア。絵を教えてくれたサファリ。具合が悪いときに優しくしてくれたラルフ。ツェフェリを着せ替えて、楽しいとかかわいいとか言ってくれるレイファ。傍にいてくれるサルジェ。
ツェフェリの周りにはたくさんの優しい人がいます。
「ツェフェリさん、さっきの絵を見て、どう思いましたか?」
ステファンは優しくナイフを入れてきました。ツェフェリの胸はずきりと痛みましたが、どうしても向き合わなくてはならない問題です。
鉛筆だけで、青空も、砂の大地も、肌の色も鮮やかに描かれた逸作。先程の絵は間違いなくそうでした。あんな絵をツェフェリは見たことがありません。それに……
「あんなにすごい絵、ボクには描けないって思った……」
ぽつり、ぽつり。雨が静かに注ぐように、ツェフェリは言葉を連ねていきました。
「みんな、ボクの絵を上手いって言ってくれる。素敵って言ってくれる。でも……本当に上手いだとか素敵だとかいう言葉が似合うのは、さっきの絵みたいなのを言うと思うんだ。そう思ったら、ボクの描いたタロットなんて、……」
ツェフェリはそこで黙ってしまいます。
ツェフェリは打ちのめされていたのです。本当に素晴らしいものを前にして、自分の今までの作品を指して、胸を張って「これは素晴らしいものだ」なんて言えるでしょうか。ツェフェリは言えませんでした。
ステファンはそんなツェフェリの手にカードケースを重ねます。
「このタロットは、ツェフェリさんの大切なものですよね?」
確認されて、ツェフェリは咄嗟にこくりと頷きました。そこに迷いはありません。あるわけがありません。
ツェフェリにとって、このタロットたちは宝物です。初めて作ったタロットカード。お喋りができるくらい仲良しになった大事な友達なのです。そこにツェフェリの絵の上手い下手は関係ありません。
「そんなにすぐ頷けるものなら、ツェフェリさんにとって、このタロットカードは素晴らしいものにちがいありませんよ。今後も大切にしてください。ツェフェリさんが大切だというものにケチをつける人がいても、ツェフェリさんの思いは揺るがないものなんですから」
ツェフェリは目を見開きます。
上手いとか、下手とかではなく、大切かどうかで決めるのは、何気ないけれど、ツェフェリがいつもしてきたことでした。そしてそれはタロットたちも同じてす。
タロットたちは好き嫌いをしますが、それでもツェフェリのことが大好きで大切だから、ツェフェリのために色々考えてくれます。ツェフェリはそのことがいつも嬉しいのです。
「あの、ステファンさん」
「はい、なんですか?」
「ボクのタロット、見てもらえますか?」
ツェフェリが恐る恐るといった様子で尋ねると、ステファンはにこやかに頷きました。
「もちろん」
ツェフェリはタロットケースを開けて、夜空色のカードをぱらりと開きます。夕陽色の中から現れた夜空に、ステファンは思わずほう、と溜め息を吐きました。
「素敵なデザインですね。タロットカードって改まって見たことはなかったんですけど。触ってみてもいいですか?」
「はい、ぜひ!」
ツェフェリは全部見てもらうつもりで差し出したのですが、ステファンは何故か一番上の一枚だけをめくりました。
絵を見てステファンが「ん?」と首を傾げます。
「このカードってこれが普通なんですか?」
裏返して見せてきたのはナンバーⅩⅡのカードでした。それを見て、ツェフェリはくすりと笑います。
[吊られた男]は何事も堪え忍んでいかなければならなかったステファンそのものを表すのにあまりに適したカードだったからです。
「はい。そのカードは男の人が木に逆さまに吊るされているという絵柄なんです。主な意味は忍耐、です」
「木に逆さまに……結構きついカードですね。でも忍耐って大切ですよね」
「ふふ、タロットって結構絵柄だけでも意味が深かったりするんですよ」
ツェフェリに笑顔が戻り、わいわいと話す中で、タロットたちは安心していました。
ツェフェリの笑顔がタロットたちの宝物なのです。
「お、ツェフェリくん、タロットに装飾したのか。程よく品があって良いのう」
「やっぱりセンスがいいよね」
「ラルフさん! サファリくん!」
そこへ、交渉が終わったらしいラルフとサファリが合流します。二人共、新装されたツェフェリのタロットに興味津々で、ここがいい、そこがたまらない、など口々に称賛します。
それを見たステファンが、ひっそり囁きました。
「ほら、あなた以外にも、あなたの絵を素晴らしいと言ってくれる人はいるんですよ」
ツェフェリは泣きたいくらい嬉しくなりました。
「本当だ。よかった」