タロット絵師の細やかな幸せ
小さな小さな装飾が細かく細かく彩るのは、ツェフェリのタロットカードでした。
ツェフェリのタロットたちは充分見映えのするものでしたが、お手入れのついでに、ツェフェリが街の手芸屋さんなどで見つけたものを装飾としてつけたのです。いつもツェフェリを楽しくさせてくれるお礼、というと、恐縮する者、大はしゃぎする者、得意げになる者、様々おりました。
ツェフェリはふと考えます。これらの反応が得られるのは、このタロットたちが喋る不思議なタロットだからで、ツェフェリはタロットたちに選ばれた特別な人間だからです。どんなにタロットたちが喜んでいても他の人にはわかりません。それが少し、悲しいような、寂しいような、そういう感覚になりました。
タロットたちはツェフェリと共にあることが当然のように過ごしていますが、ハクアと出会い、北の街にやってきてから、ツェフェリよりずっとずっとたくさんのことをツェフェリのために考えてくれているのです。それは、お別れの覚悟も含まれます。
あんなに売られることを嫌がって、ツェフェリから離れたがらなかったタロットたちが、ツェフェリの幸せのためならば、ツェフェリと少し離れることになるのも、それが寂しいということも、わかって配慮する姿勢を見せているのです。無垢なティシェも、堅物なハメスも、普段は適当そうなエフェスやティムレまで。
ツェフェリは少しでも、タロットたちにその気持ちを返したく思いました。タロットたちはツェフェリが幸せになればそれでいい、と言いますが、ツェフェリがそうしたいのです。
端から見たら、ただのカードかもしれません。けれどこのタロットたちはツェフェリが一所懸命絵や意味を学んで作り、心を通わすことができた奇跡のカードたちなのです。名前もつけて、一人一人を今までより認識するようになったら、離れがたい友人のようで、そのことがとても尊く思えるのです。
「えへへ、つぇーたんがつけてくれた金の縁取り、お星様みたいで綺麗!」
「染物のようなカードの色で素敵に仕上げてくださって、ありがとうございます、ツェフェリ様」
「みんなが喜んでくれて、嬉しいよ」
ツェフェリのタロットたちは藍色に金の縁取りの夜のようなデザインに一新されました。絵の部分はそのままで、褪せていた色を元の色に寄るように重ねて塗り直しました。一つ一つの丁寧な作業をタロットたちはどきどきわくわくしながら見守っていました。シエとシユなんかは人間の着替えに該当するものに興味津々で、「つぇーちゃんならきっと素敵にしてくれる」「今からすごい楽しみだわ」と少しばかりハードルを上げるようなことを喋り続けていました。無事に完成して、ツェフェリの感じていた妙なプレッシャーも落ち着きます。
元々、ツェフェリのタロットは形の揃った簡素な紙に絵が描いてあるだけの代物で、特段、特別な装飾などはありませんでしたし、カード絵の部分以外は真っ白でした。裏にそれっぽい六芒星のようなものを描いているくらいなもので。それでも絵は魅力的なものですし、簡単に折れたりしないように加工はしてありました。ただ、それだけです。
彩りがあまりにも少ないということにツェフェリは気づいたのです。ハクアのタロットも、ラルフのタロットも派手ではありませんでしたが、荘厳で華やかなデザインでした。人間で言うところの[お洒落]の部分がツェフェリのタロットには足りない、と修繕の合間に色々勉強して、ツェフェリは手ずから、タロットたちをアレンジしたのです。
そのために必要な材料も技術も、この街にはありました。そのことを思うと、サルジェに出会えたこと、サルジェがハクアを紹介してくれたことにも感謝が込み上げてきます。デザインの相談にはレイファも乗ってくれました。美しく飾り立てることを生業とする服屋のレイファのセンスは本物で、ツェフェリが絵師となる上で大切な知識も得られたように思います。
「……何もかもに感謝だなぁ」
例えば、サファリと出会ったのが偶然だとしても。
例えば、サルジェが見つけてくれたのも偶然だとしても。
起こったことは変わらず、それら一つ一つが運命の輪を回しているのです。きっとツェフェリ一人だったなら、ツェフェリはきっと[虹の子]のままだったでしょう。その人生は退屈でつまらないものだったと思うのです。
「ツェフェリ、楽しそうだね」
「みんなのおかげでね。ふふ、新しくなったみんなの姿、早く御披露目したいな」
というのも、今日はハクアもサルジェもいないのです。
ハクアは他の街の地主との交流のため、遠出中で、サルジェはその分、森の巡回を強化しています。ハクアは街にサルジェがいれば充分と思っているようですが、ハクアの名が轟いているため、ハクアがいないというだけで何かしでかそうとする輩はいるのです。実際、過去何度か、ハクアの留守中に狼藉者がいたとか。もちろん、サルジェがなんとかしたのですが。
ハクアがいない間、サルジェは街のみんなが不安にならないよう、精一杯振る舞っているのです。そんなサルジェの姿を見て、街の人たちはサルジェに絶大な信頼を寄せているのですが、当の本人は自信と自覚がないらしく、いつもよりちょっとぴりぴりしています。
そんなサルジェにタロットの御披露目をしても、気を遣わせてしまうだけだと思って、御披露目はしないでいます。でも、ツェフェリはツェフェリの愛するタロットたちがいっそう素敵になった姿を誰かに見てほしいのです。褒めてもらいたい、というよりは自慢したい、という気持ちの方が強いでしょうか。
「街の人に見せに行くのは駄目なの?」
「まだそんなに馴染んでいないし……」
「ラルフおじいちゃんは?」
「惚れられたら困るし」
「それはそうだね」
ラルフは惚れたら言い値で買うとか言い出しそうです。
「じゃあじゃあ、レイファは?」
「うーんとね……」
ティシェのレイファという案は他のタロットたちも異論のないものでした。ところが、ツェフェリはあまり前向きではないようです。
少しの間、懊悩してから、小声で、本当に小さな小さな声で、他に誰もいないのに囁きました。
「実は、サルジェに一番に見てほしいんだ……」
ツェフェリのその呟きは空気の中に溶けてあっという間に消えるくらい小さなものでしたが、タロットたちは誰一人として聞き逃しませんでした。何故って、ツェフェリが愛らしく頬を朱に染めて、滅多に言わないわがままのようなことを口にするからです。
一番に見せたい人がいるなんて、なんといじらしくてかわいらしいのでしょう。ラッパが高らかにファンファーレを鳴らします。それを皮切りにタロットたちは大騒ぎです。
「つぇーちゃんかわいい!!」
「もう、主が尊くて……もう……」
「サルジェ殿になら私がお話をしましょうか?」
ツェフェリの言葉に一同が息を飲む中、アハットが提案します。[魔術師]のアハットは一度サルジェと話して以来、サルジェと言葉を交わすことのできる唯一のカードです。コミュニケーション能力も高く、良好な関係を築いているのはツェフェリも時折の交流で知っていました。
「うーん、そうだね。アハットがまずサルジェを元気づけてあげるっていうのはいい案かも」
ツェフェリも話し相手としてアハットは一番接しやすいし、気端も回るので、いい案だと思いました。
けれど葛藤が生まれます。
「うう、でも、ボクもサルジェのこと元気づけてあげたいよ……ボクもサルジェの力になりたい」
もうタロットたちは主のその心が嬉しくて尊くて喜ばしくて言葉も出ません。
ツェフェリは自分の気持ちを抑え込んでしまうところがあります。ずっと見てきて、タロットたちはそう認識していました。[虹の子]として育てられたツェフェリは親という存在を知らず、わがままという概念を知らないまま、生きてきたのです。その辺りの機微がはっきりするようになってきたのは、サルジェと出会ってからでした。きっとツェフェリは無意識なのでしょうけれど。
「では主殿、私がサルジェ殿とお話ししたいので、一緒にサルジェ殿のところに行きましょう」
「アハット、ありがとう!!」
アハットの素早い立案に、タロットたちは心の中で拍手喝采です。
タロットたちにとって、自分たちを生み出してくれたツェフェリは唯一無二の愛おしい存在です。生みの親はツェフェリの方ですが、タロットたちは親のような気持ちでツェフェリを見守ってきました。だから、いつだってツェフェリのためでありたいし、ツェフェリの意思を尊重したいのです。
「そうと決まれば、つぇーたんもおめかしだよ」
「え、なんで?」
「特別なことをするんなら、特別な服を着なきゃ!!」
「でも、サルジェにカード見せるだけだよ?」
「何言ってるの、僕たちのお披露目だよ!? 一大イベントじゃない!!」
叫ぶティシェにハメスが同意します。
「我輩たちがめかしているのに、主が普通の格好では、鈍感なあやつのことだ、何も気づくまい」
「そゆことそゆこと!!」
「つぇーちゃん、まずは作業用エプロンを脱ぐのよ。コーディネートは私に任せて!!」
きっとこのシユは現実にいたなら腕まくりでもしていたにちがいありません。
ツェフェリの細やかな幸せのためならば、タロットたちは全力で力になるのです。