タロットたちと大混乱
「けっ……こん……」
ティシェの言葉にツェフェリのみならず、タロットたち一同が絶句します。恋ばなに乗り気だったシエとシユまでもが言葉を失いました。
結婚。それは男女が結ばれて、家庭を築いていくことを契ることです。結婚できる年齢などは決まり事があるわけではありません。
ただ、言われてみるとツェフェリは結婚はともかく、恋愛はしてもいいくらいの年頃です。ツェフェリは自分の年齢をきちんと知っているわけではないのですが、サファリと出会った辺りでは十歳くらいだと教会で教えられた記憶があります。あれから何年も経っているので、もう二十という数字が見えてきています。確かに、結婚という言葉について、咀嚼し始めてもいい時期かもしれませんね。
とはいえ、考えたこともなかったので、驚いてしまうのも無理はないでしょう。タロットたちも驚いているのは、まあ、各々に理由があるようで……
「駄目だ駄目だ!! 主が結婚など許さぬ!! 相手があの小僧ならば尚のこと!!」
「でーたん、つぇーたんのお父さんじゃないんだから……」
「つぇーちゃんが結婚するくらい誰かを好きになっちゃったら、私たちはどうなるのかしら……」
ハメスは憤慨し、シユが落ち込みます。他の面々も色々考え始めてしまったようで、部屋は一気にしん、となりました。
ツェフェリがそんなみんなを宥めるように言います。
「大丈夫だよ。誰かを好きになっても、みんなのことが大好きなのは変わらないから」
「でも、今みたいにかまってはくれなくなるんじゃない? つぇーたん」
「そんなことないよ!」
「お言葉ですが、ツェフェリ様」
エセルが思い切ったように告げます。
「誰もがツェフェリ様のように、我々の声を聞き届けてくれるわけではありません。伴侶となる方との生活を考えるのなら、我々と言葉を交わすことについても、考えていかねばなりません」
そうです。ツェフェリは不思議な力で、タロットたちの声が聞こえますが、他はそうではないのです。身近なところなら、サルジェはアハットの声しか聞こえません。ハクアという例外もいますが、基本的にタロットたちの声を聞き取れるのはツェフェリだけなのです。
タロットたちの声が聞こえない[普通]の人たちからしたら、ツェフェリは今、一人で話しているようにしか見えないでしょう。明らかに普通ではないツェフェリと普通の誰かが結婚するなら、ツェフェリが変わるしかないのです。タロットたちの声が聞こえるのは奇跡のようなことで、普通は突然聞こえるようになったりしないのですから。
そうすると、ツェフェリの結婚後、タロットたちとの交流の機会が減ってしまうのは仕方のないことでしょう。
「それでも、私はエリー様の選ぶことを尊重したいと思っております」
「エスレア……」
[正義]の女神がそういうと、タロットたちは沈黙しました。時に賑やかなタロットたちは誰よりもツェフェリの幸せを一番に願っているのです。
ハメスやティシェもこれは同じようで、我が儘の多い二人も同意を示すように沈黙しました。
ツェフェリはしみじみとします。自分のことをこんなにも思ってくれる子が、人じゃないとはいえ二十二もいるのです。それだけで、もう充分なくらい幸せなのに。
「ボクはさ」
ツェフェリはぽつりぽつりとこぼします。
「キミたちと出会えて、本当によかったって思うんだ。みんながボクの幸せについて、たくさんたくさん考えてくれてるの、すごく嬉しい。
──この出会いって、サファリくんがタロットカードについて教えてくれなかったら、なかったんだよね」
「それは……」
ハメスから苦味を帯びた声が零れます。しかし、二の句が継げないようです。
「結婚とかはわからないけど、ボクはみんなと話せなくなるのは寂しいから、キミたちのことを理解してくれる人と一緒にいるよ」
「つぇーたん!!」
きっとティシェが本物の人間だったら、ツェフェリに抱きついていたことでしょう。えぐえぐと泣きじゃくります。他にもシエやシユなども安堵の声を上げ、落ち着いているタロットたちも少し緊張がほどけたようでした。
エスリームがラッパを鳴らします。それは聴いていると涙が出るような、勇気が湧いてくるような音色です。
そんな中を重々しい声が通り抜けます。
「それが、あのサファリであっても、か? 主よ」
その声は口調こそハメスに似ていますが、ハメスより威厳があり、聞くだけで背筋がぴんとなるものです。ツェフェリもタロットたちも驚きました。それは滅多なことでは喋らない[皇帝]アルバの声だったのです。
というか、アルバの声を聞くのはこれで三回目くらいの気がします。ツェフェリのタロットたちは大体みんな話してツェフェリと交流しますが、[皇帝]のアルバと[女帝]のシャロッシュ、[節制]のエレアはほとんど喋らず、みんなが話しているのを聞いているだけの存在でした。
それだけに、一度口を開いたときの一言の重さが違います。
それゆえ、アルバの言葉はみんなに重く響いたようです。
「あの小僧は駄目だ。あの小僧は許せん!! 主を泣かせたのだぞ!?」
「うーん、サファリが嫌いなわけじゃないけど、ちょっとなー……」
お喋りなハメスとティシェが前向きでないことを言うものですから、雲行きが怪しくなってきます。
シエとシユが続きました。
「嘘を吐くのはよくないよ」
「優しい嘘だとしても、残酷だったわ、あれは」
ツェフェリがタロット占いを教えてもらったときのことを言っているのでしょう。確かに、サファリは大きな嘘を吐きました。それは占われた側の心を傷つけないためだったとしても、残酷なものでありました。
恋の占いだったこともあり、[恋人]の二人はふんすふんすと怒ります。あのことをシエやシユを始め、何枚かのカードたちはサファリに[利用された]ことを怒っています。ツェフェリが泣いたというのも大きいでしょう。
人懐こいティシェも、少し引っ掛かるものがあるようです。
「僕はいいと思うけどね、サファリのやり方」
「ふーたん?」
そんな中、サファリを擁護し始めたのは、[愚者]のエフェルでした。
「考えてもみなよ。もしツェフェリがサファリと同じことをして、他の人たちから非難されたら悲しくない? ツェフェリは嘘なんて吐かないけど、本当のことを言う方がつらいことだってあるのは確かだよ。サファリはそれを教えてくれたんじゃない」
「愚者が何を言うかと思えば……主が泣かされて心に傷を負ったことの方が重大であろう!!」
ハメスの剣幕をエフェルはものともしません。
「悪魔さんさ、結構短絡的だよね。もっと広い視野で見ようよ。確かにツェフェリは傷ついたけど、あそこで痛みを知っていたから、避けられた傷もあるっていうの、わからない?」
エフェルの意見にハメスはぐっと黙りました。
痛みを知らなければ、傷つくということを知らないままになってしまいます。エフェルの言う通り、あのときサファリが占いで嘘を吐くことが人を傷つけたり、救ったりすることがある、とツェフェリに痛みを伴わせて教えてくれたから、ツェフェリは健やかでいられたのだというのも一理あります。
ツェフェリは嘘を吐けないからこそ、それで人を傷つけてしまうことがあったかもしれません。もし、嘘を吐かないことで人を傷つけるということがあると知らなかったら、ツェフェリは今のように在れたでしょうか。
「俺、それ、わかるかも」
エフェルに同意したのはティムレでした。
「俺はずっとぶら下がってるからずっと疲れてるし、いつ縄が切れるかわからない、縄が切れたら地面に体打ち付けちまうって色々考える。まあ、絵だから縄が切れることはないんだけどさ。それでも、こういう疲れることを考えるのって、俺が疲れるってこと、この状態が疲れるってことを知ってるからだと思うんだ。転んだら怪我するっていうの知らないで転ぶから子どもは泣くんだろ? それと同じだよ」
逆さまでなければ、ティムレは肩を竦めていたかもしれません。
「みんな考えたことある? [吊られた男]が疲れてるって」
誰も何も答えませんでした。[吊られた男]はカードに過ぎません。意思を持って喋ったとしても、本当は疲れているなどと、誰が想像できたでしょう。
けれど、それは転んだら怪我をすること、怪我をしたら痛いことを知らない幼子と同じなのです。痛いことや疲れることを知らなければ、自己投影はできません。つまり、相手の気持ちを慮ることができないのです。
「確かにさ、ツェフェリが傷ついたのは悲しいことだと思うよ。でも、だからツェフェリは他人を傷つけないように生きて来られたんじゃないの? サファリがいい悪いは賛否両論だろうけど、ツェフェリのためになってるなら頭から否定することもないじゃん。そういうことだろ?」
論点はだいぶずれましたが、ツェフェリはどのくらいタロットたちが自分のことを考えてくれているか知れてよかったと思います。
この互いに思い入れ深いタロットたちとずっと一緒にいられたらなあ、と思うのです。