タロット絵師と再会
サファリが見事[節制]のカードを言い当て、ハクアは唖然としていました。サファリの目は海のように底知れない、けれど澄んだ色をしています。
「お前、まさか──」
ハクアが言いかけたところで、失礼致します、と声がかかりました。サルジェです。
「お茶が入りましたので、お持ちしました」
「ああ、ありがとう」
間が悪いというか、なんというか。こういう何かの歯車やパズルのピースがかちりと嵌まりそうな瞬間に遮りに来るのがサルジェという存在です。いい意味でも悪い意味でも。
北の街の領主としてだけでなく、占い師としても高名なハクアの占いを狂わせる要素として、ハクアはサルジェを見込んでいます。全ての事象には意味があり、サルジェが何らかの運命を狂わせることさえも運命なのだと感じています。
それに劣らないサファリという存在。ハクアはサファリをそう解釈していました。サルジェは無自覚な非凡を持っていますが、サファリは自覚的に自分の非凡を利用しています。そういう人種というのは稀どころか初めて見ました。大抵「自分には才能がある」と思っている輩には才能などないものですし、自分の才能をフルに活かすことができる人物などそういません。才能に胡座をかくと、傲慢が生じ、傲慢は他者を傷つけ、やがて己の首を絞めます。けれど、サファリは傲慢さのない不思議な少年でした。
少しでも傲慢さがあれば、[節制]など引けるはずがないのです。[節制]はタロットカードにおいて「中立」「バランスの取れた状態」を表すカードです。他の占い方で逆位置で出たのならば、あらゆる可能性が考えられますが、[一枚引き]という占いにおいて、正位置や逆位置の概念はあまり意味がありません。事、人柄を占うのであれば尚更。
中立的な立場。それは公正とも言えますし、無関心とも取れます。まあ、タロットカードの示す意味としては前者の方が強いでしょう。ハクアがサファリの人柄を計るために仕掛けた余興はサファリを「少なくとも悪人ではない」という曖昧な表現に留めました。
サルジェは緊張感なく、いつも通りにお茶を配ります。サファリの様子が気にならないわけではないですし、ハクアの様子がいつもと違うことに気づいていないわけではありません。ただ、自分がどうこうしたところでどうにかなるわけではない、という凡庸故の諦めに身を委ねているのです。
望みを高く持っても突然容姿が美麗になるわけではありませんし、急にカリスマ性が身につくわけではありません。弁える、というか、サルジェなりの人生経験に基づく気楽な生き方なのです。
「サルジェーーーー!!」
いきなり大声で名前を呼ばれ、サルジェはびっくうっ、と大袈裟なまでに肩を跳ねさせます。その声には当然覚えがありました。何故今? と疑問に思います。
勝手に屋敷に入ってくるのは狼藉者ですが、ハクアの屋敷に無断で入ってくる命知らずはこの街にはおりません。おそらく、ツェフェリが連れてきたのでしょう。
せっかく心穏やかになったところだったのに……と思いつつ、給仕の終わったサルジェが出迎えに行くと、ぷんすこ、と二つ結びの茶髪をうねらせてサルジェを睨むレイファがいました。その向こうには、あわあわとしているツェフェリもいます。
「……ええと?」
「サルジェ、あんたね! ちゃんと! 捕まえて! おきなさいよ!!」
「い、いきなり何の話……?」
肩をがしっと掴まれて、体を前後にゆさゆさと揺さぶられます。レイファに害意はないのですが、あまりの勢いで少し目が回りそうです。
「あの、話は聞くからさ、待っててくれない? 今師匠にお客様が来てるんだよ……」
「落ち着いてられないわよ! あんたがもっとしっかりしていればわたくしだって安心できるのに!」
「いや、本当に何の話……」
「れ、レイファちゃん落ち着いて」
あわあわとしていたツェフェリも、どうにかレイファを宥めようとします。が、レイファの意志が強いからか、サルジェから引き離すことは叶いません。
レイファとサルジェ、黙っていれば美男美女の姉弟なのですが、レイファは気が強すぎるし、サルジェは平凡すぎるのです。
実はツェフェリ、何も言わずに飛び出したレイファについてきただけなので、レイファがどうしてサルジェに怒っているのかはさっぱりなのです。ただ、むんずと腕を取られたので、半ば引きずられるようについてきたのですが……先程まで機嫌がよかったのに何故、という思いはあります。
自分にどう関係のある事象なのかもわからないので、サルジェとレイファが並ぶのを見て、ふと眼福しているツェフェリなのでした。
まあ、容姿で人の優劣をつけるのは良くないことなのですけれど、何分街一番の美人と言われる存在を目にしたばかりで、その子どもが二人、目の前に並んでいると考えると、綺麗だな、と思ったりするわけです。
ただ。
「……ツェフェリ?」
それよりもっと息を飲むような美しいものを知っていることをツェフェリは思い出しました。
声がしました。寄せては返す波のような心地の良い声です。それはとても懐かしく、ツェフェリはぱっと声のした方を向きました。きゃんきゃんと横で騒ぎ立てるレイファの声など微塵も気になりません。
そこに立っている人物は驚くほどに変わっていない、ツェフェリのよく見知った少年でした。雲のようにふわふわと白い髪、青と緑を混ぜて閉じ込めたような、海の色を詰めたような目の色。整いすぎていて人形のような造形はあの頃と何一つ変わっていないような気がして、ツェフェリは幻を見ているのではないか、と思いました。
けれど。
「ツェフェリ、お久しぶり」
もう一度名を呼ばれれば、幻なんて疑念はなくなり、彼はツェフェリの知っている笑顔で笑います。
「サファリくん!!」
ツェフェリは思いがけない再会にサファリに飛びつきました。サファリはあまりの勢いにそのまま後ろに転んでしまいます。
数年で成長したツェフェリと時間が止まったかのように何の変化もないサファリ。再会を実感するには奇妙な差でしたが、再会の喜びの前にはそんなこと、些細なものでした。むしろ、変わっていないからこそ、ツェフェリはすぐにサファリだと気づけたのです。
「よかった、また会えた!!」
「そうだね。僕も嬉しい」
「サファリくん、一人なの? お父さんは?」
「何年か前に、病気で」
「……そう」
「ところでツェフェリ」
サファリが苦みを隠さずに笑うので、ツェフェリは疑問符を浮かべ、こてんと首を傾げました。珍しいことに、サファリは若干困り顔です。
「退いてもらえると嬉しいのだけれど」
「あ、ごめん!!」
ツェフェリが飛びついて押し倒した態勢なので、いつの間にかレイファも黙りこくり、サルジェも揃って物凄い形相になって二人を眺めていました。ツェフェリはその視線に気づいてようやく恥ずかしくなったようです。
真っ赤にした顔を両手で覆ってから、数秒うー、と呻いた後、ツェフェリはぱっと顔を上げました。サルジェとレイファにサファリを示して紹介します。
「ええと、彼はサファリくん。ボクが元いた村にいた頃、色々教えてくれた行商人の息子さんだよ」
「どうも」
サルジェもレイファもぽかんとしてしまいました。
──という風になっているのだろうな、とサファリが出ていくのを止めなかったハクアは、一人紅茶を啜るのでした。




