タロット絵師がいるという
大幅改変があると思われる章の開幕です。
「領主様にたまたまお会いできるとは、僕は運がいいですね。商売の許可は領主様にお伺いを立てなければなりませんし」
「ははは、たまたま森の巡回の日にやってくるのは確かに運がいいな。私は今日たまたまついてきただけだが」
にこやかに言葉を交わし合うサファリという商人と北の街の領主のハクア。その会話を聞きながら先頭しているサルジェはよくよく発される[たまたま]という語句に変な汗が出てくるのを感じていました。
あまりにも、わざとらしすぎるのです。しかも、二人共。まさかとは思いますが、両者共にこうなることが予想できていたというのでしょうか。そんなまさか。
ハクアでこういう[運命の歯車が動く]ような現場に立ち会うことには慣らされてきたサルジェですが、ハクアのような人物がもう一人出てきたと考えると、妙な動悸がします。なんというのでしょう。この先起こることも、これまでもこれからも、自分の感情も、周囲の状況、言ってしまえば[世界全て]が握られているような心地です。それはサルジェの心臓ごとで、二人が気紛れを起こせば、サルジェの心臓なんてよく熟れた果実のようにぺしゃんこにできてしまう。そんな雰囲気がして、生きた心地がしなくなります。
計り知れないものに抱く大袈裟な恐怖、と言われてしまえばその通りなのですが、やはり、[自分だけ何もわからない]という状況には焦燥を抱かざるを得ません。この後煮られたり焼かれたりするのが怖いのです。ハクア一人ならともかく、それこそ[たまたま]出会った人物にまで命綱を握られているような感覚なのです。人となりがわからない人物に命運を預けられるほど、サルジェは楽観的には生きていません。
ハクアの人となりはわかってきたつもりですが、だからといって命綱を託せるかというと、それは別のお話です。というか、サルジェは自らの師匠のことをどちらかというと性格が悪い部類だと思っています。良く言えば強かなのですが。
そんな師匠とサファリの放つ雰囲気があまりにも似ているものですから、変な汗も出てきます。煮られるのでしょうか、焼かれるのでしょうか。
「北の街はこの広大な北の森を管理していると聞き及んでおりますが、普段から領主様が管理なさっているわけではないのですか?」
「ああ、領主になりたてのときこそ、毎日のように巡回していたが、今は立派な弟子ができたものでな。普段はそちらに任せている」
サルジェは思わずぎくり、と身を固くします。普段は[不束な弟子]、[不肖の弟子]などと呼ぶのに、何故今褒めたのでしょうか。どこか不気味に感じますが、触らぬなんとかです。サルジェはそういう弁え方を知っていました。
道案内に集中して、知らんぷりを続けようと思っていたのですが、この様子だと会話に呼ばれるまで待ったなしですね。
「お弟子さん……同行してらっしゃるそちらの方ですね」
サルジェは小さく振り向いて、軽く会釈をしました。サファリもにこやかにお辞儀をします。次いで問われます。
「よろしければ、お名前をお伺いしても?」
「サルジェと言います。しがない狩人です」
「おや」
サファリの疑問を差し込むような声にサルジェはまたしてもぎくりとなりました。何か引っ掛かるようなことを言ってしまったでしょうか。
「ご謙遜なさらずとも。この森が歩きやすいのは管理してくださっているあなたのおかげです。旅人として、有難い限りですよ」
「光栄でございます」
「僕相手に畏まらなくてもかまいませんよ。しがないのは僕の方ですから」
いやいやいや、とサルジェは突っ込みそうになりました。年齢は外見で計れるものではない、というのはわかっていますが、サファリの見た目は商売をするには子どものよう。いくらサルジェの背が高いと言ったって、サルジェの肩辺りほどの背丈しかないのは幼く見られる要因となるでしょう。それにサルジェは別に背が特別高いわけではありません。普通です。そんなサルジェより頭一つ分低い背丈だと、実年齢はどうあれ、見た目年齢は低く見えます。商いというのをサルジェはしたことがありませんが、レイファがよく「商売は見た目で舐められちゃいけないのよ」と言っているのを耳にしています。それは性別もそうですが、年齢もそうでしょう。
この背丈で、童顔とは言わないまでも、中性的で美麗な面差しの少年が、厳しい商売、しかも旅の商人としてやっていくには、まず見た目というハンディキャップがあるのです。それをなんでもないかのようにこうして北の果ての街まで商売に来る……それはつまり、それができるくらいの財があり、財があるということはそれくらい稼いでいるということです。
北の街は人間が住む北限の街とされています。それは田舎だとかそういうことではありません。北の街は森によって囲われて、一見隔離されているように見えますが、街の住人たちを見てわかる通り、生活するのに充分な水準を持っています。領主間の交流だけでなく、旅の商人などが来て物を売っていったりする、普通の街なのです。僻地とは思えないほどに。
これはハクアが領主になる前からそうでしたが、並の商人というだけでは、北の街に来ることすらできません。仮に来られたとして、領主の許可がなければ、街に入ることすらできません。いや、入ることに関してはハクアが領主になってからだいぶ緩くなりましたが、そこで商売をすることに関しては未だに厳正な審査を行っております。
礼儀のなっていない者、詐欺師紛いの輩は入れてもすぐに追放されるのです。しかも、北の街は他の街の地主との連携が強固なので、一度北の街から追放されれば、瞬く間にそれは他の街に伝わります。そうなるとその商人の看板に傷がつき、二度と商売ができなくなるほどなのです。
そこに堂々と、しかも一人でやって来られるサファリは、ただ者ではないとしか言い様がありません。
それを[しがない]と言ってのけるサファリが余計に恐ろしくなりました。決して悪い人ではないのでしょうが、緊張してしまうというか、次元の違いを感じてしまうというか。
「……謙遜しているわけではありません。俺はまだまだ未熟ですから」
「向上心の高いお弟子さんですね、領主様」
「ふふ、そうだろう?」
ハクアは何故自慢げなのでしょう。
「ああ、そうだ。実は僕、人探しもしておりまして。北の街にいると噂を聞いてやってきたのですよ」
「ほう。どのような御仁で?」
サファリの次の言葉にサルジェだけでなく、ハクアまでもが息を飲むこととなりました。
「タロット絵師の少女です。僕が知っているその人であれば、もう少女というよりは大人の女性に近づいているのかな。ふふ、これで人違いだったらお恥ずかしい」
それは十中八九、ツェフェリのことなのですが、ハクアまでもが驚いたのは、まだツェフェリのことを[タロット絵師]としてどこにも紹介していないからなのです。ツェフェリにはタロットカードの修繕依頼をいくつか渡しただけで、まだ肝心の絵師としての宣伝活動は行っておりません。
ツェフェリの宣伝の要となるであろう町医者のランドラルフとの関係は良好ですが、ラルフが何かしたという話はハクアも聞いていません。
それならば何故、サファリは[タロット絵師]というのでしょうか。サファリが告げた通り、人違いの可能性もあります。ですが、その[人違いの可能性]を踏まえてまで、北限の街に来るでしょうか。サファリがどこからやってきたかは知りませんが、この広大な森に踏みいるのに、十中八九程度の可能性では、かなり勇気がいるはずです。度胸があるだけかもしれませんが、その線はかなり薄いように思います。
度胸があるだけでは、これほど街の近くまで一人で来ることはできません。相応の情報収集能力や方向感覚、迷ったときの対処など、様々な能力値が求められます。
子どものような見た目で行商人をやっているというだけでも驚きなのに。ハクアもサファリに得体の知れない何かを感じ始めました。
「探し人、見つかるといいですね」
なんとか口を開いたのは、サルジェでした。とても他人行儀な口振りになりましたが、この妙な緊張を精一杯悟られないように振る舞った結果です。
まさかおそらく屋敷にいるとは言えないでしょう。ツェフェリがサファリの探し人だという確信は持てませんから。
けれど、ほとんど確信なのだろうな、とは思っていました。サファリはとても不思議な人なのです。ハクアやツェフェリを凌駕するほどに。
「街が見えてきました」
「商売許可の手続きがいるなら、このまま私の屋敷まで案内しよう」
ハクアの言葉にサルジェが、サファリに探りを入れるつもりであることがわかりました。すぐにツェフェリに対面させて、手っ取り早く、事を片付ける方向に決めたようです。
ただ、サルジェの胸はざわざわとしています。果たして、サファリとツェフェリを対面させるだけで事が済むのでしょうか。不穏なものではないと思うのですが、一抹の不安のようなものを抱きます。
「わかりました。ではお言葉に甘えて。ご親切にしてくださり、ありがとうございます」
悪い人ではない、ということだけは確実なのですが、何なのでしょう。この胸をざわつかせるサファリの一挙手一投足は。
戸惑いながら、サルジェとハクアはサファリを屋敷へと案内するのでした。