タロット絵師の呪い処
ツェフェリはタロットを携えて、サファリの元に向かいました。タロット占いについてはサファリに様々な展開を教えてもらっていました。故に、ツェフェリはある決断をしたのです。
「サファリくん」
「うん?」
サファリはツェフェリの真剣な表情にきょとんとしました。ただならざる決意を漲らせた瞳は赤に近いオレンジ色をしています。
ツェフェリはタロットを出して、サファリに言いました。
「サファリくんのこと、占わせて」
それはツェフェリがタロットというものを理解するための一歩でした。そして、サファリという人物を理解するための一歩でもありました。
サファリはそれを察したのか、すぐに微笑みます。
「いいよ」
店はちょうど空いていました。あまり大きな村ではないので、そう人が大勢行き交うことはありません。
目立たないことはツェフェリにとっても重要でした。何せツェフェリは[虹の子]です。村人の目に入れば、軽く騒ぎが起こることでしょう。
ツェフェリはこれから行う占いをサファリだけへの特別なものとして贈りたかったのです。余計な憶測や邪推を立ててはほしくありませんでした。
静かな店の片隅でカードを広げ混ぜ合わせます。それから、束ねたカードを三つの山に分け、一つに戻します。サファリにも同じ動作をしてもらいました。
「それで、何について占うのかな」
サファリは早速、本題をついてきました。ツェフェリはそれに対する答えを考えに考え抜いてきたので、即応します。
「サファリくんの未来について」
とてもざっくりとしたお題です。けれど、ツェフェリはこれがとても大切だと思いました。
サファリとサファリの父は旅の行商人です。いつこの村を発ってしまうかわかりません。今後会う機会があるのかも定かではありません。ですので、ツェフェリがサファリについて占うのは、ともすると、この一度きりになるかもしれないのです。
それならば、いつか去る者に贈るべき占いは未来への手向けでしょう。いい結果が出る保証はありません。けれど、ここでサファリがツェフェリに示してくれたタロット占いという存在ときちんと向き合わないと、ツェフェリが決めるべきツェフェリの今後があやふやになってしまうような気がしたのです。
村で[虹の子]、[神の子]として崇め奉られる生活に、何ら不自由は感じません。けれど、ツェフェリはいつか、一人で飛び立ちたいのです。そのための目標を決める大事な占いでありました。
ツェフェリはサファリを隣の席へ招きます。タロット占いは占い師と同じ方向から見なければ、正しい解釈を共有することはできないからです。
サファリは一つ、提言するように声を上げました。
「ツェフェリ」
それはつまり、いかなる結果が出ようとも、正しい解釈を披露するという意思表示です。それがツェフェリの精神負担になることをサファリは気にしていました。
他者への偽りの解釈にさえ、心を痛めていた子どもです。サファリは自分の過去がいかなるものか、明かすつもりはありませんでしたが、タロット占いの大抵の展開には[過去]の解釈がつきものです。ツェフェリが、それを受け止められるか、不安でした。
けれど、真っ直ぐに向けられた眼差しは黄金色で、芯の通った揺るがぬ意志を感じさせられました。ツェフェリの決意がひしひしと伝わってきて、サファリはツェフェリをこれ以上止めるのをやめました。
ツェフェリが説明を始めます。
「今回使用するのは、タロットの中でも基本とされる[六芒星法]です」
それはタロット占いの中で最もポピュラーな展開でした。六芒星はそもそも、神秘の力を秘める陣として、広く伝わっています。いつの頃からかはわかりませんが、だいぶ古くから伝わっていることに違いはないでしょう。
とてもポピュラーで、とてもシンプルだからこそ、結果が如実に表れる占いでもあります。
黒人の父親の白人の息子というサファリに、ツェフェリはどのような未来を示してくれるのでしょう。
サファリは祈りました。結果を正しく、占い師に真摯に、という思いで。
そうしてカードを返すと、ツェフェリは早速展開を始めました。
[六芒星法]の展開はこうです。
まず中央に六枚カードを重ねます。それから、それを中心に逆三角形、正三角形を交える順にカードを一枚ずつ並べ、最後に一枚のカードを中央の山に乗せます。
「それじゃあ、解釈を開始するよ」
「うん」
ツェフェリは六芒星を描く際、一番最初に置かれたカードに手をかけます。ぺらりとめくられたカードには、雷で崩れ落ちる塔が逆さまに描かれていました。
「[塔]の逆位置」
いきなり出た最悪のカードに、ツェフェリは息を飲みます。けれど、挫けません。この占いはツェフェリ自身のためにも、最後までやり遂げなければならなかったので。
「これはサファリくんの[過去]を示すカード。サファリくんの身によくないことがあった。サファリくんに非はない、もしくはサファリくんでは力の及ばないような出来事が過去にあったことを示す」
[塔]はタロットの中で唯一正位置でも逆位置でも悪い意味を持つカードです。このカードを解釈するのは、占い師にとって、難しいことでしょう。逆位置ならば尚更。
サファリは何も言いませんでした。ツェフェリもわざわざ問い質すような野暮な真似はしません。藪をつついて蛇を出す、という言葉がありますからね。
けれど、一番最初のカードがこれで、よかったのかもしれません。何せ[塔]のカードはタロットの中に一枚しか入っていないのですから、この後はもう出てくる心配はありません。
サファリの身に起こった悲劇が過去のものでよかった、とツェフェリは安堵し、ふと気づきます。
──そういう解釈もあるのか、と。
[六芒星法]はカードを配置した順番に[過去]、[現在]、[未来]、[周囲の状況]、[潜在意識]、[対応策]、[最終予想]となります。もし[塔]のカードが[未来]や[最終予想]で出ていたなら、目も当てられません。
そう、その結果より、より悪い結果や配置を予想することで、幾分かましに思えるのです。
先日、サファリがお客さんの女性に対してやったことは不正であることに変わりはありません。けれど、非道だったわけではありません。むしろ優しさと捉えることもできましょう。
それでも、ツェフェリは、自分が作ったタロットというものに、自分が導き出した未来に、責任を持ちたかったのです。
ツェフェリには[責任]とは何か、ずっとわかりませんでした。言葉は知っています。ツェフェリには[虹の子]としての責任があるというのは、ずっと教わってきたことです。
本で読んだところによると、自分の言動や行動に伴う、何か間違いがあった場合に償ったり贖ったりする能力のことを言うのだとか。けれど、教会に住むツェフェリにとって、償いや贖いは免罪符のようなもので、ものすごくぼんやりとした概念でした。
責任も、正しくは概念ではないのでしょうが、目に見えず、感じ取るしか術のないものという意味では、償いや贖いと同じものと言えるでしょう。
ツェフェリはそう咀嚼し、サファリを間違っていると思ったからこそ、こうして正しい手法で占っているのです。譬、どんな結果が待っていようと。
二枚目に手をかけます。サファリの[現在]を示すカードです。
そこには太陽の下でてらいなく笑う男の子がいました。「やあ、つぇーたん」と今にも語りかけてきそうなほどです。
「[太陽]の正位置」
その男の子の笑顔が示す通り、[太陽]は普遍的な幸せを示すカードです。つまり、サファリの[現在]は円満である、ということを示します。
サファリとサファリの父親の様子を見ていれば、カードで導くまでもない結果と言えましょう。二人は口数こそ少ないけれど、そこに確かな信頼があります。サファリは村の子どものように親に安易に甘えることをしない不思議な子どもでしたが、親というものを知らないツェフェリでも、二人の間に確かな絆があることは読み取れました。
「サファリくんは今、とても幸せです。過去にあったことが影響しているのかもしれないけれど、今がとても円満で、今の暮らしも悪くないと思っている……のかな」
サファリはふっと微笑みました。何も答えませんが、ツェフェリの解釈はあながち間違ってはいないのでしょう。でなければ、彼は自ら進んで店番などしないでしょうから。
さて、続くカードは[未来]です。タロット占いの他の展開でもあることですが、いくつもの未来があったり、[未来]とは別に[最終予想]が存在したりします。それはその他諸々の要素を踏まえ、可能性を導き出す、ということなのでしょう。
[六芒星法]における[未来]はこの占いの[対応策]を踏まえない未来です。如何様にでも変わりようがあるサファリの未来には一体何が出るのでしょうか。
「[魔術師]──の逆位置」
杖を携えた青年が逆さまになっていました。絵なのであり得ないことですが、机に置かれた金貨や短剣や聖杯が落ちそうにも思えます。
[魔術師]はタロットカードにおいてナンバーI、始まりを表すカードです。それが逆さまになっているということは……
「これは何かが終わる……もしくは行き詰まる、ということを示しています」
止まってしまう未来。少し不穏です。しかし、告げられたサファリは少しも嫌そうな顔をしません。むしろ感心しているように思えます。
ツェフェリの真剣な占いをサファリもまた、真剣に聞いているのでした。初心者だろうが玄人だろうが、[虹の子]だろうがなんだろうが、サファリには関係ありません。
真剣に物事に取り組む人の出した成果に茶々を入れるほど、サファリは人でなしなわけではありません。
「この場合は行き詰まるの方が解釈としては正しいかも。何かが終わるという解釈は[死神]の方が強い意味合いになると思うから」
何に行き詰まってしまうのか、ツェフェリにはわかりません。タロットは事の仔細を映し出すような便利な占いではないのです。今ある情報から、カードが示す意味を解釈していき、結論を導き出す、考える占いなのです。
何に行き詰まるかは考えれば可能性など山のようにあります。サファリはまだツェフェリと同い年くらいの子どもです。見えない壁にぶち当たることなど、この先何度もあることでしょう。[魔術師]が示すのはそのうちの一つに過ぎません。
「それならその未来をどうやって打破したらいいか。[周囲の状況]から整理していくよ。──[皇帝]の正位置」
[皇帝]のカードは誠実さ、実直さ、信頼などの象徴です。これは頼れる人が傍にいる、という解釈もできます。
けれど、ツェフェリは別の解釈をしました。
「サファリくんには、お父さんがいる。信頼できる絶対的な存在として」
言われて、サファリは目を見開きました。
確かに、[皇帝]のカードは男性の象徴、父親という解釈も含みます。まさかここに当ててくるとは思っていなかったのです。
ツェフェリの解釈も正しくはありました。サファリにとって、父親は唯一信頼できる存在だからです。
「続けて」
サファリは細波のような声でツェフェリを促しました。
ツェフェリは頷き、次のカードに手をかけます。次は[潜在意識]です。
「[月]の正位置。……月、星、太陽のカードがタロットにはあるけれど、星や太陽が自ら輝けるものだからか、月には不安、という意味がある。理由はないかもしれない、未来への漠然とした不安。それが今のサファリくんの心の奥底にあるもの」
あまりいい意味のカードではありませんでしたが、ツェフェリは肚を決めたようで、しっかりと解釈を伝えていきます。
空に浮かぶ月を眺める犬とザリガニは、言葉なく、まさに漠然とした不安を煽るように、こちらに背を向けていました。
続いては[対応策]のカードです。
めくって、ツェフェリはひう、と息を飲みました。黒いローブに首を刈り取ることもできそうな大鎌。骸骨のその姿は禍々しくそこに鎮座しておりました。まごうことなき死神です。
「[死神]の、正位置……?」
[塔]が出たときに、もうこれ以上悪いカードは出ない、と思ったからでしょう。[死神]が出た衝撃は、ツェフェリの顔を青ざめさせました。
[死神]はその名と姿が示す通り、死を表すカードです。[塔]と違い、逆位置になれば意味も反対のものになりますが、今回は正位置で出ました。
固まるツェフェリにサファリは声をかけます。
「ツェフェリ、[死神]のカードは何も全てが死を表すわけではないよ」
「あ……物事の停滞、も表すんだっけ……」
学んだ通りに口にしてはみたものの、[対応策]というにはおかしなものでした。それに、どうも嫌な予感がするのです。
物事の停滞が、何かを変えることがあるのでしょうか。これは偏った考えかもしれませんが、それならば誰かの死の方が心境的にも状況的にも大きな変化をもたらすと思われます。
ツェフェリはこくりと一つ唾を飲み、首を横に振ってから、サファリに告げました。
「ううん、これは誰かの死がきっかけになって、サファリくんの身の回りや心境が変わるということかもしれない。それが不幸なことだとしても、占いで出た以上、ボクはそう解釈する」
「……そう」
サファリは海色の目を細めました。心当たりでもあるのでしょうか。海色の奥に覚悟の炎が灯っているように見えました。
さあ、次が最後のカードです。ツェフェリがサファリについて占った結果の[最終予想]は……
「[節制]。正位置だね」
サファリによく似た天使が水瓶から水瓶へ水を移し変えている絵です。[節制]の正位置。これはバランス、調和を取ることを表す意味を持ちます。
「[節制]は偏りがなく、バランスの取れた平穏を表します。つまり、[死神]の示す対応策は苦難になるかもしれないけれど、最終的にサファリくんの安定した生活に繋がる重要なことなのかもしれません」
解釈を終えると、ツェフェリはカードから手を放し、一度、展開を眺めました。それらを目に焼き付けるようにしてから、サファリに真っ直ぐ告げます。
「解釈は以上です」




