タロットカードの覚醒
「ほ、本当の解釈って……?」
ツェフェリの声は震えていました。深緑色が濃く、黒く、ツェフェリの心情と共に暗くなっていきます。
[本当の]ということは、つまり、サファリは先程の占いで嘘をついていたということになります。ツェフェリとて、先のサファリに何も感じていなかったわけではありませんが、いざ、言葉で以て突きつけられると、ああ、あの違和感は本物だったんだ、と落胆するような気持ちに囚われるのです。
サファリはその前に、と告げました。
「僕は何の不正もしていないし、カードの配置がああなったのはたまたまだ。僕はカードについて、あのときの解釈としては何一つ間違ったことを言っていない。カードの意味自体は間違っていないんだ」
「じゃあ、何が間違っていたの?」
ツェフェリが不安を閉じ込めたような暗い紫の目で問います。サファリはなんでもないことのように答えました。
「カードの向きだよ」
「えっ」
あっさりと告げられた事実に、ツェフェリは驚くより他ありませんでした。
先の占いの最中、サファリは確かこう言っていました。タロット占いにおいて、カードの向きは重要である、と。その肝心の向きが、全て逆さま、ということは……
幸せそうに自分の恋の成功する未来を喜んでいたあの女性は、どうなってしまうのでしょうか。
タロットはあのときの[愛の架け橋]のまま、広げられています。サファリは順番に説明し始めました。
「まず、お姉さんの過去。これは[皇帝]の逆位置。誠実や実直を意味するカードが逆向きで出るということは、あの人はお相手さんに対して、不誠実だったっていうこと」
「不誠実……」
浮気でもしていたのでしょうか。あんなにるんるんと恋人のことを語らっていたのに。
サファリは少しの感情も宿らない顔で告げます。
「これは展開を始める前から想像がついていたよ。あのお姉さん、願いを口に出さなかったでしょう? それは相手が誰か知られては恥ずかしい、なんて可愛らしい理由じゃなかったんだ」
サファリは次に読み解いたカード、[恋人]を指差します。これは正位置です。
「過去にその人とは恋人だったんだ。何かがあって、別れた。その理由を知っている人がいるかもしれない手前、相手の名前は出せなかったんだ」
思い返せば、あの占いのとき、観衆は大勢いました。あの女性の顔見知りや友人がいても、何ら不思議はありません。
けれど、隠さなければならないほどの別れをした相手にどうして執着するのでしょう。
それに応えるように、サファリの指は女性と相手の[現在]にあたるカードを示しました。
「お姉さんの[太陽]は大まかに幸せを意味することは話したよね。結婚とか円満とかも表すって。でもこれは正しくは逆位置だから、意味も逆になる。お姉さんは不幸せ。恋人だったこともあるっていうことだから、一度は結婚して別れたのかもしれない。細かいところはわからないけど、あのお姉さんはそれで不満を抱いていたんだろうね。
一方お相手さんは[法王]。これは精神的なものを意味する。逆位置だから、心にゆとりがなかったり、焦りがあったりするんだろうね。何が原因かはわからないけど、この占いで出るっていうことは、あのお姉さん絡みの精神状態だってことは察しがつく」
サファリの解説に、ツェフェリが口元を覆います。
「そんな……想い人さんの話をするとき、あのお姉さん、あんなに楽しそうだったのに」
次々と紡ぎ出される良い結果に爛々と輝いていた女性の目を思い出します。あの目はとても幸せそうでした。聞いている人々までをも喜ばせるほどに。
けれど、サファリは素っ気なくあしらいます。占いをしていたときのように。
「そこが思いの行き違いなんだよ。あのお姉さんはその人のことを好きで好きで堪らないかもしれない。でも、お相手さんは全然そんな気がない。むしろお姉さんを歓迎しない気持ちすらあるかもしれない。全て憶測だけれど、[未来]のカードを見たら、楽観的なことは言えなくなるよ」
サファリに指摘され、ツェフェリははっとしました。相手のカードは[審判]の逆位置、女性のカードは[死神]の正位置。
[審判]の正位置は復活や祝福を意味します。このラッパを吹き鳴らす天使は審判を終えた人々が外に出て、神の祝福を受けて再び世に生まれるのを促しているのです。それが逆の意味となると……
「[審判]の逆位置は罰を受けたり、再起不能になることを意味するの……?」
「その通り。じゃあ[死神]は?」
サファリはさらりと問いますが、ツェフェリは喉が凍ったように、その答えを紡ぎ出すことができませんでした。[死神]の意味はそのカードを一目見ただけでわかるくらい、単純で端的なものです。ですが、だからこそ、ツェフェリは簡単には口にできませんでした。
「意味はもう、わかってるよね?」
死。停滞などでは生温いでしょう。何せ対となる結果に[審判]の逆位置が出ているのですから。
「どうして、どうしてこうなるの?」
あんなに幸せそうに、楽しそうに、想い人の話をしていたのに。占い結果に目を輝かせ、時には頬を朱に染めて、とても楽しんでいたのに。何故、こんな残酷な結果が待っているというのでしょう。
サファリは淡白に、二人の間にかかった[愛の架け橋]のカードを手に取り、眺めました。
その手にあるのは[運命の輪]。天使が歯車を回す絵です。タロットカードのちょうど真ん中、Ⅹのカードでした。
「[運命の輪]はタロットカードの中で真ん中にあたる番号を背負うカード。だから、重要な意味を持つんだ。絵の通り、歯車が噛み合った状態。運命的な出会い。……わかるかな、ツェフェリ。このカードも逆さまに出たんだよ」
逆位置になると、タロットカードは逆さまの意味を持つことになります。つまり、ここでの[運命の輪]は歯車が噛み合っていない状態や巡り合わせが運命ではなかったことを意味するのです。
本当の解釈はとても残酷でした。ぞっとするほどに。
ツェフェリは恐る恐る、サファリが最後に女性に見せずに手に取った[塔]のカードを示します。サファリは逆さまに持っていたから、きっと逆位置なのでしょう。
「……これの、意味は?」
サファリは淡々とした調子で語りました。
「[塔]はタロットカードの中で唯一、正位置でも逆位置でもいい意味を持たないカードなんだ。雷という天災で塔が崩れていく。それは人間の力ではどうしようもないことだ。[審判]の逆位置よりも再起不能、どうしようもない、崩壊を示す。正位置では自分が引き起こしたことが原因で、逆位置では他者が引き起こしたことに巻き込まれて、災難に見舞われる、という解釈もあるみたいだけど、正位置は天災、逆位置は犯罪っていう意味もあるよ。[死神]と組み合わせると、どういう犯罪が起こるかは、想像がつくよね」
死を呼び起こす犯罪なんて、一つしか思いつきません。
ツェフェリは震える声で言いました。
「あのお姉さんが、想い人さんを殺しちゃうの……?」
「そうなるかもしれないね」
サファリの口調はどこまでも他人事です。
「占いなんて、当たるも八卦、当たらぬも八卦、だよ。本当の解釈はこれで終わり」
「待って、待ってよ」
ツェフェリがすがるように言い募ります。
「なんで逆さまの解釈をしたの? 本当の解釈を教えなかったの? 知っていたら、何か変えられたかもしれないのに」
「変えられたって、何を?」
翠と碧の境で淡く色づく海色の目の鮮やかさなんてないように、サファリの声は無色透明で、とても冷たい氷水のようでした。
タロットを片付けながら、彼は語ります。
「もし、何かを変えられたとして、ツェフェリにこの真実の解釈が言えた? [塔]の解釈をどう都合よく語り聞かせることができた?」
ツェフェリは何も言い返せませんでした。
「[障害物]が[塔]の時点でどうしようもなかったよ。本当の解釈をしていたら、お姉さんは正気でいてくれなかったかもしれない。だから僕は全部逆向きで話したんだ。嘘は吐いたけど、間違ったことは何も言ってないよ。都合のいい解釈をしただけさ」
サファリの言う通りです。この結果をあの女性が知ってしまったら、ただでは済まないでしょう。けれど、その言い様には違和感がありました。
「なんで最初から全部わかっていたみたいな言い方をするの?」
「さっき言ったことと同じだよ」
サファリは即座に答えます。
「あのお姉さんが占ってほしいことを念じるとき、何も言わなかった。それは言うと恥ずかしいからかもしれないけど、疚しさを隠すためだと僕は思ったんだ。何か一つでも疚しいことがある人に、ろくな人はいないよ」
「そんなの決めつけだよ」
「うん、そうだね」
サファリはあっさり認めました。あまりにもすんなり認められてしまったもので、ツェフェリは二の句が継げなくなります。
サファリはにこりと笑いました。まとめたカードをツェフェリの手に握らせます。
「でもね、駄目なんだ。お商売もそうだけど、占いなら尚更、人を喜ばせないと。当たるも八卦、当たらぬも八卦ってさっき言ったけど、譬当たっていなくても、いい結果だといい気分になって、笑顔になるでしょ? あのお姉さんみたいに」
……確かに、占いの結果が嘘だったとはいえ、いい結果を聞いた女性は幸せそうに帰っていきました。それを思うと、その幸せを奪うのは、この村に住む者の幸せを願う[虹の子]として、一人の人間としても、できません。
でも、それでも。知ってしまった残酷な結末に、ツェフェリは涙を止めることができません。
「こんなのって、あんまりだよ……」
俯いたツェフェリの涙が、小さな机の上で弾けたそのときです。
「マスター、マスター」
声がどこかから聞こえました。サファリのものではありません。きょろきょろとしていると、柔らかな男性の声がここです、と存在を示します。
「我々はマスターの手の中に」
「手の中……?」
「どうしたの、ツェフェリ」
サファリの様子を見るに、サファリにはこの声は聞こえていないようです。そして今、ツェフェリの手の中にあるのはツェフェリの作ったタロットカードのみ。
握っていた手を上に向ければ、現れたのは[運命の輪]のカードでした。
「[運命の輪]?」
「はい、そうでございます、マスター」
世にも奇妙なことに、どうやら、ツェフェリの作ったタロットカードが喋り始めたのです。