タロットの導いた逆位置
声をかけられた女性はあら、と少し大人っぽい声を出しました。
「占いをやるの? カードゲームではなくて?」
世間話に応えるように、サファリは微笑みます。
「女性はそういうの、お好きでしょう?」
それに、とサファリは丁寧な仕草でツェフェリを示しました。
「今ならなんと、[虹の子]さまが見守ってくださいます。こんな絶好の機会、なかなかあるものではないですよ」
そこで女性はぎょっとして、ツェフェリに頭を下げました。
「これはこれは[虹の子]さま、ご機嫌麗しゅう」
ツェフェリは微妙な気分になりました。[虹の子]として崇められることには慣れたつもりでいたのですが、こうも露骨に媚を売るというか、機嫌を取るというか……そういった態度を取られると、もやもやした気持ちになるのです。
周囲も、[虹の子]さまと聞いてどよめきます。稀に街を出歩く程度の[虹の子]ツェフェリは普段、名乗りもしないものですから、皆[虹の子]という存在は知っていても、見たことがない場合があるのです。そのせいでより神秘的なものとされ、崇拝者が増えるので、ツェフェリはこの村の完全なる偶像でした。
滅多にお目にかかれないことから、有難がられたり、ありもしない尾ひれはひれがついたりして、ツェフェリのことを指す言葉は多種多様でありました。
「[虹の子]さまがいらっしゃる。ありがたやありがたや」
「手に触れただけで恩恵を授けてくださるという?」
「虹の目で見つめた箇所を癒すんだろ」
「幸運を人々に配ってるって聞いたわ」
同じ村の中だというのに、ツェフェリに対しての認識は十人十色のようで、ツェフェリは呆れました。せめて統一してほしいものです。どれも事実無根ではありますが。
[虹の子]の名で観衆が集まったところで、サファリは指名した女性に椅子を勧めました。対面で座ります。
指の先まで華麗さと美麗さの行き届いた仕草でカードを捌くサファリに、ツェフェリは見惚れてしまいました。できたてほやほやの紙のカードなので、派手なパフォーマンスはしません。
その手を止めることなく、流れるように女性に眼差しを向けて、サファリは問いかけます。
「何について占いますか?」
すると、女性は照れたように頬を赤らめ、頬杖を突きました。
「それは……わたくしとて乙女ですもの。占いときたら、やっぱり恋愛を……ねえ」
「ふふ、意中の相手がおいでで?」
「まあ!!」
口元に手を当て、耳まで赤く染める女性。どうやら図星のようです。
サファリは少し思案し、それからにっこりと笑って告げます。
「では、あなたはその方との相性占いをお望みということでよろしいですか?」
サファリは何のてらいもなく、言い切ってしまいます。けれど、その表情の一つ一つから、サファリが真剣に真面目に占いをしようとしていることがツェフェリにはわかりました。決して相手をからかっているわけではないのです。
ツェフェリに占いを教えてくれると彼は言いました。彼が店の表に立ってまでお披露目をすることはまずありません。これまで数日、この店を回してきたのは黒人であるサファリの父親でしたから。
白人の中でもこんなに魅惑的で美しい少年を看板として店先に立てておくだけで、店の儲けは随分と違うでしょうに、この店はそれをしません。それがどういう考えの下かはツェフェリには皆目見当もつきませんが、ツェフェリはどきどきが抑えられません。サファリの占い師として、そして、商人としての駆け引きを見ることができるのですから。
「では、今回の手法として、[愛の架け橋]を使いましょう」
ラバーズ、つまりは恋人を意味する語句が現れたということは恋愛占いであることは疑いようがありません。女性も色めき立ち、食い入るようにサファリに説明を求めます。
サファリはきちんと一から手順を説明していきました。
「まず、このカードをよく切ります。カードゲームにおいてもそうですが、カード占いにおいても、これは基本中の基本です。特に、念入りにかき混ぜることが大切です」
言うなり、サファリは机いっぱいにカードをばらまき、ぐちゃぐちゃと混ぜていきます。もちろん、手つきはカードを傷つけないよう細心の注意が払われています。
それをざっくばらんに一纏めにすると、整えたカードを、今度は三つの山にわけ、適当に積み直します。カードゲームでも使われるシャッフル法です。公正を期すために、何種類かの切り方を使ってカードを混ぜる。そのことによって、出てくるカードがどんなものか、予想をつかなくさせるのです。よりギャンブル性が高まると同時、仕込みがないことの証明にもなり、カードが導き出す結果により運命性を感じさせることができます。
そうしてもう一つ、サファリは信憑性を高める手法を取りました。相手に最後のシャッフルを委ねるのです。相手はどんな順番でどんなカードが並んでいるのかわからないものですから、不正のしようがありません。
三つの山にわけ、適当に戻した女性がサファリにカードを返します。ここからが本番です。
「さて、ここからこのカードたちを[愛の架け橋]という占いに展開していきます」
と、そこでサファリは付け加えました。
「占いをより明確なものに近くするためには、あなたが今占いたいものをこのカードに写るように祈ってください。声に出しても出さなくてもかまいません。念じるんです」
「声に出さなくてもいいんですの?」
「ええ。強い思いがあれば、タロットたちが聞いてくれるでしょう」
女性はふふ、と笑って目を閉じ、タロットに手を乗せ、数秒瞑目しました。
ツェフェリは願うなら口に出した方が叶うような気がするので、念じるだけに留めた女性が不思議で、思わず問いかけます。
「声に出さなくてよかったんですか」
「あら、[虹の子]さま」
女性は頬を赤らめ、羞恥を滲ませて答えました。
「恥ずかしいではありませんか。相性を占ってもらうのです。相手の名前を口にしてしまうなんて……」
それはもっともです。懸想している相手の名を知られれば、狭い村ですから、すぐ村中に知れ渡り、噂話を賑やかすことでしょう。ツェフェリはあまり気にしていないようですが、[虹の子]がいることとサファリの巧みなカード捌きで、観衆が何人もいるのです。
けれど女性ははっとします。
「もしかして、名前がわからないと相性が占えないかしら!?」
サファリはカードを整え、さらりとした笑顔で答えました。
「そんなことはありませんよ。お相手の名前について、必要な場合、占いでは前もってお伺いするでしょう?」
「そういえば、聞かれなかったわ。それでも大丈夫なのかしら」
「ええ」
細波のように心地よく、サファリの声は響きました。
「タロットというのは精霊に呼び掛ける儀式のようなものです。精霊は表面上の言葉よりも、奥深くにある人の心の言葉を聞くことができます。ですから、あなたがその方を強く思っていれば思っているほど、精霊にも通じているのですよ」
精霊の話が出て、タロット占いというものの神秘性が増したせいでしょうか。サファリのカードを扱う手が、見つめる瞳が、彼の纏うもの全てが神秘に煌めき、魅了する輝きを放っているように見えます。
彼は展開を始めました。自分から見て左側にカードを八枚重ね、右に一枚、また右に一枚と置きます。女性側にもカードを上から八枚重ねて置き、右側に一枚ずつカードを置きました。
二つに隔たれた三つの山の真ん中を繋ぐ橋のように一枚が置かれ、その橋の脇に横向きで最後のカードが置かれます。
「これが[愛の架け橋]の配置です。[愛の架け橋]とは相性占いに近いものがあるタロット占いの手法で、占いの対象となる自分と相手、それぞれの左から[過去]、[現在]、[未来]を測り、[現在]同士の結果を繋ぐこのカードをキーカードである[愛の架け橋]と呼びます」
「この横向きのカードは?」
「それは最後のお楽しみです。ではタロットたちが示した未来を覗いていきましょう。お姉さん側に置かれたのがお姉さん側、僕の側に置かれたのがお相手側の[過去]、[現在]、[未来]です。交互に[過去]、[現在]、[未来]の順で開けていきましょう」
そうしてサファリは女性側に置かれた[過去]を表すカードをめくりました。そこに描かれていたのは玉座に座った壮年の男性でした。女性の方を向いているそのカードは[皇帝]です。
「ここから、カードの示す意味を読み解いていくのを解釈と呼びます。想い人は真面目で実直な人、という印象だったんですね」
「そうなの。私、彼のそういうところが好きになって」
女性が惚気始めますが、サファリは微笑みを湛えたまま、我関せずといった感じで次のカードに手をかけます。出てきたのは[恋人]のカードです。サファリ側を向いていました。
女性があら、と声を上げます。
「カードが逆向きよ?」
「タロット占いでは、カードの向きも重要なのです。逆さまの向きで出てきたカードを逆位置、正しい向きのカードを正位置と言います」
淡々と説明するサファリの声が、ツェフェリにはどこか冷たく聞こえました。一抹の不安、というと大袈裟ですが、心の中にもやもやとしたものが立ち込めます。
サファリはそのまま解釈を続けていきます。
「つまりこれは[恋人]の逆位置ということ……その方はまだ、あなたを恋人と思っていないようです」
遠慮のない言葉に、女性はくすりと笑います。
「それはそうですわ。私、まだ彼に何も言っておりませんもの」
女性には応じず、サファリは次のカードをめくります。
女性側の[現在]には[太陽]のカードが女性向きで出ました。
「結婚願望があるようですね」
「まあ!! そんなことまでわかってしまいますの?」
「[太陽]のカードは幸せを意味します。ありとあらゆる円満な幸せを示すカードなので、結婚を始め、夫婦円満、家庭円満などの意味も含みますよ」
手短に説明を済ませると、恥ずかしがる女性などお構い無しに、サファリは次のカードへ手を伸ばしました。[法王]が女性の方を向いていました。
「なるほど。お相手はあなたが傍にいると安心できるみたいですね」
「まあ、嬉しいわ!!」
「先にお相手さんの未来を覗いてみましょうか」
そうして、開かれたのは、空で天使がラッパを吹く[審判]のカードでした。これも女性の方を向いています。
「[審判]の正位置ですね。このカードは復活やそれに伴う祝福を意味するものです。明るい未来が訪れることでしょう」
その言葉を聞き、女性は感極まったように瞳をうるうるとさせます。とてもいい結果が出て、嬉しいのでしょう。
サファリは次のカードをめくります。女性の未来を示すカードです。
めくられたカードを見て、涙ぐんでいた女性も、見ていたツェフェリも息を飲みます。それもそうでしょう、出てきたのは黒いローブを羽織り、大鎌を持った骸骨。誰もが容易にその名前を思い浮かべるであろうカード、[死神]だったのです。
なんて不吉なカードが、と空気が凍りつきますが、サファリはサファリの方を向いている[死神]を見て、極めて冷静に対処します。
「ご覧の通り、これは[死神]、死や停滞を表す、一見恐ろしいカードですが、よくご覧ください。向きが違うでしょう? つまりは逆位置です」
先程出た[恋人]のカードを示し、それから[死神]のカードに戻って説明しました。
「向きが重要、という話はしましたよね。それは正位置か逆位置かでは意味がまるきり異なるからです。この[死神]のカードなんかはわかりやすく意味も逆さまになって、新たな始まりを示すのです。新しい関係を築いていけることでしょう」
「そうだったのね! 驚いたわ……」
「肝心なのはここからですよ。この占いの名前でもある[愛の架け橋]のカードをめくりましょう」
[愛の架け橋]のカードは[愛の架け橋]における目玉カードです。さてはて何が出るのでしょう。
「[運命の輪]……なんということでしょう。あなた方は出会うべくして出会ったのです」
天使が歯車を回すカードは女性の方を向いています。
「[運命の輪]は運命や巡り合わせを示すカードです。それが正位置で出たということはとても良い巡り合わせということになるんですよ」
それから、サファリは脇に置いたカードを自分の手元に寄せ、にこりと笑います。めくることはしませんでした。
「このカードは二人の愛の前には必要なかったようですね」
「そういえば、何のカードでしたの?」
カードを女性に裏向きのまま、女性に見せます。サファリが持ち上げたことで、ツェフェリには絵が見えました。雷によって塔がばらばらに砕けていく様が描かれていくさまが逆さまに描かれていました。
「これはあなた方の愛に対する[障害物]を示すものでした。けれど、どんな困難でもきっと、乗り越えていけるでしょう。おめでとうございます」
それからしばらく、店は繁盛しました。面白い少年がいる、[虹の子]さまが立ち寄っているというのはかなりの宣伝効果をもたらし、占いの頃には真上にあったお日さまが、店から人気がなくなる頃には沈みかけておりました。
ツェフェリは客がはけるまで待っていて、と言われたので待ちました。が、少し不安がありました。何故、わざわざ待たせるのだろう、と。
漠然とした不安です。もしかしたら、さっきの占いには、何か裏があったのかもしれません。あまりにも都合のよすぎる結果でしたから。まあ、客寄せに引き留められた可能性も大いにあり得ますが。
人がいなくなった頃、そのままにしていた[愛の架け橋]の展開の前に、サファリと並んで腰掛けました。
サファリは告げます。予期せぬ言葉を。
「ここから、本当の解釈を始めるよ」