タロット占いを習ったとき
[あのとき]。それはツェフェリがタロット絵師になると決めた瞬間でありました。
「長いお話になります。サファリとボクの話です」
少し悲しげな青紫にツェフェリの目の色が変わりました。ラルフは一口、カップの飲み物を飲むと、頷きました。
「ステファンが呼びに来るまで、いくらでも時間がある。聞かせておくれ」
「はい。では」
それはツェフェリが村で[虹の子]と呼ばれていた頃のことです。
ツェフェリは占いのできるカードに興味を示していました。それは占いに興味を持ったのではなく、カードに絵柄があることに興味を持ったのです。ツェフェリは本を積極的に読み、知識を自分なりの形にしようとする意思が強かったので、もしかしたら、芸術向きだったのかもしれません。
[虹の子]、[神の子]と崇められていますが、ツェフェリには特別な力はありませんでした。絵本で読むような魔法の力も、誰かの傷を癒す力も、おそらく、人の心を魅了する力も、なかったのだと思います。崇められたのは七色に変わる珍しい目の副産物だと考えていました。
そう考えると、虚しい信仰ですが、崇められているのなら、その人々の気持ち分、返してあげたい、という思いがツェフェリにはあったのです。その手法として目をつけたのが、タロットカードでした。
ツェフェリは占いを見たことがなかったので占いに関する知識はぼんやりとしたものでしたが、占いとは時に人の心の拠り所となることをどこかで聞きました。
心の拠り所。これだ、とツェフェリは思ったのです。まさしく、[虹の子]としてツェフェリに求められている姿でした。心の拠り所というのは。
移動図書館でタロットの本を見繕い、サファリにタロットカードやタロット占いについて教えてもらいました。父親と旅をして、様々な知識を身につけているサファリは、時に本よりも頼りになりました。
サファリに絵の描き方を教えてもらい、毎日少しずつ、タロットカードを描いていきました。一枚、また一枚、と出来上がるたびに、完成したときのことが楽しみでなりませんでした。
出来上がるたび、サファリに見せて、褒めてもらうのも楽しみの一つでした。サファリは商人の父親を手伝っているからか、審美眼があり、いつも的確に評価をしてくれます。ツェフェリの意識したところを見抜いて、褒めてくれました。それがとても心地よくて、ツェフェリは楽しくて仕方がなくなりました。
順番はばらばらに描いていたので、番号順に描き上がったわけではありません。ツェフェリは自分のインスピレーションを大切にしていました。といっても、本人に自覚はありません。タロットカードの絵柄にはある程度の決まりがあり、それをメモして、構図が上手く浮かんだ順に描いていました。
その、最後の一枚となったのは[節制]のカードでした。バランスを意味するこのカードは、きっとツェフェリのタロット全体のバランスを取る絵柄にしなければならないだろう、と悩んでいて、なかなか出来上がらなかったのです。
それと、もう一つ理由がありました。前述した通り、ツェフェリは出来上がったカードをサファリに見せるのですが、それが恥ずかしかったのです。構図も技量も問題はありません。ただ、[節制]のカードには水瓶から別の水瓶に水を移し変える天使の姿が描かれるのですが、それが問題だったのです。
ツェフェリは何度も下絵を描き直しました。けれど、どう足掻いても、天使の淡々と役目をこなす顔がサファリに似てしまうのです。知っている人物に似ていると、その人物の髪の色や目の色、肌の色を再現したくなってしまいます。サファリにそっくりの天使の絵をサファリに見せるのは……かなり気恥ずかしいことのような気がしました。
表情を変えたり、いっそ女性にしてみたり、ツェフェリはありとあらゆる手で天使がサファリに見えないようにしたかったのですが、結局、出来上がった[節制]の天使の絵はサファリ似の女性となりました。
何故[節制]のカードがサファリになってしまうのか、ツェフェリにはいまいちわかりませんでした。今も正直わかっていません。けれど、何度やってもそれ以外にならないので、何かの思し召しだろう、と思うことにしました。
二十二枚の大アルカナが完成して、サファリにお披露目します。[節制]の天使の顔について言及されないよう、二十二枚を一緒に見せました。
「ど、どうかな?」
恐る恐るといった様子でサファリを窺うツェフェリ。サファリはカードの一枚一枚を丁寧にじっくりと見て、全て見終わると、ツェフェリに返しました。
カードを見るときは何の感情も宿っていないサファリでしたが、ツェフェリにカードを返すとき、なんと笑顔を浮かべていたのです。サファリはよく褒めてくれますが、いつも表情なんて一ミリも動きません。そのサファリが、笑ってくれたのです。
「素敵なアルカナに仕上がったね。二十二枚描くの、大変だったでしょう?」
「う、ううん」
絵を描いている間はとても楽しい気持ちでした。完成するまでわくわくもしましたし、完成した今はとても満足しています。達成感も、もちろんありました。
何より、サファリに褒めてもらえたことが嬉しかったのです。
サファリはツェフェリの手に包まれた二十二枚のタロットカードを見つめます。
「一枚一枚、大切に描かれたのがわかる絵だよ。細かいところまで調べて、繊細で、誰かのためになりたいっていう、ツェフェリそのもののように思える」
「ボクそのもの……」
ツェフェリのタロットの中に、ツェフェリに似た人物は存在しません。
けれど、後に出会うサルジェにそっくりな絵や、ラルフやハクアのような絵も今にして思えばあるのです。彼らはツェフェリを形作る一部。サファリの言う通り、ツェフェリの未来までをも汲んだタロットカードでした。
さて、とサファリが立ち上がります。荷車から小さな机を下ろしてきました。誰も立ち寄ろうとしない、黒人の店先で、白人の少年は何をしようというのでしょう。
「せっかく出来上がったんだから、今度は使い方を教えないとね」
「えっ」
「道具は使われないと可哀想だろ?」
ツェフェリは道具という言葉に、何故か驚きました。どうして驚いてしまったのかはわかりません。ただ、サファリの目に映るツェフェリの瞳は青い色をしていました。
サファリがそんなツェフェリを見て、荷車の荷台にホロをかけられた荷物たちをぽんぽんと叩いて示します。
「ここにある商品だって、誰かの手に渡るべくしてあるんだよ。売れ残っちゃうのは悲しいことだと思わない?」
「悲しいと思う」
大量に売れ残ってしまえば、店側も大変だということをツェフェリは理解していました。
つまり、商品を売るのと、タロットカードを占いに使うのは同じことだも言いたいのです。
道具という言葉がどうしてこんなに胸をちくちくと刺すのか、ツェフェリにはわかりません。けれど、そもそも占うために作ったものなので、占い方を教えてもらわないことには始まりません。
「それで、占いってどうやるの?」
「うーん、まずは一つ一つの意味とか、基本的なところからかな。まず見ていてよ」
それ貸して、とサファリはツェフェリに許可を求め、ツェフェリはタロットを差し出します。
しゃらん、とサファリが身につけている腕輪が鳴ると、サファリの雰囲気ががらりと変わりました。とてもとても人間とは思えないような神秘的な色を宿します。
ただカードの束を机に置くだけなのに、何故だか目が離せません。この店を避けて通ろうとしていた人も、この神秘をまとった少年に目を奪われていました。
天使だ、とツェフェリは思い至ります。そう、どう考えても今の彼はツェフェリが描いた[節制]の天使そのもののような神秘的で人間らしからぬ遠い存在のように変化したのです。
カードから飛び出したような天使は、その柔らかな眼差しで、近くにいた女性を一人選びました。まるで優雅にカードを引くように。
「お姉さん、占いに興味はございますか?」




