タロットは家族?
ミルクに少し砂糖を入れます。ほんわりとしたミルクの甘さと砂糖の甘さが口の中で溶け合いました。
対して、ラルフのカップからは芳ばしい匂いが漂ってきます。どういう飲み物なのだろう、とツェフェリは気になりましたが、甘いミルクが口の中でほわりと溶ければ、ツェフェリの中の疑問は消えました。
ラルフがツェフェリの話を聞きたいと言っていたのを思い出します。ツェフェリは自分が泣いてしまったことにも驚きましたが、ラルフの言葉にも驚いたのです。
「実はラルフさんが話していた行商人の親子、知ってるんです」
「ほう」
黒人と白人の親子の行商人。白人の息子の容姿がここまではっきりしていたら、人違いということはないでしょう。
ラルフが思い出すように斜め上を見ます。
「じゃが、来たのは何年か前じゃぞ? 長年旅をしているとは言っておったが、ツェフェリくんが会ったとなると、随分昔のことになるが」
「はい。結構昔です。ボクがまだ、村の中で何も知らなかった頃、変わった行商人が来た、と噂で耳にしました」
変わった行商人、その正体は黒人でした。
肌が黒いから、という理由だけで、穢れているとか、呪われているとか、様々な偏見を持たれて遠巻きにされている黒人という存在は、当時箱入り娘だったツェフェリでも、一般知識として知っていました。ツェフェリという存在を[虹の子]として崇める点から考えても、あの村は容姿というものを気にする風潮があったので、村が黒人を受け入れたことも、今思えば意外でした。
「黒人の寡黙な男性と物静かな白人の男の子でした。そのとき、移動図書館も来ていたので、ボクも見かけたんです」
「おやおや、ツェフェリくんは本が好きなのか」
「たぶん、ラルフさんが絵が好きなのとおんなじ理由です」
恋をしている、というわけではありません。自分の知らない、外の世界について知ることができるもの、その一つがツェフェリにとって、本だったのです。
それに、ツェフェリのいた村に移動図書館が来るのは滅多にないことでした。ツェフェリは確かに箱入り娘でしたが、教会で監禁や軟禁をされているわけではなく、ある程度の情報制限はかけられていたものの、ある程度の自由は許されていたのです。もちろん、監視役はいましたが。
移動図書館に行った日、ハクアにも初めて会ったツェフェリでしたが、もう一人出会ったのが行商人の白人の子どもでした。
「彼はサファリといって、見たことがないくらい綺麗な子でした。雲みたいな髪に、海みたいな目。声は細波のように静かで穏やかで、同い年くらいだけど、大人っぽくて落ち着いている感じでした」
「ふむ、人違いというわけではなさそうだ」
ラルフもツェフェリの表現を聞いて、そう判断したようです。まあ、子どもなのに白髪、というのはあまりいないでしょう。かといって、彼は苦労して色が抜けたとかではなく、元々そういう色だったという感じの綺麗な髪でした。
ツェフェリは懐かしむように目を細めて、サファリについて語ります。知れず、ぎゅ、と自分のタロットを握りしめていました。
「サファリくんはボクにタロットカード、タロット占いを教えてくれた子です。彼がいなかったら、ボクはタロット絵師を目指そうなんて思わなかったかもしれません」
それに、怖い目に遭ったところから、父親と一緒に助け出してくれた恩人でもあります。もしかしたら、あれがなければ、ツェフェリは別の村で[虹の子]をやっていたかもしれません。やらされていた、かも。
「何にせよ、あの親子との出会いが、今のボクへの運命の分岐点だったように思います」
「運命、のう」
それは壮大な例え方のようにも思えたが、狭い世界にいたツェフェリにはそうとしか言い様がないのです。タロットに出会わなければ、今のツェフェリはありませんでしたし、夢を持つこともなかったでしょう。そのために、村を出ていくことだって。
ツェフェリは手の中の自分のタロットたちを見つめます。ツェフェリと特別な何人かにしか聞こえない声を持つタロット。その事実をラルフになら話してもいいだろう、と考えました。
「ボクにとって、このタロットはかけがえのないカードたちなんです。家族といっても、間違いではありません」
「ほう」
「このタロットたちは喋ります。意思を持って、ボクに話しかけてくれるんです」
唐突といえば唐突な告白に、ラルフは面食らいました。無理もないでしょう。カードが喋るなんて、俄には信じがたいことです。この世界には魔法があるわけでもありません。魔法がないからこそ、魔法とも思える魅惑的なものがより魅力的に感じるのですから。
けれど、納得する部分もありました。何せラルフはハクアの師です。ハクアが占いを披露するところ、タロットを取り扱うところを何度も見てきました。それに彼女が頑なに譲らない、タロットカードを[アルカナ]と呼ぶところ。それは単なる拘りではなく、彼女にもツェフェリのように、カードの声を聞く力があるからなのだと察したからです。特別なものを特別な呼び方にするのは何も不自然なことではありません。
ラルフはそれらの理解を咀嚼して、カップに入った黒い液体で飲み下しました。
「なるほどの。ハクアもそうじゃが、不思議の目を持つ者はそういうこともあるのか」
「不思議の目、ですか?」
それは古くから、この世界に根づいた言い伝えです。
宝石色の目を持つ者は神様から恵みを授かった者。いつから、どこの誰がそう言い出したのかは皆目見当もつきませんが、神様のお話よりも広く浸透している概念です。神様は高貴な存在であるから、人間の価値観の中で言わずとも高価な宝石だからこそ、そういう話が広まったのでしょう。
「ハクアが今の地位に持ち上がったのも、それに由来するんじゃ。やつの目は綺麗な紫水晶のようじゃろう?」
「確かに」
紫水晶は魔除けとして一般的な宝石です。宝石色の目の信仰というのがあるのなら、あの凛と透き通った瞳に神を見出だすのもそう難しいことではありません。
「ボクも、宝石色の目なんですか?」
「[虹の子]と讃えられていたのじゃろう? 物珍しさの方が大きかったじゃろうが、虹色に見える石はある。高価すぎるし、なかなかあるもんでもないから、知る者は少ないじゃろうがの。蛋白石という」
角度により異なる色に見える点がツェフェリの目に似ているようです。ただ、あまり綺麗な状態でお目にかかれるものが少ないので、知る人ぞ知る宝石となっています。
そんな宝石を何故ラルフが知っているのかといえば、ラルフは絵画と出会うために、あらゆる商人と知り合ってきたからです。
まあ、ラルフは目に見えるものを信じるタイプなので、迷信程度にしか思っていないのですが、ハクアの成長や今目の前にいるツェフェリの眼差しを見ていると、あながち間違いではないようにも思うのです。
「いつか見てみたいな、その石」
「ふぉっふぉっ、見つけたら教えてやろう」
それで、とラルフは問いかけます。少し不思議に思うことがあったのです。
「タロットが家族のようだ、と言っておったが、何故家族と思うんじゃ? 友人でもよかろう」
それはラルフの言う通りです。ですので、ツェフェリも戸惑いました。
タロットは家族、という発言はツェフェリの口から自然に出てきた表現なのです。タロットたちと自分の関係性を考えたことはありませんでしたが……
「友達っていうのは、なんか違うかなって思ったんです」
ツェフェリが思い浮かべられる限りの友達は、サルジェやサファリ、レイファでした。ハクアは自分の雇い主なので、友達というには壁があります。
それではタロットはどうでしょう?
「このタロットたちは、[あのとき]からずっと、ボクを見守ってくれている存在なんです。ボクは家族がいなかったので、ボクに寄り添ってくれる彼らが、今までいなかったような存在に思えて……だから家族というんだと思います」
なるほど、とラルフは頷きました。続けて問います。
「[あのとき]とは?」