タロット絵画収集家の実情
差別表現を含む話ですが、差別を助長する目的でないことをご理解ください。
また、独自の世界観による差別描写、人種描写なので、現実世界からの引用云々の批評批判等はスルーさせていただきます。
大きな大きなその部屋に、所狭しと並べられ、飾り立てられた絵画たちは、タロットとはまた違った魅力的な輝きを放っていました。
海でイルカが跳ねている本物と見紛うようなタッチの綺麗な青い絵。旅人が森の中で束の間の休息を取るところに小鳥などが集ってくる緑の絵。永遠に続くような砂の大地を照らす夕暮れの赤い絵。見たことのあるような光景はほんのちょっとで、ほとんどがツェフェリの目にしたことがないような[世界]の鮮やかな表情を描き表していました。
「すごい……」
自分の知っていた世界がいかに狭かったかを実感させられます。森や海はかろうじて知っていますが、砂ばかりの大地など、想像したこともありません。空の表情も知っている景色とは全く違う描かれ方をしていて、ツェフェリは思わずその絵に目を囚われました。
「ふぉっふぉっ、良い目じゃ」
ラルフがツェフェリの反応を見て、喜んでいました。こういう新鮮味のある瑞々しい反応は見ているだけでも心地よいのです。
他にもここには蝶が飛び交う菜の花畑、夜のしっとりとした空気の中でおとぎ話に出てくるような人外たちが戯れている様子など、様々なジャンルの絵があります。
色が単色のものが多いようですが、単色でも個性の光る絵画が取り入れられています。
こうして見ると、ひとえに赤や青、緑や黄色といっても少しずつ色の違いがあって、そのほんの少しの違いが積み重ねられた結果、目映い一つの絵になっているようです。
「カラフルな絵が少ないのに、なんだか部屋はカラフル……」
「ふぉっふぉっ、まあ、儂の趣味じゃ。こういう、一つの色をテーマに据えて描かれた絵が好きなんじゃよ」
絵画収集家といっても様々存在します。それは絵画に限ったことではなく、あらゆる収集家が自分なりの拘りを持って収集をしているのです。
ラルフの単色系の絵画を収集するというのも拘りの一つ。まあ、ラルフの拘りは一括りにすると別な表現になるのですが。
「まあ儂はカラフルなのが嫌いとか言うわけじゃないんじゃ。儂が惚れるのが、たまたま単色系が多いだけなんじゃよ」
「ほ、惚れる?」
ふぉ、ふぉ、と独特な笑い声でラルフは続けました。
「儂はな、惚れたもんには金を惜しまん。じゃからサルジェの馬鹿親父とも馬が合ったんじゃ。ほれ、ギブアンドテイクとかいうやつじゃよ」
持ちつ持たれつ、というわけですね。地主と繋がっていれば、お金は入ってくるでしょうし、そういう絵画の情報も入ってくることでしょう。
それに、医者という仕事もそこそこお金が入ると聞きます。その中でもラルフは良心的な方なのだそうですが、そういうお金の動きがラルフの趣味に生かされたことは、まず間違いないでしょう。
しかし、[惚れる]という感覚がツェフェリにはいまいちわかりませんでした。もちろん、[惚れる]という単語の意味そのものは知っています。憧れるとか、惹かれるとか、恋をする、という意味です。
けれど、人間以外に恋をしたり、憧れるのはツェフェリの概念の中にはありません。
そのことを話すと、ラルフは笑いました。
「ふぉっふぉっ、そのうちツェフェリくんにもわかるようになるじゃろ。憧れや恋は生き物だけに適応するもんじゃないんじゃからな。現に儂は絵に惹かれて、こうして絵を集めておる」
「うーん、難しい話だなぁ」
「それなら儂の昔話を聞かせてやろう」
「本当!?」
立ち話もなんだ、と、部屋の隅にあった小さな椅子をラルフが持ってきます。随分使われていないようで、上辺に張りついた埃をラルフが軽く払います。
それを二つ並べ、二人は向かい合って座りました。それから、ラルフはツェフェリの後ろの方を指差しました。
「まずはそのイルカの絵じゃな」
「青い絵ですね」
一口に青といっても、海面の細波がきめ細やかに描かれていて、白に近い青、水色、空のような色、群青などが犇めき合い、海の水面を表していました。空も太陽と思われる方向からのグラデーションが滑らかで黒っぽいイルカの反射する光は艶やかでした。
確かに美しい絵です。細部まで色の配分が考えられた、素人目に見ても素晴らしい絵です。
「これは海岸の街を渡り歩いて、この街に小休止に来た商人から買ったものじゃ。海の青と空の青、とかく、境界線というものが繊細でありながらくっきりと描かれていてな。一目惚れしたんじゃ」
「ああ、この街は海から遠いんですよね」
そう、この街は大きいですが、森に囲まれており、海はありません。森の中に生き物たちが集う泉や川などはありますが、それだけです。泉は海と比べるには小さすぎますし、川は常に流れを纏うものなので、海のようながっしりとした雄大さはないでしょう。
ツェフェリは少し歩けばすぐ浜辺に出られる街に住んでいたので、少し懐かしくなりました。
「ツェフェリくんは、海を見たことがあるかね?」
「はい」
落ちてきた鶯色の前髪を少し払い、ツェフェリは懐かしむように目を細めます。その目は絵画の青が集ったような色をしていました。
「ボクの村は海が近かったんです。散歩ついでに見に行ったりしていました」
「そりゃ羨ましいな。この老い耄れは生まれてこの方この街から出たことがなくてね。ちと足を伸ばせば湖のある村があるんじゃが、いやはや、出不精なもんでの」
近くの森にしか行ったことがないそうです。処方する薬の材料などは近くで揃うので、あまり遠くには行かないのだとか。
「海と言えば水平線ですよね」
「そうじゃ。生で見たいんじゃがな。老い耄れが行くには遠いし、仕事は休めんよ。……と、ツェフェリくんは水平線と対で評される[地平線]というものは知っておるかの?」
「ちへいせん?」
聞いたことがあるようなないような。ツェフェリは少しだけ世界の広さについて学んだのですが、よく覚えていません。
「まあ、海沿いに住んでおったんなら、知らんでも無理はないの。ほれ、この絵を見てみい」
ラルフが示したのは青の絵から少し離れた場所に置かれた赤の絵でした。砂ばかりが途方もなく続く大地が描かれ、夕暮れの一時を切り取ったような生々しさがあります。砂も一粒一粒を丁寧に描くように陰影がつけられ、それはまるで陸上の海のようでした。
果てのない砂の海には遮るものがなく、物悲しさを感じさせるような夕焼けが赤々と砂を照らしています。おかげで土色のはすの砂がその赤を反射して、もう一つの夕焼けとして彩られているようです。
「すごい南の方にはな、砂ばかりで水場の少ない砂漠というのがあるんじゃ。そこでは遮るもののない大地が果てしなく続き、大地と空の境界線が見られるそうじゃ。それを地平線という」
「へえ……きっと途方もないくらい広いんだろうね。海も広いって聞くから」
「そうじゃのう」
広い世界に思いを馳せるツェフェリの目は夕焼け色に煌めきます。これもまた美しいのう、と内心で思いつつ、ラルフは続けました。
「儂はこれを黒人の商人から買ったんじゃ。ゆうても、南じゃ太陽に照らされて肌が黒くなるのは白人でも同じことじゃ。黒人差別なぞ阿呆らしゅうてならん」
「え、そうなの!?」
黒人という存在をツェフェリは知っていましたが、まさかそんな真実があるとは。
ラルフが朗々と続けるます。
「まあ、元々肌が黒く生まれてくるやつも多いらしい。そういうのが北の方に移住してきて、でも北は砂漠みたいに太陽が照りつける土地じゃないから、白人の中から黒人は浮いた。
白人は南に行けば日焼けして、やがて黒人みたいな肌の色になるんじゃが、黒人は北に来ても肌が白くなるわけじゃないからの。それで浮いてしまったんじゃ。しまいには差別までされるようになっての。物を知らんとこういうことが起きる。じゃから、旅や見聞を広げることは良いことなんじゃよ」
人は自分とは少しでも違うとすぐに区別したがります。それがやがて差別になるのは見え透いているのに、何故だかそれに抗える者は少ないのです。
「ラルフさんは見聞が広くてすごいですね」
「言ったろう? 絵画がそうさせてくれるんじゃよ。実際、儂はこの絵を買っていなかったら、黒人差別主義者とそう変わらない知識のままじゃったろうからの」
なるほど、絵は見に行けない景色を見る他にも、こういうことを教えてくれる力があるのですね。
ツェフェリがなるほど、ふむふむ、と頷き、納得しながら、ふととある絵画を見て疑問を抱きます。そこでツェフェリは髪の色を少し濃くしたような緑色の目に疑問の光を浮かべます。
「この森の絵は? 森はこの街を囲んでいるから、そんなに新鮮じゃないんじゃない?」
ツェフェリの指摘にラルフは苦笑いします。
「そこが[タロット絵師]になりたいツェフェリくんと[絵画収集家]の儂の認識のずれじゃな。言ったじゃろう? 儂は絵に惚れて買うんじゃ」
緑の絵は涼やかで穏やかな印象があります。狩人が休憩しているからでしょう。森に溶け込むような色の衣服が木漏れ日にほんのり照らされて、そこに集う動物たちにも獰猛さはなく、ひっそり一緒に涼んでいるように見えます。
動物も人も小さく描かれているので、その表情の機微までは見られませんが、森に漂う静けさが確かにそこにはありました。絵が音までをも想起させるというのはなかなかなものです。
「毎日見とるような森でも、絵と現物じゃあ、かなりの違いじゃ。それに、こういう風景画は描き手の目を通して描かれる。同じ景色を見ても、自分が思う景色ととても違うと面白いと思いはせんか?」
ツェフェリはその指摘に今一度緑の絵を見ます。光がこんなに細く散らばっているなんて、ろくに観察したことがなかったのでわかりませんでした。それとも、他人が見た景色だから、光の入り方が違うのでしょうか。
そう考えると、確かに面白いのかもしれません。
「それにの、一見ただの風景画に見えるかもしれんが、もしかしたらこれは、想像の中の絵かもしれんぞ? 儂の知っとる狩人は動物と戯れたりせんし、休むなら木に寄りかからず、小屋で寝る」
「それはちょっと……夢がなさすぎるような」
「はっは、じゃろ?」
ラルフは続けます。
「夢があるということは、想像したということじゃ。想像することをときたま[夢を見る]というじゃろ? そういう感覚だ。絵画は現実に近くてもいいし、全くの夢想でもかまわんのじゃ」
「なんだか、大きな絵本みたい」
「まあ、絵じゃからの」
そういえば、とラルフがふと何かを思い出したようです。
「これは黒人の行商人に売ってもらったんだったか。変わった行商人でな、白人の息子を連れとった」
「それは変わってるの?」
そりゃあもう、と説明します。
白人は黒人を差別するわけですが、それは黒人を下に見ているということです。この街ではそういうことはあまりありませんが、ひどいところだと、黒人を小間使いのように従属させる者までいるとか。
その逆、つまり、黒人が白人を従える、みたいな構図は普通はあり得ないのです。それが親と子という関係であっても。まあまず黒人の子どもが白人になるということはないのですが。
下に見ている黒人に従属する白人など、黒人差別過激派の白人に見られたら笑い者にされること請け合いです。旅の商人なら尚更。
「ただ、その行商人の息子というのが更に人目を惹く見目をしておっての。雲みたいに白い髪に、ああ、ちょうどその海に緑が混じったような感じの色合いの目をしとった。人形みたいにじっとしてるもんだから、本当に人形だと思って買おうとしたやつもおったくらい……ツェフェリくんどうした?」
ツェフェリは目を見開いていました。その親子、特に子どもの方には覚えがあったのです。
雲のように白く、さらさらとした髪。海の青と緑が混じったような絶妙な色合いの瞳。それは懐かしい姿を思い出させました。