タロットの絵
昼の祈りを終え、昼食を摂ってから、ツェフェリは本を読み耽りました。そこにはタロットカードの大アルカナの一枚一枚の意味が図解で載せてありました。
タロットカードの大アルカナは全部で二十二枚。
ナンバー〇[愚者]──崖っぷちを呑気に歩く青年の絵です。危なっかしい印象で、意味も[無鉄砲]や[向こう見ず]といったものが多く、絵に添ったようなものが並んでいます。けれど、[前向き]という意味もあって、決して悪いだけのカードではないようです。
ナンバーⅠ[魔術師]──ローブを着た青年が描かれており、テーブルの上には短剣とカップと金貨が並べられ、脇には杖が立てかけてあります。どうやら、タロットカードのナンバーⅠということで、物事の始まりを意味するようです。また、想像力を高める意味も持つようで、インスピレーションを象徴するカードでもあります。
ナンバーⅡ[女教皇]──本を持ち、法衣を纏った女性が描かれています。意味は理知的や落ち着いたといった感じの絵の印象と違わないものです。また、このカードは大アルカナの中で唯一本が描いてあるカードということで知識を司るといったことも書かれていました。
ナンバーⅢ[女帝]──ティアラを被り、ドレスを着た女性が椅子に腰掛け、右手に杖を、左手に鷹の紋様が入った盾を持っています。意味は豊穣や女性全般のことを表し、女性が描かれているカードは他にもありますが、特にこのカードは母親を表すところが特徴的です。
ナンバーⅣ[皇帝]──王冠を被り、座っている壮年の男性が右手に杖を持っています。このカードは[女帝]と対を成すようで、男性全般のことを示し、父親という意味を持ちます。また、真面目さや誠実さといった意味もあるようです。
ナンバーⅤ[法王]──錫杖を持った壮年の法衣を纏った男性が、跪いている者たちに手を差し伸べています。慈悲のこもった表情はまさしく法王と呼べるでしょう。精神的な救いを表しているそうです。思いやりや良い相談相手といった絵に漂う雰囲気を汲んだ意味合いのものが多いようです。
ナンバーⅥ[恋人]──男女の二人組が歩いているところをキューピッドが矢で狙っている様子を描いています。文字通り、恋人の関係を表しますし、恋愛という意味もあります。
ナンバーⅦ[戦車]──馬車が勢いよく前進している姿がありました。他のカードの絵よりも今にも動き出しそうな迫力があります。これは物事が勢いよく良い方向へ進むことを示しています。また、これは戦場に増援に行く兵士の姿であるともされており、このカードは味方という意味も有しています。
ナンバーⅧ[力]──ライオンを抱きしめている少女を描いています。ライオンは感情、少女は理性を暗示しており、感情を理性で抑えて的確な判断を採ることこそが力である、と示している意味の深そうなカードです。
ナンバーⅨ[隠者]──ローブを着たおじいさんが用心深く、足元を照らしながら歩いている様子を描いています。これまた絵にある雰囲気の通り、用心深さや慎重さといった意味を表しているようです。
ナンバーⅩ[運命の輪]──蛇が絡まった歯車を天使が回しているという様子が描かれています。タロットカードの真ん中のカードということもあり、運命や歯車の噛み合ったといったようなまとまりのある意味が集まっています。
ナンバーⅩⅠ[正義]──片手に剣、もう一方には天秤を持った女神が描かれています。意味は文字通り正義。公平さという意味もあるようです。
ナンバーⅩⅡ[吊られた男]──木に片足だけ括られて宙吊りにされている男性、という奇妙な構図です。これは忍耐や我慢強さを表しています。
ナンバーⅩⅢ[死神]──黒いローブに大きな鎌を持った骸骨……いかにもといった感じの死神です。意味はぱっと見ただけでわかる通り、死を表しますが、時間の停滞、物事が進まなくなるという状況も示すようです。
ナンバーⅩⅣ[節制]──天使が壺から壺に水を入れ替えている様子が描かれています。これは平等を主に意味するそうです。
ナンバーⅩⅤ[悪魔]──悪魔が男女二人組を鎖に繋いでいます。物々しい絵で、意味は誘惑や嫌悪、憎しみなどがあります。
ナンバーⅩⅥ[塔]──大きな塔が雷によって破壊されるというインパクトの強い絵です。崩壊を意味している不吉なカードのようです。
ナンバーⅩⅦ[月]──夜空の下、月を見に這い出てきたさそりと犬が二匹月を見上げています。空は暗く、この様子から、意味は不安となっているようです。
ナンバーⅩⅧ[星]──星空の下、少女がじょうろで土に水をやっている図です。[月]とは違い、明るい夜空を描いたこちらは希望を表しています。
ナンバーⅩⅨ[太陽]──太陽の下で満面の笑みを浮かべる無邪気な子どもが描かれています。これは幸せを意味するカードです。
ナンバーⅩⅩ[審判]──天使がラッパを吹き鳴らして、それに応じて穴の中から人が出てくる場面を描いています。この絵は有名な[最後の審判]を暗示しており、[最後の審判]が表す通り、復活を意味しています。また、物事の状態、状況が回復していくことも表しています。
ナンバーⅩⅩⅠ[世界]──大アルカナの最後のカードで、少女を中心に、獅子、天使、牡牛、ペガサスが囲んでいる花畑です。この光景から調和や平和を意味するようです。
タロットカードは他にもサファリに教えてもらった[剣]、[金貨]、[杖]、[聖杯]の十三枚ずつがあるはずなのですが、ハクアが勧めてくれた本には大アルカナについての情報しか載っていません。ツェフェリはうーん、と悩みましたが、とりあえず、大アルカナだけでも描いてみることにしました。
昼食の片付けも終わった頃。シスターたちは教会の掃除に勤しんでいました。いつもの光景です。教会に暮らしている以上、自分もやるべきでは? とツェフェリは何度も思いましたが、そのたびにシスターたちに止められました。「このような雑事をツェフェリさまが行う必要はないのです」とのことです。やはり、ツェフェリは特別扱いされているのでした。
ただそこに在るだけのお飾りの自分から脱したいと思ったツェフェリの第一歩が、タロットカードの制作でした。
「シスター、紙と鉛筆はあるかな? カードを作りたいんですけど」
「ああ、昼間お話しになっていたタロットカードですね。よさそうな紙を購入しておきました。それと、鉛筆も上等なものを。ちょうど、[鉛筆屋]という鉛筆だけを売る不思議な商人が来ておりまして……色鉛筆も買っておきましたよ」
シスターはそう答えると、自室に一旦戻り、筆入れと紙の束を持ってきました。紙の束はちょうどカードのサイズにいいくらいに裁断されておりました。
「鉛筆屋? 確かに変わったお店だね。ありがとう!」
ツェフェリが受け取ると、シスターは微笑ましげに目元を綻ばせました。
さて、早速机に向かい、本と照らし合わせながら、ツェフェリはカードに絵を描き始めました。
「描くなら意味がわかりやすいようにちゃんと描いた方がいいよね。ちょっと難しいけど……デフォルメするとカードの力が弱まっちゃうかもしれないし」
自分関係のこと……[虹の子]云々の話は信じていないツェフェリでしたが、何も神様を信じていない、というわけではありません。物語に出てくるような妖精の存在だって信じていますし、物に宿る精霊の存在も信じているからこそ、物は大事に扱います。本も、借り物ですから間違っても折り目なんてつけません。ちゃんと栞を挟みながら読むようにしています。何かいいことがあったらとか、そういうことは考えていません。けれど、妖精さんだって人間と同じで、大切にしてもらえたらその方が嬉しいにちがいないと思うのです。
筆入れを開くと、色鉛筆が十二色入っていました。その他に鉛筆が五本入っています。使用頻度の高さを配慮しての本数でしょう。一本は削ってありましたが、その他は削られておらず、鉛筆削りが入っていました。よほどのことでなければ指を切らないで済む優れものです。
ここまで取り揃えてくれるとは、シスターには感謝しかありません。まずは本の絵を参考にしつつ、[愚者]の絵を描き始めました。
崖を歩く危なっかしい青年。肩には枝に括りつけた頭陀袋をかけています。崖の表現が難しく、早くも悩み始めてしまいました。
「むむむ……そういえば、絵ってあんまり描いたことなかったかも……」
ツェフェリは勉学に不便をしておらず、字の読み書きが簡単にできます。本を読むのは好きですし、たまに教会に来た村の人に神様の有難い御言葉を綴ったものを渡すこともあります。それらはツェフェリの[虹の子]としてのお仕事でした。[虹の子]の役目関係なしに何かをやるなんて、思えば初めてだったのです。
絵を描く……この近くにはいい先生もいないため、独学になるでしょう。ツェフェリはまずは絵の勉強をしてからタロットの絵を描くことに決めました。タロットの絵柄だけをメモして、本は返すことにします。それから、絵の描き方について書かれている本を代わりに借りてくるのです。
「シスター、また移動図書館に行ってくるよ」
「ええっ? 今は誰も手が離せませんのに……」
「一人で行けるってば。じゃあ、いってきます」
止める間もなく、ツェフェリは教会を飛び出しました。移動図書館の場所は覚えています。いつも同じ場所に停めているのですから。
移動図書館の管理人がツェフェリの姿を認めて驚きの声を上げます。
「[虹の子]さま!? お一人でなんて珍しいですね」
「あの、探している本があるの」
管理人は親身になってツェフェリの事情を聞いてくれました。絵の勉強がしたいこと、それに適した本はないかということ。
話を一通り聞くと、管理人はにっこりと笑いました。
「残念ながら、絵の勉強ができる本はこの図書館にはないんだ。けれど、これでも私は顔が広くてね、絵の先生なら紹介することができるよ」
そこでツェフェリは不思議そうに首を傾げます。
「でも、その先生はこの村にはいないんだよね?」
「ああ」
よくぞ聞いてくれた、とばかりに管理人は頷きました。腕を広げてまるでツェフェリを歓迎するかのようなポーズで告げます。
「君、外の世界に興味はないかい? 私なら君をこの村から連れ出して、外の世界を見せてあげられる。私について来ないかい?」
「えっ?」
「何も迷うことはないだろう」
管理人は饒舌になり、すらすらと述べます。
「この村は君を[虹の子]だ[神の子]だと奉って君を村に閉じ込めている。そんなのは窮屈じゃないかい? 私なら、そこから解放してあげられる。魅力的な話じゃないかい?」
ずいずいと詰め寄ってくる管理人の目に狂気を見て、ツェフェリは恐怖を覚えました。確かに村に勝手に奉られて、ツェフェリはそのことをあまりよく思っていませんでしたが、けれど、教会で毎日お祈りすること平和に村の人々が暮らす光景を嫌だと思ったことは一度もありません。それがツェフェリの日常で、全てだったから。だから、それを捨てるなんて、ツェフェリには考えられませんでした。
それに、この管理人が放つ雰囲気は異様です。まるで「ツェフェリを外の世界に連れていってあげる」というのを方便に、別の意図を隠しているような……言い様のない恐ろしさがツェフェリを襲いました。
「いや……」
ツェフェリは無意識に拒絶の言葉を吐き出していました。
「いや、嫌! ボクは今がいい。今のままがいいんだ!! 絵の勉強なら自分でする。だから……」
放たれたツェフェリの声はか細いものでした。
「だから、ボクを連れて行かないで……」
けれど、管理人は不敵に笑い、ツェフェリの細い腕を捕まえてしまいます。
「そんなことは仰らずに……私たちの下に……私たちの[虹の子]になってくださいよ」
嘯く声が背筋に悪寒をもたらし、ツェフェリは懸命に手を振り払おうとします。けれど、ツェフェリはまだまだか弱い女の子。相手は成人男性です。力の差は歴然でした。
「いやっ! いやぁっ!!」
馬車に閉じ込められそうになったそのとき。
「やめなよ」
細波のような声が響き渡りました。
すん、と透き通るその声の持ち主は雲のように白い髪の奥に翠と碧を混ぜ合わせたような強い輝きを持つ瞳を持っていました。
そう、行商人の子のサファリでした。
「どうせ、自分の街に連れていって、ツェフェリを結局閉じ込めるんでしょ? それのどこが救いだっていうの? 今と何も変わりないじゃない。それに、ツェフェリが嫌だって言ってる。放してあげなよ」
「ガキが口を出すな!」
「……ガキじゃないなら、口を出していいんだな?」
管理人の言葉尻を取ったのは、黒人の男性でした。サファリの父親。
「黒人が何をほざく?」
「お前こそ、何をほざいているんだ?」
サファリの父親は淡々と述べました。
「醜いな。宗教とは。お飾りがないと体裁を取り繕えないというわけだ。お粗末な商売だな」
二人を庇うように前に出たサファリの父親は二人に逃げるように合図をしました。
それを悟ったツェフェリはサファリと共に全力疾走で教会へ帰りました。
落ち着いたところでサファリがツェフェリの手を握ります。
「絵が描きたいなら、僕が教えるよ」