タロット絵師への絶好の機会
なるほど、とツェフェリは考えました。
ハクアの依頼収集にはきちんと意味があるのです。ツェフェリを絵師として認めているからこそ、絵師として羽ばたくためのチャンスを作ってくれているのです。
合計七十四枚、膨大な量の仕事ですが、ツェフェリはいっそう気合いが入りました。
「ありがとうございます、ハクアさま。頑張ります」
「うむ、その意気だ。レイファ嬢も言っていたが、我が師には一度顔を見せた方がいいだろうから、そのうちまたサルジェと出かけるといい」
「はい」
よぉし、頑張るぞ、と部屋に戻ろうと思ったツェフェリですが、一つずーっと気になっていることがありました。
「あの……ハクアさま、そちらの方は?」
ツェフェリから怪訝そうな藍色の瞳で見られ、盗人はびくっと反応します。反省しているとはいえ……、いえ、反省しているからこそ、自分が働いた[盗み]という行いを恥じているようです。
その様子を見たハクアは端的に告げました。
「客だ」
「そうでしたか。失礼致しました。では、ボクは作業場に戻ります」
「弟子が帰ってきたら夕食だ。作業に夢中になりすぎないように」
う、とツェフェリが気まずそうに目を緑に染めます。ツェフェリは一つの物事に集中すると周りが見えなくなるのです。まだハクアと暮らして短い期間ですが、しっかり理解されてしまっており、少し恥ずかしく思いました。客人の手前もあります。
「き、気をつけます」
言い置いて、ツェフェリは広間を出ていきました。
広間にはハクアと盗人が残ります。盗人は気まずいことこの上ありません。それもそうでしょう。ハクアが治めるこの街の治安を乱したのですから。
けれど妙な気もしました。先程ツェフェリから庇ってくれましたし。
「私が何故お前をとっちめないのか、疑問のようだな」
「えっ」
思っていることをそのまま言い当てられてしまい、ぎょっとします。椅子から飛び上がらなかっただけまだましと言えるでしょう。
「まあ……罪を犯した自覚はありますし」
盗人は俯きます。
ハクアはじっとそれを見つめてから、不意に、タロットカードを出してきました。ばらりと広げられる二十二枚はきらびやかで美しいものです。ツェフェリに修繕され、輝きを取り戻したのです。
それはさておき、ハクアはタロットを広げたまま、盗人に言います。
「一枚引くといい」
「は、はい」
緊張しながら、盗人はうーん、と考え、一枚を選びました。
そのカードには木に逆さまに吊り下げられた青年が描かれています。盗人の頭に疑問符が浮かびました。
「なんですか? このカード」
「タロットカードのナンバーⅩⅡ[吊られた男]だな。忍耐や辛抱を表す。まあ、わかりやすく言うなら、今のお前の状態だ」
このヘンテコなカードが自分の状態とは。盗人はなんとも言えない気分になりました。
「変人じゃないですか、こんなの。なんで木にぶら下がるんです?」
「うむ、[吊られた男]にはそういう解釈もあるが、よく考えてみろ。自分でぶら下がるんなら、縄なんぞ使わんでいいだろう」
その通りです。[吊られた男]の青年は片足を木の枝に縄で縛りつけられ、吊るされています。自ら吊られに行ったのであれば、もう少し違う描かれ方をしたでしょう。
そこからハクアはとうとうと語ります。
「[吊られた男]は自分から木にぶら下がっているわけではない。吊るされたんだ。無理矢理逆さまにさせられた男の心境はどうなるだろうな? 木に吊るされたことはないが、狩りをしていると罠にかかった動物を見かけることもある。狐とかな。木の枝を利用して吊るされるような仕組みだ。ちょうど、その男と同じ。きゃんきゃん喚いて五月蝿いが、苦しいのだろうな。そうは思わんか?」
盗人は自分に直接問いかけられているような気がしました。[お前、今苦しいのだろう?]と言い当てられているような。
「お前は苦労人だ。出来心なんかで盗みを働く人間ではない。カードを選ぶとき、えらく吟味していたな。それは[石橋を叩いて渡る]やつのやり方だ。考えに考え抜いて、最高の結果を出したいという欲求がそこにはある。そのためには物事を見極める目が必要だ。慎重な人間ほど、不安がつきまとう。[この選択肢でよかったのか]と常に疑問に思い、誰も肯定してくれないから、結果吊るされたままになるわけだ」
盗人の周囲は豊かでした。けれど、面倒事は全て青年が背負います。
働けないくらい疲弊して、疲れたと言っても吊るされっぱなし。まさしく、[吊られた男]そのものです。
「だが、お前の幸運はここから始まる。私と我が師がお前のその縄を切ってやろう。そうすれば、お前はこの街の二人の権力者という後ろ盾を得る。我々は特に見返りを求めないからな。まあ、診療所の受付でもしていればいいのではないか?」
「そんな……いいんですか?」
ハクアはくつくつと笑います。
「そうだな……我が師ばかりが得をするのも癪だから、私の手伝いもしてもらおう。といっても、家事全般や森の管理に関してはもう弟子がおるからな。お前にやってもらうのは……先程の少女のための顔繋ぎだ」
先程の少女……盗人はツェフェリを思い浮かべました。
「不思議な目の少女でしたね」
「そうだ。その不思議さのせいで仕事が回ってこないことがある。というわけで、まず私が後ろ盾についたわけだが、芸術家として名を上げるのに大切なのは後ろ盾ではない」
まあ、どれだけいいものを作っても、実物が出回らなければ評価のしようがありませんし、後ろ盾が商人でもなければほとんど意味がありません。
ということは……?
「仕事の合間でいい。私の名を出していいから行商人に彼女の名を売れ。彼女はツェフェリという。まだ修行中みたいなものだが、真面目な人間だ。いつか必ず、高名になるだろう」
なるほど。
「わかりませんが、引き受けます。今日の一件を帳消しにしていただけるのですから御安い御用です」
「ふふ、では頼んだぞ」
ハクアがそんな手回しをしているとも知らず、ツェフェリは部屋で作業を始めます。
町医者のランドラルフの依頼を受けたのもまた、ハクアの一手です。まさか、ラルフのところに行く人材ができるとは思いませんでしたが、ツェフェリの名を売るのに、ラルフと行商人の繋がりを使おうとは考えていました。
なんという偶然でしょう。彼が盗みを働き、ラルフが人手が欲しいと言ったことが偶然重なったばかりに、事がより円滑に進むことになったではありませんか。
ハクアはツェフェリの運命を引き寄せる力に驚きました。
偶然、というのは時に運命的でもあります。偶然を運命に変える力はよほどでないとありません。[神の子]だのと呼ばれていたのも、あながち間違いではないのかもしれませんね。
この偶然がやがて偶然を呼び、重なり合った偶然が、ある行商人を引き寄せることになるのは、また別のお話です。
そんなことになるとはつゆとも思っていないツェフェリはサルジェの晩御飯を楽しみに、作業を進めるのでした。