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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット絵師の賄い処
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タロット修繕の依頼

 着いたのは、こじんまりとした診療所でした。この街唯一の診療所です。

 医療はそれほど発展しておらず、大きな街に一軒診療所があればいい方で改まって大きな病院などはどこにも存在しません。医者といっても全ての病気を治せるわけではなく、考え方として[人はいつか死ぬから命というものが尊い]と言われています。

 けれど、医者の需要はあり、知識のあるひよっこなどが、よく旅で歩いて診療所を開いたりしていますが、ここは古くからこの街にある由緒正しい診療所です。

「ラルフおじさま、いらっしゃいますか?」

 木の扉をきぃ、と開け、先んじてレイファが入っていきます。サルジェも盗人を担いだまま入ってきました。

 中は外装と同じく木の温もりが感じられます。ゆらゆら炎が揺らめくランプがあっちこっちに飾られており、オレンジ色の光を灯して、より一層温かみを演出しておりました。

 長椅子がいくつか並んでおり、奥に扉がありました。受付らしきカウンターがありますが、誰もいません。

 サルジェはなんとなくカウンター脇に飾られた観葉植物をちょんちょんとつつきます。レイファは「おじさまー」と声を高くしました。

 やがて、がちゃりと奥の扉が開きます。出てきたのは白衣をまとった老人でした。白髪の頭に丸い眼鏡をちょこん、とかけている、鷲っ鼻の老人です。人懐こそうな笑みを浮かべて、レイファとサルジェを歓迎します。

「おうおう、よく来たな。すまんの。今奥を整理しとってな」

「やっぱりおじさま一人じゃ大変よ」

「うーん、じゃが、あまり医者というのも良い職業とは言えんからの。若者に強要することはできまいて」

 この街に限った話ではなく、医者という存在は珍しいものでした。人はありのままに生き、ありのままに死ぬというのが美しい生き方だとされていたからです。事、神を崇め奉る街では、医者なんかに頼って病を治すのは、神が与えた天命に逆らうものだとまで考えられ、医者の需要は少ないのです。

 人々は神頼みはするものの、人智を生かそうとはしないのでした。

 そんな中、この老人が医者をやっているのは、前の地主の力もありました。

「まあ、有難いことじゃ。あの男のみを生かすことを生業にしてきた儂が、また人を生かす仕事をしても良いとはな。診療所が保っているのはハクアの威光じゃて」

 この医者……ランドラルフは、前の地主に雇われた医者でした。

 それ以前から細々とラルフは医者として活動していたのですが、前の地主はそこに目をつけたのです。

 神の信仰を大事にするあまり、必要とされない医者。それは[神の遣い]と呼ばれたハクアに対抗するのに相応しいものでした。

 地主は小さな自宅を拠点に回診して回るラルフにこの診療所を与えました。充分な設備も整えました。

 当時から、地主に反感的な住民は多かったですから、これを聞いたとき、住民は明日は槍でも降るのかと思ったほどでした。医療設備を整える、なんて、何の益があるのでしょう。

 けれど、地主は計算高い男で、住民から好感のあるラルフを自分の側に取り込むことによって、益を得ようとしていたのです。

 まあ、その目論見も失敗に終わるのですが。

「いやはや、この二人が揃ってくるとは思わなんだ。サルジェくんはハクアの遣いじゃろうが、レイファくんはなんじゃね? 母君なら先日診療したばかりじゃと思っとったが」

「まあ、なんとなくですわよ。空いていれば、昔話でもしようかしらと思って」

 ふむ、とラルフは神妙な面持ちをします。

「昔話か。このような老いぼれの昔話ほどつまらんものはありませんぞ?」

「あらあら、ご謙遜なさって。ラルフおじさまはハクアさまと並び立てても良いくらいのこの街の英雄ですわ」

「褒めるな褒めるな。漬け上がるぞ」

 満更でもなさそうなラルフの様子に、サルジェは若干呆れ、ふう、と長椅子の端に座りました。盗人は担いだままです。

「町医者、ランドラルフは医者でありながら神託を問う占いもやっていた腕利きの占い師。その目は現在この街に君臨せし、地主ハクアを見出だしたほど」

「なんじゃ? サルジェまで」

 怪訝な目を向けられるも、サルジェは答えず、長い溜め息を吐きました。

 要するに、ラルフはハクアの師匠ということです。でなければ、地主であり、この街の危機を救った英雄であるハクアを呼び捨てにすることなど不敬として訴えられてもおかしくありません。

「確か、お産の手伝いをしていたときに、何かのカードが落ちたんですっけ? その直後、ハクアさまが産まれたとか」

「そうそう、随分昔の話よのう。ハクアはいくつになったんじゃったかの、サルジェ?」

「女性の年齢を聞くとか師匠にぶっ飛ばされますよ」

「それはサルジェくんがまだ若造だからじゃ。ふぉっふぉっふぉっ、生きた年数が違うからの。亀の甲より年の功とはこのことじゃ。それにやつは儂に頭が上がらんからの」

 ほれ、とラルフがサルジェに歩み寄り、持っていたケースを渡します。カードが入っているようです。

「タロットカードの大アルカナ二十二枚と小アルカナ五十二枚、しめて七十四枚じゃ。ハクアが見つけた新たな商売とやらの先行投資じゃの」

「ありがとうございます」

 サルジェは元々、この診療所に来る予定でした。ツェフェリはハクアのタロットを修繕し、ある程度知識を身につけました。ということで新たに外注、つまり、この街の人々からの依頼を受けよう、ということになったのです。

 けれど、街の者のほとんどはまだツェフェリのことをよく知りません。いくらハクアの名が轟いていようと、ツェフェリへの信頼を絶対的なものにするには足りません。

 そこでハクアが頼ったのが、占いの師であるラルフでした。

「タロット修繕師、のう。ハクアも考えたもんじゃ」

「確かに、ハクアさまの影響で、この街ではタロット占いが流行りましたが、タロットカードを持っている家は少なくないですものね。でも、タロットカードはそんなに易々と手に入るものではないから、直して使えるのなら、それに越したことはありませんわ」

 そう、ハクアそのものを信仰すると同時、ハクアの扱うタロットカードを信仰するという現象が起こりました。カードのお告げが絶対とまで言われたほどです。一種、神頼みに準ずるものがありました。

 けれど、タロットカードは安いものでもなく、骨董品に紛れて売られているものなので、なかなか手に入れるのは難しいのです。そこから考えると、ツェフェリに与えられたタロット修繕師という仕事は妥当であり、この街では需要があるものと言えるでしょう。

「ありがとうございます。ツェフェリも喜びますよ。楽しそうに仕事してるんで」

「ふぉっふぉっ、今度、そのツェフェリくんとやらも連れてくるといい。して、サルジェくんが担いどるそれは?」

「そーだ!! 降ろせ!!」

「降ろしたら逃げるだろうが。盗人です」

「ほほう。サルジェくんお手柄じゃのぅ。有能な若者がおるから、儂も早いところ隠居したいもんじゃ」

「隠居だなんて。おじさままだまだお若いですわ」

 ラルフは冗談のように笑って流しました。

「しかし、ちょうどいいところに来てくれたのう。サルジェくんに相談したいことがあったんじゃ」

「なんですか?」

「実はガスが点かなくての……」

 サルジェは盗人を担いだまま、厨房に案内されます。それから、辺りを点検して、溜め息を一つ、告げました。

「元栓締めてるだけじゃないですか」

「なんと! ふぉっふぉっ、全然気づかんかったわい」

「いや、気づきましょうよ」

「サルジェや、年を食うとはこういうことじゃ」

「年の功はどうしたんですか」

 こいつは一本取られた、とラルフは笑います。サルジェはおどけたようなラルフの様子に呆れますが、ふ、と笑いました。

 そこへ、レイファがやってきます。

「もう、おじさまったらお茶目さんなんだから」

「聞かれとったか! 恥ずかしい恥ずかしい」

 言いながらラルフは冷蔵庫を漁ります。

「ん、あったあった。サルジェくん。ほんのお礼じゃが、これを持っていきなさい」

 差し出されたのはお酒でした。ただ飲んでもよし、調理に使ってもよしの優れものです。

「え、そんな、大したこともしてないのに」

「いいんじゃよ。儂は酒飲まんし、消毒にはあまり良くないタイプのやつじゃ。料金酒の使い方も、よくわからんしのう。使える者のところに行ってなんぼ、じゃ」

 言いくるめられてしまいます。さすがハクアの師匠。歯が立ちません。

「そうじゃ。さすがに儂一人で診療所を回すのもしんどいから、ハクアに頼んどくれ。もし、経験も知識もないが罪人で行く宛のない輩でも出てきたら、儂の助手として送っとくれ、とな」

 サルジェの肩で、盗人がびくり、と跳ねましたが、サルジェは何も言わず、わかりました、とだけ告げました。

「では、そろそろ屋敷に帰ります」

「わたくしも帰りますわ。いい助手さんが見つかるといいですわね、おじさま」

 二人は揃って診療所を出ました。

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