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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット絵師の賄い処
33/114

タロット絵師はお留守番

 ざっざっざっと街を歩く音。ざわざわざわ、と賑わう街。北の街は今日も滞りなく街として機能しています。

 あちらを見れば、八百屋が声を張り上げ、こちらを見れば、肉屋の奥さんが快活に笑います。笑顔の絶えないこの景色が、サルジェはとても好きでした。

 サルジェの父、前の地主がここを統治していた頃は、この街を見ることさえできませんでした。サルジェは地主の息子でしたから、それが知れてから、四方八方から石礫が飛んできたのです。あのときの痛みは消えませんが、それを懐かしいと感じられる程度には時が過ぎました。

 それもこれも、ハクアがサルジェを自分の弟子とすることで事を収めてくれたからでしょう。

「何ぼーっと突っ立ってんのよ」

 感慨に浸っていたサルジェに後ろから声が聞こえました。振り向くとそこには二つに高く括った髪をシュシュで結び、サルジェをじと目で見上げる少女がいました。この街一番の服屋、ミニョンの看板娘、レイファです。

「なんだ、レイファか」

「なんだとは何よ、なんだとは」

 今日はピンク色のワンピースに黒いレギンスとお洒落なサボを合わせています。エプロンは紺色です。さすが服屋の看板娘といったところでしょうか。相性のいい色合いや自分に似合う色を熟知した着こなしです。

「狩りに行くんじゃないの? 何よ、その腑抜けた私服は」

 サルジェは青緑のTシャツに黒いズボンととてつもなくシンプルな格好です。顔が悪いわけでもないので、似合わないということはありませんが、まあ、服屋のお洒落店員からしたら、腑抜けた私服に見えるのでしょう。

「はーあ、こんなのが弟とかやってらんないわ。まあ、普段は顔見なくていいからいいけど」

「じゃあ、何故言ったんだ」

 弟、という言葉にサルジェは顔を曇らせます。口にしたレイファも、気分がよさそうではありませんでした。

 ちょっと気まずい空気が流れる中、サルジェが小声で問います。

「……その、あの人は……?」

「相変わらずよ。定期的にラルフおじさまのところに通わせているけれど、薬で治るものではない、とおじさまは仰っているわ」

 サルジェは目を伏せます。サルジェの言う[あの人]とは、サルジェの母のことです。

 かつては街一番の器量良しで、ミニョンの看板娘だった人物。──レイファの母でもある人物です。

 落ち込むサルジェを見て、レイファが目一杯の呆れを込めたような大きな溜め息を吐きます。

「あんたはいつになったら母親のことをお母さんと呼べるの? しゃんとしなさい、しゃんと」

「いてっ」

 ばしばし、とサルジェの背中を叩くレイファ。そこに悪意が微塵もないことは、サルジェにもわかっていました。レイファがサルジェを腑抜けと言ったのは、おそらく服のことだけではないでしょう。

 ……そう、サルジェは自分の母親のことを、胸を張って母と呼べたことがないのです。ただの一度も。

 サルジェは地主が質代わりに娶った服屋ミニョンの看板娘との間に儲けた子です。けれど、その子の誕生は、父親以外は喜びませんでした。当然でしょう。全てが無理矢理、傍若無人の果ての出来事だったのですから。

 倅ができたと喜んだ前の地主でしたが、この一件はひどく街の反発を食らうものでした。街一番の人気店といっていいミニョンが、人気者の看板娘が、心を壊されたのです。

 サルジェは一度も母の顔を見たことがありません。どこに合わせる顔があるというのでしょうか。半分とはいえ、憎むべき者の血を宿した子に。

 レイファも、幼い頃から母が病に臥せっていたため、母親に育てられた、とは言えない境遇でした。レイファのお洒落の技術は、自分で会得したものです。レイファもまた、努力の人間なのでした。

 本当はサルジェには、レイファに合わせる顔だってありません。姉弟などと名乗る資格すらないと思っているのです。レイファから、母親という存在を奪ったようなものなのですから。

「いつまでもいつまでもくよくよしてんじゃないわよ、男の癖に。もう誰もあんたを恨んでいやしないって、耳にたこができるくらい言ってやんなかったっけ?」

 確かに、恨まれてはいません。以前とは立場が違います。以前は悪い地主の息子、けれどそれはもう過去の出来事。今のサルジェは誰からも後ろ指を指されない、立派な一個人なのです。

「理解はできても、気は引けるよ」

 そう、サルジェとて、礫の痛みが当たらなくなってから、人々が変わった実感はあります。理解はしているのです。あの頃とは、もう違う。

 それでも、サルジェがあのろくでもない地主の息子だという事実は消えません。譬、もう誰も責めなくても……いえ、誰も責めないからこそ、サルジェは忘れてはならないのです。

 ですが、レイファは考えが違うようです。不機嫌を隠しもしない膨れっ面で、サルジェを眺め、それから、その手を引きました。

「れ、レイファ、何?」

「ついてきなさい。あんたのその考え、改めてやるんだから」

 どこに連れて行かれるのでしょう。元々、サルジェは街を回るつもりで出てきたのですが……


 連れて行かれたのは八百屋。店主が張りのある声で、客引きをしています。

「おう、サルジェとレイファじゃねぇか。サルジェはともかく、レイファは店はいいのか?」

「ともかくとはなんですか、ともかくとは」

 まあ、サルジェは大抵、ハクアの遣いとしてしか出てきませんから、不思議ではないのですが。

「看板娘が不在じゃあ、お父さんが泣いちまうぜ?」

「あら、ミニョンはそんな柔い店ではありませんわ。そしてそんな柔い精神の父親なんざ、わたくしが根性叩き直して差し上げます。物理的に」

「はっはっはっ、おっかねえ看板娘さんじゃ」

 レイファの言うことが冗談に聞こえないサルジェは笑えません。レイファは無意識かもしれませんが、殴打の力はそこそこ強いのです。その上この歯に衣着せぬ物言い。ミニョンが一度経営が落ち込んだのが瞬く間に復活したのは、幼い看板娘が店主を往復ビンタしたからだと言われています。

 サルジェが表情をひきつらせていると、奥から奥さんが出てきました。

「おや、レイファちゃんにサルジェくんじゃない。ああ、ちょうどいいところに。サルジェくん、今旦那用のエプロンこさえてるんだけどねえ、どうにもミシンの調子が悪くて……見てくれないかい?」

「あ、はい」

 サルジェは居間に上がらせてもらい、ミシンの不具合を直しました。

「いやぁ、助かったよ」

「礼と言っちゃあ何だが、珍しい野菜ができたんだ。ハクアさまに味見てもらいてえな。ほれ、持ってき」

「ありがとうございます」

 きゅうりを大きくしたようなものをもらいました。きゅうり特有のぽこぽこはありませんが、本で見たことがあります。ズッキーニです。

「スープに入れると美味しいと聞いてますよ」

「そりゃあいい。売り出し文句に困ってたんだ」

 かっかっ、と豪快に店主が笑うのを見て、サルジェとレイファは店から離れました。

 少し歩くと、誰かの怒声が聞こえます。同時に何者かがサルジェたちのところを縫って駆け抜けようとしました。

 が、サルジェは知り合いの鬼気迫る怒声と状況を鑑みて、咄嗟に足払いをし、その者を地面に押しつけました。締め上げた手からぽとりとポシェットが落ちます。

「ふう、ふう、はあ、はあ、いやぁ、サルジェくん、助かったよ……サルジェくんがいてくれて本当よかった。偶然だろうと感謝だね」

 息を切らしながらやってきた雑貨屋の店主はふんすと怒りを露に、サルジェが取り押さえた人物を指差します。

「この不届き者めが! 聞いてくださいよ。こいつったら、ウチの商品を金も払わずに持ち出そうとしたんですよ? 最近は治安がいいから油断してましたが、まだまだこういうやつはいるもんですなぁ。嘆かわしいことだ」

「盗人というわけですか。わかりました。師匠に報告しておきます」

「おう、頼りになるねぇ。んじゃ、そのポシェット、サルジェくんにやるよ」

「……え?」

 話が唐突でサルジェは目を丸くしました。

「盗人を捕まえて地主さまに報告までしてくれるんだ。手間賃には安いだろうよ」

「いえ、それは俺の義務ですから」

「なぁに言ってんだい。義務を義務通りにやれるのがすごいってんだ。あんちゃんはちゃんと己のすべきことをしている。立派なことさね」

 そんな大袈裟な、と口を挟む隙を与えず、雑貨屋は続けます。

「それに聞いたぜえ? 近頃、お屋敷に若い女の子が入ったって話じゃねぇかい。あんちゃんが連れて歩いとったのちゃあんとこの目ん玉で見たぜえ。かなりの別嬪さんじゃないかい。もしかしてサルジェくんのこれかい?」

「ち、ちちちち違います!!」

 小指を立ててみせる雑貨屋の言葉を即座に否定するサルジェ。顔が真っ赤です。わかりやすすぎて天晴れというか、呆れるというか。傍らでレイファがくすくす笑みをこぼします。

「おおっと、レイファちゃんも別嬪さんだぜ。お母さんに似てな!!」

「あらあらお世辞はいいんですのよ」

 さあ、遠慮はいらねえという雑貨屋の言葉に、サルジェはポシェットを拾い上げます。シンプルな焦げ茶色のポシェットです。きっとどんな格好のツェフェリにも似合うことでしょう。

「ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらさ。ハクアさまが地主になってからはこういう輩はぐんと減ったし、いてもこうしてサルジェくんが対処してくれる。いい街になったよ」

「それはよかったです」

「さ、サルジェ、行くわよ」

 むんずとレイファがサルジェの襟首を捕まえます。サルジェは雑貨屋が持ってきた縄で盗人を縛り上げ、レイファについていきました。

 途中、肉屋を通りかかります。そこにはまだサルジェを良く思っていない奥さんがいました。けれど、躊躇いなくサルジェに声をかけてきます。

「あの、ちょっと聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」

「俺……ですか?」

 奥さんはこくりと頷きます。

「新しい肉料理覚えたから作ったんだけど、自分で味見てもいまいち自信が湧かなくて、主人に食べさせられないの。サルジェくんから意見をもらえないかしら?」

 差し出されたのは揚げ物でした。ひき肉を捏ねて衣をつけて揚げたようです。

 冷めていますが、脂がしつこくなく、さくさくに仕上がっています。味も肉に混ぜられた玉ねぎが肉の旨味を引き立てており、とても美味しいです。

 それを伝えると、照れながら、奥さんは容器に入れた肉漬けをサルジェに渡します。

「ありがとう。これはほんのお礼」

「ん、調味料の調合変えました?」

「あら、わかった? 生姜を強くしてみたの」

 ふふ、とあまり笑わない奥さんの顔に笑みが浮かびます。

「やっぱり料理の話をするなら、サルジェくんが一番だわ」

「恐れ入ります」

 そんな二人の様子に、レイファが微笑んでいたのはここだけの話です。

 そんなレイファに連れられて、サルジェが歩いていきます。肩には先程の盗人が担がれています。

「痛い痛い痛い!! お前さんにさっきやられた傷が痛み出した!!」

「痛いで済んでよかったですね。師匠なら、この程度では済みませんよ」

 サルジェの抑揚のない一言にさあっと青ざめさせる盗人。

 それを宥めるようにレイファが告げます。

「お望みでなくとも、もうすぐお医者さまのところに着きますわ」

 見えてきたのは、そこそこ立派な木造の建物。温かみを感じる風合いの建物の前には、シンプルに[診療所]とだけ書かれた看板が立っておりました。

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