タロット絵師とカードの絆
どたどたどた、ばたんっ!!
ツェフェリは勢いよく扉を開け、中に入りますが、扉が跳ね返ってきて、ぴしゃりとツェフェリの頭を打ちます。とても痛そうな音がしました。実際に痛かったらしく、ツェフェリはおでこを押さえて踞りました。
「[魔術師]くん……」
ツェフェリはカードの名前を呼びます。いなくなった[魔術師]のカード。風に浚われたと聞きますが、今日はそんな暴風でもなかったはずです。ということは、まだ屋内にいる可能性も少なくないはず。
そう思って声をかけたのですが、返事は返ってきませんでした。
可能性はいくつかあります。ツェフェリの声が聞こえないほど奥まったところにいるか、返事がくぐもってしまうような場所にいるか。あるいは、敢えて返事をしないか。
一つ目、二つ目はともかく、三つ目はどうなのでしょう。ツェフェリへの愛が強いというと、どうしても真っ先に頭に浮かぶのは[悪魔]のカードですが、ツェフェリのタロットたちは皆一様にツェフェリを愛してくれています。突然嫌われるようなことをした覚えもありませんし……
「[魔術師]くん、[魔術師]くん、[魔術師]くん!!」
ツェフェリは必死に呼び掛けますが、返事は返ってきません。
机の周辺を探します。当然ながら、机の上にはありませんでした。それならハクアがとうに見つけていることでしょう。
机の下、椅子の下。薄暗い中を手探りで探しますが、それらしいものは見当たらない……どころか、とても綺麗に整っています。自分の部屋くらいは自分で整理しようとしていますが、サルジェが掃除してくれるので、埃一つありません。
サルジェについて考えました。サルジェが間違って捨ててしまった可能性です。ですが、それはあり得ません。サルジェはツェフェリのタロットを散々見て知っています。ゴミなぞと間違えるわけもありませんし、そもそもサルジェは今日は一日ツェフェリと一緒に街へ出かけていたのです。そもそも掃除をする時間がありません。それに、出かける前までは[魔術師]のカードは確実に机の上にあったのです。なくなったのは他のタロットたちの証言通り、ツェフェリが出かけてからと見て間違いないでしょう。
「[魔術師]くーん……」
呼んでいて、何とも言えない気分になります。
まだ話したことはありませんが、ハクアのタロットの[魔術師]も[魔術師]です。ノインたちのように名前はついているのでしょうが、この呼び方はややこしいことこの上ないでしょう。
「名前、か……」
ハクアとノインたちほどではないにせよ、ツェフェリとあのタロットたちももう随分長い付き合いになります。[太陽]のつける渾名とまではいかないまでも、何か特別な呼び名をつけてもいいのではないでしょうか。
その方がこういう探すときなどに役立つのでは、とツェフェリは考えました。
が、まずは見つけないことには話になりません。机の下は充分に探しました。床に落ちているわけでもないようです。あと探すとすれば、ベッドでしょうか。
それにしても、[魔術師]のカードを失くすとはあまり縁起がよくありません。[魔術師]はタロットカードのナンバーⅠ、物事の始まりを意味するカードであり、創造力やインスピレーションといった意味も持っているカードです。絵師を志すツェフェリにはなくてはならないカードです。
勿論、だからといって、他のカードが大事でないわけではありません。
「風に浚われたって……どのくらい浚われたのかなぁ……?」
部屋の窓から風が入ってきたのなら、扉は閉まっていたのですし、その辺に落ちていてもよさそうですが、風向きが変わって部屋の外に浚われていったとしたら、ツェフェリにはもう手の施しようがありません。
タロットカードの大アルカナは二十二枚で一つ。一枚でも欠けると、占いができなくなってしまうのです。一枚描き足せばいいとか、そういう問題ではないのです。
「……探すしか、ない」
ツェフェリはぎゅ、と拳を握りしめ、別邸から出ました。
「お、戻ってきた」
ハクアがサルジェに睨まれながら立っていました。ハクアは何故だか機嫌がよさそうにしています。何事かあったのでしょうか。
そんなハクアの手にはハクアのタロットカードが握られていました。ツェフェリの方はサルジェが持っています。サルジェが呆れ顔をしているように見えるのは、気のせいでしょうか。
ハクアはタロットを見て満足げに頷きます。
「うむ、見立て通り、なかなかの仕上がりだ。さすがはツェフェリくんだね」
「あ、えと、それまだ完全に仕上げたわけじゃないんですけど……」
「そうなのか? いやはや、充分蘇っているがな」
「お戯れは結構じゃが、主よ、ツェフェリ殿が困っておるからそろそろ本題に入ったらどうじゃ?」
ハクアのタロットの中からノインの声がしました。ハクアはそうだったそうだったと一切悪びれもしない声が返ります。
それからハクアは適当にカードを切りました。それをばらりと広げ、ツェフェリに見せます。勿論、裏向きで。
「ツェフェリくん、部屋を探してもなかったのだろう? 気慰めにしかならんだろうが、一つ、占いをしようではないか」
「占い?」
こんなところで、と辺りを見回します。ここは外です。テーブルもありません。
「なぁに、簡単さ。ただの[一枚引き]。さあ、君の運命を引いてみたまえ」
「う、運命」
ツェフェリがごくりと生唾を飲みます。ハクアが快活に笑いました。
「そう固くなることはない。運命云々は意味のない前口上さ。ほら、引きたまえ」
「は、はい」
ツェフェリはなんとなく気になった一枚を引き、深呼吸を一つ。表にしてみました。
カードの柄と名前を見た瞬間、思わず息を止めてしまいました。
そこに座すのは大きな鎌を持った骸骨。黒いローブをまとうそれは万国共通とも言えよう認識の[死神]そのものでした。
「[死神]……」
見ただけで悪寒が背筋を駆け抜けるような禍々しさを放つ死神は、その名の通り死を表す他に、物事が停滞することをも意味します。
つまり、[これ以上やっても無意味]。
「そんな……」
自分の努力が無駄であることをタロットに示されてしまったのです。そんなツェフェリの絶望は言い知れないでしょう。
「師匠? そろそろいじめないで教えてあげたらどうです?」
「別にいじめてなどおらぬが……まあ、このカードが出るのも仕方あるまいよ」
ハクアがサルジェが持っているツェフェリのタロットから、一枚つまみ上げます。
そこに描かれていたのは、杖を持つローブ姿の青年。テーブルの上には小アルカナたちの象徴である[短剣]、[聖杯]、[金貨]も描かれております。
ハクアがニヒルに笑い、言いました。
「既に見つかっているものを探す必要などなかろうからな?」
ツェフェリは呆気に取られます。それは紛れもなく、タロットカードのナンバーⅠ[魔術師]だったのですから。
「ハクアさま、見つけていたんですか!?」
「見つからなかったなどとは一度も言った覚えはないぞ?」
言われてみればその通りです。完全なツェフェリの早とちりでした。ツェフェリは顔を真っ赤に染めます。
「あ、主殿、その……」
ツェフェリを目の前にした[魔術師]の青年も気まずそうです。
「まあ、見つかってよかったんじゃない?」
空気を察したサルジェが二人を執り成します。事、[魔術師]に関しては、サルジェも声を僅かに聞き取れるときもあるようですし。
ハクアから[魔術師]のカードを受け取ると、ツェフェリはその場に崩れ落ちました。
「主殿!?」
「もうっ、心配したんだからね!!」
「も、申し訳ございません……」
「あと[悪魔]!! ハクアさまの芝居に乗ったでしょ!? 紛らわしいことしないで!!」
「何故我だけ怒られるのだ!?」
タロットも揃い、本調子に戻ったツェフェリが、瞳に明るい色を灯して言います。
「部屋に戻ったら、名前つけるから、みんな楽しみにしてね!」
どよ、とツェフェリのタロットたちがざわめきます。こりゃめでたいと宴とばかりに騒ぐ老人と兵士、感涙に咽ぶ天使や女神や魔術師、ただただ五月蝿い子どもや悪魔。いつも通りの顔ぶれです。
ツェフェリもうきうきと、柔らかいオレンジ色の瞳で、タロットたちを見つめていました。
「……師匠」
「なんだ? サルジェ」
ツェフェリを先に屋敷に入れ、ハクアと二人きりになったところで、サルジェが声をかけます。とても不機嫌そうに。
「あれ、わざとですよね」
「何のことやら」
「ツェフェリが[死神]を引いたのは、師匠がマジシャンズセレクトしたからでしょう?」
マジシャンズセレクト。それは目的のカードを引かせるために、わざと、目的のカードのところだけ心持ち幅広く持ち、[気になる]ようにするという、奇術でよく使われる技術です。
「慧眼だな。まあ、失くしたのが[魔術師]なだけに[奇術師の選択肢]というわけだ」
「上手いこと言って誤魔化さないでください」
「さてサルジェ、今夜の献立は?」
「シチューです。って、美味いこと聞いて誤魔化さないでください」
それから、食卓でハクアの名付け由来の話が出て、ツェフェリもタロット一枚一枚に名前をつけるのですが、それはまた別なお話です。