タロットカード行方不明事件
ツェフェリがサルジェと共に屋敷に帰ると、ハクアが門で待ち構えておりました。
「ハクアさま、こんなところでどうなさったんですか?」
「やっと帰ったか、ツェフェリ。お前のアルカナが大変なことになっているぞ」
「へ?」
ハクアからタロットカードが差し出されます。目に馴染んだツェフェリのタロットです。どこかおかしいところがあるでしょうか。
ツェフェリはカードを一枚一枚見ます。[愚者]、[女教皇]、[女帝]、[皇帝]、[法王]、[恋人]、[戦車]、[力]、[隠者]、[運命の輪]、[正義]、[吊られた男]、[死神]、[節制]、[悪魔]、[塔]、[月]、[星]、[太陽]、[審判]、[世界]……
「あれ? 二十一枚?」
そうです。タロットカードの大アルカナは二十二枚、これでは一枚足りません。大アルカナは二十二枚、欠けずに揃っていないと占いはできません。
足りないのは[魔術師]のカードのようです。[魔術師]といえば物事の始まりや創造力、インスピレーションを象徴するカードです。芸術系の仕事を担うツェフェリの元からなくなるというのは、何やら縁起がよろしくないような。
「[魔術師]の若造がいなくなったのだ!!」
[悪魔]が叫びます。ハクアもそれに頷きました。
「私も街に出ようと別邸の前を通りかかったときに、何やら騒がしいと思って駆けつけたのだ。そうしたら、[悪魔]がこのように騒いでおってな……」
朝、ハクアがツェフェリたちを見送ってからのことです。ハクアも暇なので、街にお忍びで出かけようか、と思ったのですが、ハクアの紫水晶の髪と瞳はどうしたって目立ちます。
変装用の衣装も特にないので、困り果て、別邸を見上げました。
「……のー!! ……殿ー!! ……るじ……!!」
ふと、必死に叫ぶ声が聞こえました。ハクアは何度か聞いたことがあります。
別邸に立ち入り、ツェフェリの部屋へ向かいました。近づくことにその声が大きくなっていくもので、ちょっと頭がきんきんします。野太い男の声の他にも、子どものきゃいきゃい騒ぐような声も聞こえました。
五月蝿いな、と顔をしかめますが、ハクアはツェフェリの部屋に入ります。いくら玄関に鍵をかけたからといって、部屋の戸に鍵をかけないのはいかがなものでしょう。ツェフェリはその辺りの認識が甘いな、と考えながら、声のする作業台に向かって呼び掛けました。
「おい、何を騒いでいるのだ、ツェフェリのアルカナたちよ」
「ぬっ、我は主殿を呼んだのだ。何故貴様が出てくる?」
敵愾心の強い、ツェフェリの[悪魔]の声が返ってきます。主思いなのはいいのですが、主以外は皆敵とでも思っているのか、このような発言が多く、他の仲間たちは困っているようでした。
[運命の輪]の天使が宥めます。
「主は先程サルジェさんと出かけてしまったでしょう。人が来てくれただけでも有難いと思いましょう?」
「ぐぬぅ」
「何事かあったのか?」
[悪魔]は腑に落ちていなさそうでしたが、ひとまずは黙り、他の者が声を上げます。
有り余った元気を感じられるこの声は、おそらく[太陽]のものでしょう。
「あのね、大変なんだよ! 一大事も一大事さ。まーくんがいなくなっちゃったんだ!!」
「…………うむ?」
ハクアが首を傾げてしまうのも仕方のないことでしょう。何せ、[まーくん]なぞと渾名のつくこのタロットたちの知り合いなど思い浮かばないでしょうから。
そんなハクアの様子を見て、はあ、と一つ大きく溜め息を吐いたのは[女教皇]でした。
「[太陽]、そんな呼び方をするのはあなただけでしょう。
ハクアさま、失礼致しました。実は、うちの[魔術師]がいなくなりまして」
丁寧な[女教皇]の説明にほう、と耳を傾けます。
「私たちは重ねられていたので、一番上にいた[魔術師]がどこへ行ってしまったのかわからないのです。どのタイミングでいなくなったのかも……[隠者]のおじいさまが上で寝ていたので、皆気づくのが遅れ……狼狽えていたところです」
「なるほど」
ハクアがツェフェリのタロットを広げてみると一番上に相当する部分には、[隠者]のカードがありました。
アルカナの精霊たちに睡眠が必要か否かは些か疑問ではありますが、ご覧の通り、ツェフェリのタロットたちは個性豊かです。実はツェフェリが毎晩「おやすみ」と言ってから眠ったりするので、[眠る]という行為を覚えてしまった者もいるとか。
「おじいちゃんいびき五月蝿いからねー。何かあったとしても僕たちにはわからないよ」
「寝不足は注意力散漫の元じゃ」
「全くだね」
[太陽]の返答がぐっさりと寸鉄釘を打ち、[隠者]は何も言い返せずに黙り込んでしまいました。
「我は聞いておったぞ!! [魔術師]の若造を拐った者の声を!!」
「拐った?」
カード一枚を手に入れたところで何になるのでしょう。ハクアは疑問に思いました。ツェフェリのタロットは個性的で、声がするのを抜きにしても、生き生きしているように見えます。その才能をハクアは買ったのですから、間違いはありません。
しかし、ツェフェリにどんな才能が眠っていようと、ツェフェリはまだカード一つ売りに出しておらず、著名とは言えません。そんな市場では価値のなさそうなものを盗んで何になるというのでしょう。
というか、ここは地主の敷地なのですから、そういう不届き者の侵入があるというだけでも度しがたいものです。
……と、ハクアが眉間にしわを寄せていると、ハクアの耳には馴染みきった笑い声が聞こえました。
「ふぉっふぉっ、お主がそういう顔をするなぞ、珍しいことよのぅ」
「……ノインか」
それはハクアのタロットの[隠者]のノインでした。ツェフェリの作業台の上に何枚か広げっぱなしです。
「見たよ見たよ、ハクアのレアショット!!」
「ノインツィア……」
「ハクアさまが困り事、珍しい……」
「ツァンツィグもか……」
ハクアのタロットの[太陽]のノインツィアと[審判]のツァンツィグも机の上に並べられておりました。
それを見てハクアさまが閃きます。
「ふむ、なるほどな。拐われたといっても、人とは限らんわけだ」
机の上に広がったハクアのカードたちは整えられている、というよりは雑多に広げられた感じです。あの物を大切にするツェフェリが、修繕を依頼されたハクアの、しかも住まわせてもらっている屋敷の主の大切なカードをこのようにぞんざいに扱うものでしょうか?
答えは否です。ハクアはツェフェリとの付き合いは短いですが、サルジェからツェフェリのことは聞き知っていました。だからこそ屋敷に招いたのです。
実際に数日一緒に過ごしてみたところ、彼女は礼儀正しく、行儀もよく、受け答えも丁寧なよくできた少女でした。タロットに向ける熱量も占い師と絵師という違いがありながらも熱く感じられるほどです。
そんな彼女がタロットをそもそもぞんざいに扱うわけがないのです。しかもハクアのタロットに関しても、声は聞こえているようですから、尚更あり得ないことでしょう。
では何故カードは散らばっているのか。
「風に浚われたのだな?」
「ふん、その通りだ」
ツェフェリの[悪魔]が鼻を鳴らします。もしかしたら[悪魔]はハクアをあまり好いていないのかもしれません。
それに対し、ハクアは大きな声で笑いました。
「はっはっはっ、面白いアルカナたちだ。この私に謎かけしようなどとは」
「我は真剣だ」
「おっと失敬失敬」
[悪魔]の不興を買ったのを察したハクアが軽く謝ります。
「まあ、喋れるとはいえ、普通の者には聞こえぬし、カードだから自在に動けるわけでもない。というわけで直ちに探す人手が欲しかったわけだ」
「一人でも欠けては主殿が悲しむ」
「うーむ、主思いの良いアルカナだ」
というようなことがあった、と聞いて、ツェフェリは慌てて自分の部屋に向かいました。
ハクアがやれやれと肩を竦めるのをサルジェがじとっとした目で見上げました。
「師匠、わざとツェフェリに言わなかったでしょう?」
「さて、何のことやら」




