タロット絵師の朝ごはん
寝ぼけ眼で食堂に向かうといい匂いが漂ってきました。これはトーストに美味しい焦げ目がついている匂いです。
食堂に行くと甘味のある卵の香りがふわりと鼻を擽りました。既に食欲をそそられています。ツェフェリは先に来ていたハクアの方へ挨拶に向かいます。
「ハクアさま、おはようございます。いい朝ですね」
「ああ、おはよう。サルジェが洗濯日和だと言っていたな。ツェフェリくん、君の服、買い足した方が良いのではないかね?」
「え、そうですか?」
ツェフェリが着ているのはそんなにぼろぼろではありませんが、年季を感じさせるタートルネックのセーターと作業ズボンです。他にも似たようなものを二、三着、森で暮らしていたときにサルジェからもらいました。
元の村の教会にはシスターたちが着るような修道服しかなかったので、服を持ち出すことができなかった、と話したときにサルジェが持ってきてくれたものでした。
「ふむ、女の子に服をプレゼントとはサルジェもなかなかやるな。だが、手持ちもなかったから古着か。仕方ないな。別邸とはいえ私の屋敷に住まう以上、それなりの服の一着や二着は用意しないと」
「え、それなりの服って……」
ツェフェリが真っ先に思い浮かべたのはおとぎ話の舞踏会や社交会などで出てくる礼服でした。けれど、そういった類の服は貴族でもないと買えない金額だと聞いています。
ツェフェリはただ住まわせて、お商売をさせてもらうだけなのに、そこまで自分にお金をかけてもらうのは申し訳ない、と思いましたが、ハクアがツェフェリの思考を先読みしたかのように告げます。
「なぁに、それなりの服とはいっても、礼服のような堅苦しいものではないよ。そうだな、今の私くらいのものでいい。人前に出てもそれなりに立派に見える格好の服がいいな、というだけだ。それにその様子だと、寝間着を持っていないな?」
「ね、ねまき?」
それも知らないのか、とハクアは驚いた後、ツェフェリに寝るときと起きているときは違う服を着るものなのだ、という説明を簡単に受けました。
ツェフェリの中では、寝間着も私服も一緒でした。一日ごとに着替えるというのは教会にいたときからやっていましたが、ツェフェリに着せられる服といえば、全部修道服なのです。村の中を歩くこともありましたが、あまり豊かな村でもなかったため、みんないつも似たような服を着ていました。まさか夜に着替えているのを覗くなんて機会もありませんからね。
「とにかく、だ。目に隈もできている。私が仕事を頼んでから、毎日夜遅くまで作業をしているのだろう? 少しは休め、と言いたいところだが、作業場と寝床が同じ部屋だからな……サルジェと買い出しにでも行って、街で気分転換でもするといい」
「でも、タロットの修繕が……」
「買い出しも立派な仕事だ。いつまでも古着を着回した格好でいられても私が困る。なあ、弟子よ、お前もそう思うだろう?」
「思いますけどとりあえずツェフェリが席に就いてからでいいですか?」
割烹着姿で両手にお盆を持ったサルジェがやってきており、ツェフェリは言われたままに席に就きました。それを見て、サルジェがハクア、ツェフェリの順番にお皿を置いていきます。焼きたてほやほやで湯気の立つトーストです。
他のものは既に配膳されておりました。煌めく黄金色のスクランブルエッグは艶やかでその色味もさることながら、玉子特有の優しい香りが引き立っています。その脇にはキャベツと焦がしベーコンを和えたサラダがありました。オイリーなドレッシングであるため、ベーコンの香りを邪魔せずに、野菜の彩りを際立たせています。
「ほわー、これ全部サルジェが作ったの?」
「ん? まあ」
「サルジェって料理上手だよね」
「……まあ、親に言われて色々できるようにはなったかな」
サルジェは苦笑いしました。サルジェの親は元地主。本来お屋敷の管理、家事をするお手伝いさんが愛想を尽かして誰もいなくなったため、代わりに長年こき使われていたのです。毎日毎日やっていれば、上達はするものでしょう。
「まあ、舌の肥えた地主を唸らせるくらいの腕前だからな。その辺の料理人と比較しても遜色ないぞ」
「さ、冷めないうちに食べてください。買い物は洗濯物を干してからですね」
サルジェが自分の席に配膳して、割烹着を脱ぎます。森にある様々な緑を映したようなシャツを着ていました。なかなか似合っています。ちなみにハクアは襟にフリルの着いた鮮烈な赤紫のシャツにプリーツスカートを合わせているようです。
確かに二人共ぱりっとした衣装で、それと比べるとツェフェリは古着でくたびれているため、見劣りしてしまいます。せっかくハクアが対等な存在として受け入れてくれているのですから、言われた通り、それなりの格好をした方がいいでしょう。こんな感じなら堅苦しくなくてツェフェリも遠慮せずに買えそうです。
「では食べようか」
「いただきます」
ハクアが口をつけたのを見てから食べ始めます。由緒正しいところでは家主より先に食べ始めてはいけない、と学んでいました。
トーストを手に取り、思い切ってスプーンでスクランブルエッグをすくいました。近くでみるとぷるぷるの半熟で、とても美味しそうです。それをカリカリのトーストの上に乗せてぱくりと一口。トーストの芳ばしい香りと玉子のふくよかな味わいが口の中を満たします。素朴な食材同士ではありますが、見事なマリアージュと言えましょう。
続いてサラダを乗せます。少ししんなりしたキャベツがトーストの上に横たわる様はごくりと息を飲むほど美麗なものでした。一口頬張ると、口の中でころころと細かく刻まれたカリカリベーコンが存在感を発揮します。単体で食べるには塩味が強く感じられますが、キャベツの甘さがそれを緩和し、程よい味へと口の中で完成されました。
これもまた素朴なレシピではあるのですが、絶品です。分量が一つでも違えば別物になってしまうであろうことが容易に窺えます。確かにサルジェの料理の腕前は一級品です。素人ながらにも宣言できるほどのものです。
当然のことながら、大満足で完食しました。




