タロット修繕師と同居人
大きな大きな食堂の、大きな大きな食卓に向かい合って座っている、女性と少女がおりました。テーブルには彩り鮮やかな食べ物が並べられ、とても豪華に見えます。
さすがは地主の屋敷。小屋で過ごしていたときとは比べ物にならないほど材料に富んでおり、美味しそうでありながら、バランスもよく見えます。
ツェフェリは以前いた村では一番贅沢な暮らしをしていたはずですが、レベルが違うと言いますか。まあ、そもそも街と村ですから、規模は違って当然ですが。
恐る恐る、ハクアに聞きます。
「いつもこんな感じなんですか?」
「ん? ああ、客人が来たときと同じくらいだな。まあ、君の歓迎の意も込めているからな。サルジェも腕によりをかけたのだろう」
「それです」
そう、さも当然であるかのようにハクアはサルジェが全部作ったと語りますが、これはおかしいのです。
ツェフェリでさえ、教会にいる何人ものシスターが代わる代わるで食事を作っていました。それよりも遥かに大きい街の地主のお屋敷で、たった一人の青年が毎日毎日料理を作っている? これがおかしくなくて、何がおかしいというのでしょう。
ツェフェリがじーっと見ていると、やがてハクアが、ああ、と笑いました。
「サルジェのことが不思議か?」
「……そうですね。このお屋敷に、他のお手伝いさんがいないことも含め」
「まあ、そうだろうな。さすがに気づくか」
ハクアの笑みは空笑いのように聞こえました。力のない声、というか。
あまり、話したくはなさそうでしたが、ハクアは語って聞かせてくれました。サルジェといること、ハクアがこの街の地主になった真相を。
「前の地主がひどい野郎だった話は知っているな? 私が目をつけられたのは、ツェフェリくん、君と似たような理由だ。私のような[透き通った紫水晶の目]は珍しかった。それで、占いなんてできるものだから、ちやほやされて街中から持ち上げられたんだ。当時の街は地主に納得のいかない者が多くてね、皆が皆、反乱の機会を窺って、戦々恐々としていたよ」
とても信じられません。街で出会った人々は皆優しい笑顔を振り撒いていましたから、そんなに荒れていた事実があったなんて。おとぎ話を聞いているかのように感じるくらい。
実際、ノインが[精霊の目印]と称した通り、ハクアの目はいつぞやのツェフェリと同じように奉り上げられたようです。あの村に[虹の子]という作り話があったように、この街にも[精霊の目印]という伝承があったのです。
それにハクアは目がなくとも、人々を惹き付け、引っ張っていく器量とカリスマがありました。故に、ハクアを支持する者がどんどん増えたわけです。
「前の地主はそれが気に食わなかったようだな。何度も私をこの街から追い出そうとした。けれど、その度に私は占いで勝負をかけ、勝っていった」
「占いで?」
「ああ。私を追い出したらどうなるか占ったり、街の人を裕福にする技量勝負もした。害獣に困っている人々を十日でどれくらい助けられるか、とかな。私は狩人をしていたから楽勝だった。ただ、前の地主も安い挑発が好きらしくてな。私に対して挑戦的に、狩人を送り込んで狩りの勝負をさせた。いやはや、あのときはやつにしてはなかなかいい人材を送ってくるから、私も焦ったものだよ」
「ハクアさまに迫るくらいの狩人が?」
「ああ。といっても、狩人の卵だな。信用のないあいつが、こんなに見込みのあるやつを雇えるとは思わなかった」
どれだけ残念な地主だったのか、もう充分なくらいにツェフェリも実感し始めました。
「で、だ。私はそいつに勝ったわけだが……地主が私に喧嘩を売ったことが街中に知れてだな……」
「ま、まさかとは思いますが、大乱闘……とか」
「半ばそんな感じだ。負けたくせにただで済むと思うなよ!! とか、すごい張り切りようだったな、街のやつら」
それは仕方ないでしょう。自分たちの与り知らぬところで、自分たちの生活がかかるような賭け勝負が成されていたのです。ハクアが害獣駆除に失敗していたら、どうなっていたか、想像するだけで恐ろしいです。
ツェフェリは実際に会ったことはありませんが、森の動物は気性が荒い者が多くいます。これはサルジェと出会った頃、森の危険性を滔々と語られたのでよく覚えています。森のくまさんなんて絵本のような生易しい存在はなく、血に飢えた荒熊がいるのが現実です。何なら、鹿でさえ恐ろしい生き物なのです。目がよくないので歩いて近づいてきますが、罷り間違って角などに激突してみましょう、普通に骨折します。のそのそしているように見えても、侮ってはならないのです。
それに、畑を荒らす生き物もいます。譬、生きるために食べることは必要と言えど、それは人間も同じで、お互い様なのです。増えすぎた生き物は根絶やしにはしませんが、ある程度まで減らすようにして、人間と動物のバランスを取るのも狩人の役目だと聞きました。
「で、そのとき地主が盾にしたのが、私と勝負をした狩人だった。そいつが勝手にやったことだ、と言ってな」
「ひどい……」
「それがサルジェだったわけだが」
「んん!?」
ツェフェリが思わず噎せます。あまりにもサルジェの登場が急だったものですから。
話を整理すると、地主がハクアとの勝負で出した狩人がサルジェだったということになりますが……
「言っただろう? 私がいなければ、今のあいつにはこの街での立場がない、と。それはやつが[前の地主の息子]だからだ」
「ええっ!?」
なるほど、それなら本来なら前の地主と共に排斥されていてもおかしくないですし、地主が金で雇わなくても狩人として勝負に出せるわけです。
ですがそれは、暗にサルジェがかつて[父親に体のいい道具として利用されていた]ということを示します。
「その勝負の前にも占いをしたのだがな。[三つの運命]の展開、聞きたいか?」
「え、[三つの運命]?」
その占いが出てきたことにツェフェリは驚きます。こういう勝負の場合なら、[二者択一法]などもあったでしょうに、何故ハクアはそれを選んだのでしょうか。
「[二者択一法]はそうそう使う展開ではない。物事には二つに一つしか選択肢がないように見えても、無数に選択肢が存在することがある。君との占い勝負だって、勝つか負けるかしかないと思っていたのに、[引き分け]という予想外の結果になっただろう?」
「それは……確かに」
「だから、こういう選択系統の占いは常に[第三の道]というのを念頭に置いてやるんだ。
私はそのとき、[私が勝った場合]と[地主が勝った場合]と[その他の場合]で占った」
「……その他なんてあるんですか?」
「実際にあったんだ。何故なら地主は自分自身ではなく、息子という代理人に勝負をさせたのだから、[狩人としての息子が勝った場合]があるわけなのだよ」
言うなれば、[地主の息子]としてではなく、サルジェが[サルジェとして]勝った場合、ということでしょうか。
「何せこんな大きな街一つがかかった占いだ。私でなくとも慎重になるさ。
で、面白かった展開が、[その他の場合]。現在が[死神]の正位置なのに、未来は[運命の輪]で、最終予想が[魔術師]だぞ? ああだこうだと言ったものの、私も当時は自分が勝つか負けるかしか考えていなかったからな。この結果には驚いたものだ」
始まりが物事の滞りや活路がないことを表す[死神]なのに、[運命の輪]でタイミングを見出だせば、[魔術師]が示す物事の始まりへと繋がる、というのは奇想天外な展開と言えるでしょう。
「何より面白かったのが、[魔術師]が示した活路を掴み取ったのが、他の誰でもない、サルジェだったことだ。やつはな、吊し上げられそうになったときにこう言ったんだ。
[俺に狩りを教えてください]と」
ハクアと共に害獣駆除活動をする中で、サルジェは学んだことが多かったと語ったそうです。今の地主がどうあろうと、これからの地主がどうなろうと、サルジェは自分でこの街を守りたい、と語ったのです。
よもや、あのろくでなしの息子がこんなにしっかりしているとは、と街の皆さんは感心しました。それまで地主の息子の情報なんて一つもありませんでしたから、息子が真っ当な人間だとわかれば、憎しみの矛先を向ける道理もありません。
では、その矛先がどこへ向いたのか。それは考えるまでもないでしょう。
「大したやつだよ。[運命の輪]が示した一度きりのタイミングの妙を見事に生かし、この街の新たな始まりへ繋げたんだ。[魔術師]と呼んでも差し支えないだろう」
タロットカードのナンバーⅠ[魔術師]。タロットの一番最初のカードはナンバー〇の[愚者]という意見も正しくはありますが、物事は「一」から始めるものです。こういう考えからナンバーⅠである[魔術師]は[物事の始まり]を意味します。また、物事を進めていく上で必要な創造力、インスピレーションといったものもこのカードが司るものの一つです。
サルジェはハクアが地主にのしあがる[きっかけ]となったのです。
「あれを皮切りに、地主を非難する声が大きくなってな。誰も地主に手を差し伸べなかった。唯一、この屋敷で身の回りの世話をしていた息子も私の手中だ。やつはこの街にいられなくなった」
波瀾万丈。まさしくそんな経緯でした。ハクアばかりではなく、サルジェまでも。サルジェは全くそんな様子は見せないので、ツェフェリは全然知りませんでした。
「それでも、[血は争えない]とか言ってサルジェを警戒するやつもいるから、サルジェの望み通り、サルジェを私の弟子として迎えた。ウィンウィンというやつだな」
「何がウィンウィンですか」
そこにサルジェが入ってきます。割烹着姿です。腕をまくっているので、洗い物でもしていたのでしょう。
はあー、と深々と溜め息を吐きます。
「ツェフェリには知らないでほしかったよ」
「何を言う。ここで暮らす以上、いつかは当たる疑問だ」
「そりゃそうですけど。大切なことだからこそ、自分で話したいんじゃないですか」
「男らしいことを言うようになったな」
「また馬鹿にして」
いがいがとハクアに噛みつくサルジェ。やはり、ツェフェリの思う通り、彼は実直な人でした。
「サルジェ」
「なぁに?」
「悪い人の子どもだからって、嫌いになったりしないよ」
ツェフェリから満面の笑みと共に送られた一言に、サルジェは顔を真っ赤にしました。そんな向かい側のやりとりを、ハクアは微笑ましく眺めているのでした。