タロットたちの思い
そんなこんながありまして、ツェフェリの部屋が別邸に設けられました。
「別邸でも充分広いなぁ」
部屋を見渡し、ツェフェリは呟きます。ツェフェリに与えられた部屋は、森の小屋と大体同じくらいの大きさ。森ではそれをサルジェと二人で使っていたのが、今度は一人で使っていいということですので、贅沢な話です。
ふかふかのベッドに、なんと、作業台まで運び込まれていました。タロットの修繕用に必要な道具類も揃えられていますし、それ関連の本が詰められた本棚も用意されています。
ハクアからの餞別か、ツェフェリのタロットたちがぴったり納まるサイズのケースも用意されていました。至れり尽くせりです。
ツェフェリはウキウキとして、タロットたちを取り出しました。
「やったよ、みんな。ボクはタロット絵師として、認められたんだ!!」
といっても、修繕師からの始まり。まだ第一段階としか言えないでしょう。
それでも、先程の占いで、ハクアははっきり宣言してくれたのです。ハクアはツェフェリのことを絵師として認めていて、だからこそ、最善の道を歩んでほしい、と修繕師の仕事を任せてくれたのです。
ツェフェリは机にぱらぱらとタロットたちを広げました。一枚一枚、大切に。作業用の机も広めなので、タロットカード二十二枚は充分に収まりました。
タロットたちからは多種多様な歓声が上がります。
「よかったであるな、主殿!」
我が事のように誇らしげな[悪魔]。
「わーい、わーい、お祝いだー。こういうときは赤く染めたご飯食べるって聞いたことあるー。食べたーい!!」
異文化を持ち出す[太陽]。
「おめでとうございます」
純粋に賛辞を述べるのはまとも枠の[運命の輪]や[正義]の女神、[女教皇]でした。
ぱちぱちと拍手のみを送るのは無口な[皇帝]と冷静沈着な[女帝]。
それぞれの歓声を彩るように[審判]の天使が軽やかにラッパの音色を奏でていました。半ばお祭りです。
「それにしても、[魔術師]の若造の作戦がああも上手くいくとはな!」
「若造はやめてください[悪魔]」
「作戦?」
「うむ」
カードが動くことはありませんが、なんとなく、[悪魔]のカードが姿勢を正したように感じました。[悪魔]だけではありません。他のカードたちも、なんだか改まった雰囲気です。
どこか緊張した空気の中、ツェフェリがな、何? と不安そうな声を上げます。
実はですね、と[魔術師]が語り始めました。
「あの小屋を出るときの、占い勝負、我々が目論んだことだったのです」
「ええっ。でも、ハクアさまとは初めて会ったはずだよね? どうやって?」
「サルジェ殿です」
尚更ツェフェリはちんぷんかんぷんになります。あれだけタロットカードを大切にして、不思議な雰囲気を放つハクアなら、カードの声を聞けても不思議はありませんが、サルジェはどうでしょう。
長い間一緒に過ごしてきましたが、その間、彼にタロットたちの声が聞こえている様子は全くありませんでした。けれど、タロットたちと共に画策したということは……
「サルジェにもキミたちの声が聞こえるの?」
「とんでもない。ただ、あの小僧、[魔術師]の若造との相性がいいらしくてな。[魔術師]の若造伝で協力を仰いだ」
「まあ、こちらの思惑など、歴戦の猛者である占い師はお見通しのようでしたがね」
[魔術師]は苦笑します。占い師とはハクアのことでしょう。歴戦の猛者……まあ、占い師としての信頼で街の復興を成し遂げたのですから、只人ではあり得ないでしょう。
つまり、小屋にハクアが来たところから、ツェフェリはみんなの掌の上でころころ転がされていたわけです。悪い気はしませんでした。こうしていい縁に辿り着いたわけですし、何より、タロットたちがツェフェリのことを思ってやったことです。非難するわけがありません。
タロットたちからの愛を感じて、ツェフェリの目は暖かいオレンジ色に染まります。
「みんな、ありがとう」
にっこり微笑んだツェフェリを見て、タロットたちはそれぞれ喜びます。あからさまに歓声を挙げたり、きっと彼らが絵でなかったなら、微笑みを浮かべていた者もいたでしょう。
そんな一枚一枚たちをまとめ、胸元でぎゅ、と抱きしめてから、そっとケースに仕舞いました。
作業台に備え付けてある引き出しなどを確認します。そこには筆が様々入っていました。ツェフェリは棚から本を出して、どの筆がどういう用途のものか照らし合わせます。修繕師としてやる気も充分のようです。
こんこんこん、とノックの音がします。ところが、ツェフェリは道具の確認に夢中で、返事をしません。何度かノックが続きましたが、やがてノックの主が諦めたのか、ノックがやみます。
さして間もおかず、今度は軽いノックの後、入るよ、と聞き慣れた声がしました。ツェフェリははぁい、と生返事をします。
入ってきたのは。
「なんだサルジェか」
「なんだとはなんだ、なんだとは」
もうツェフェリにとってサルジェはかなり気安い仲になってしまったので、こんな反応になります。サルジェは少しぷんすかとしながら、用件を言いました。
「師匠が反応ないから困ってたぞー。依頼の品を渡したいって」
「あっ、まだハクアさまのタロット!」
サルジェが差し出したのはハクア愛用のタロットカードでした。どうやら先程のノックはハクアだったようです。
「屋敷の主が別邸まで出向くなんてそうそうないんだから、ちゃんと返事しろよ」
「うん」
「俺にはその口調でいいけど、お客さまが来てるときとかはせめて丁寧に話せよ?」
「かしこまりました」
「俺にはいいって」
ツェフェリの丁寧語がよそよそしく感じたのか、サルジェの顔がひきつります。
サルジェの言葉を咀嚼して、ツェフェリにはふと疑問が湧きました。
「サルジェはハクアさまとかなりフランクな感じで話してたよね?」
そう、「です」「ます」は使っていますが、師弟というほど畏まっていないように思えたのです。
ツェフェリが尋ねると、サルジェはぽかんとしてから、罰が悪そうに目線をあっちこっちに逸らしました。
「うーん、まあ、それはいいだろ。俺もお客さまがいるときは畏まってるんだ。それに、師匠はツェフェリには畏まってほしくなかったみたいだからな。気軽に話せるようにって」
……はぐらかされたような気もしますが、ツェフェリと気軽に話したかったというのは納得がいきます。
もし、ハクアが地主の権力で上から目線でツェフェリを「買う」と言ったのだったら、とてもついていく気にはならなかったでしょう。それに、サルジェが親しげにしていたから親しみが湧きやすかったというのも否定はできません。
ただ、サルジェとハクアの仲というのが気になるのも確かです。[ただの]師弟関係なのでしょうか。
「そういえば、サルジェがハクアさまの身の回りのお世話をしてるって聞いたけど?」
「ああ」
「他に人は?」
「いないな」
それはおかしいです。
こんなに大きいお屋敷ですから、お掃除だって毎日しなきゃなりません。ハクアさまの食事はどうするのでしょう。お召し物の準備だって。
これまでの発言から鑑みるに、これら全てをサルジェがやっているように聞こえますが。
「別邸とはいえ、屋敷に住ませてもらってるんだ。手伝うのは当然だろ」
「それはそうだけど……」
その量を、一人で?
小屋で暮らしていたときは、サルジェはなんでもできて器用だな、と思っていましたが、こんなどでかいお屋敷レベルで毎日やっているのでしょうか。スケールが違うにも程があるでしょう。
「え、それじゃあボクも」
「そんなことより、まあ却って安心したよ」
「……安心?」
遮られて誤魔化されないぞ、と思っていたツェフェリでしたが、サルジェの一言にあっさり引っ掛かってしまいます。安心したとはどういうことでしょう。
「ん。師匠は職人気質な方が素質があるって思ってるみたいだから。ノック三回しても気づかないくらい専門書に夢中ってことはそういうことだろ?」
三回もノックされていたのか、という事実にツェフェリはびっくりしましたが、却って好評価だったようです。
職人気質とは、と思いましたが、集中力がある、とは言われたことがあるような気がします。サファリは商人なので、職人とは違う、と言っていましたが、短期間で絵を習得したツェフェリを大したものだと評していました。そういうことなのでしょう。
「あと、もうすぐ夕飯だから、食堂に来るように。はい、伝言終わり」
「あ、うん」
ぱたん、と扉を閉めて、サルジェは出ていってしまいました。食堂に来い、ということは、もしかして今日からハクアさまも一緒に食事を摂るということでしょうか。
とにかく、本には何かしら栞をして、ハクアのタロットを机に置いた方がよさそうです。サルジェは割烹着を着ていませんでしたから、食事はもう出来上がっているのかもしれません。待たせるのも悪いでしょう。
そう思って振り向いたそのときでした。
「む、主殿、我々の他に誰かおらぬか?」
「へ? サルジェならついさっき出ていったところだけど?」
不自然なタイミングで上がった[悪魔]の声に、ツェフェリはこてん、と首を傾げます。
そもそも、サルジェのことならタロットたちには声が聞こえるのですし、サルジェとは小屋で過ごした仲ですから、[誰か]などという曖昧な言葉を使う必要はないのです。
では一体誰が? ハクアもタロットたちは知っているはずですし、第一ハクアは本邸にいるはずなのです。まさか不審者?
と、辺りを見回していると。
「娘、手じゃ、手。お主の手の中におる」
「手?」
言われるがままに目線を落とすと、手の中にあるのはハクアのタロットカードだけでした。
カードがそうそう喋るなんて──
「じゃから! 儂らはハクアのアルカナじゃ!!」
「うわっ、カードが喋った!?」
誰が言うのか、といったような溜め息が手の中のタロットから聞こえてきました。絵柄を上にすると、そこにはタロットカードのナンバーⅨ[隠者]がいました。ツェフェリの描いたものより古めかしく、リアリティーに富んだ老人ですが、どうやらやたらはきはきと喋っているのはこのカードのようです。自らのことを[タロット]と言わず、ハクアと同様、[アルカナ]と称する辺り、ハクアのタロットと見て間違いないでしょう。
ツェフェリの[カードが喋った]発言にツェフェリ所有の喋るタロットたちも呆れたようで、溜め息やら苦笑いやらが聞こえます。
よくよく思い出してみるとハクアも[タロットが喋るかもしれない可能性]について考えているような発言がありました。よもや、ハクアのタロットも喋るのだとは思っていませんでした。
「はは、まあ、娘ほど若ければ、[精霊の宿るアルカナ]の存在が二つも三つもあることに驚くのは無理もないか。ほれ、皆も挨拶すると良い。儂らがしばらく世話になる相手じゃ」
「ぷはっ、もういいの!? じゃあ僕から僕から!!」
「ええ~、あたしたちが先ぃ~」
「あっちの[審判]とラッパ吹き勝負したい」
「落ち着かんか、お主ら」
情報量が多くて、ツェフェリは目を回しています。なんとかわかったのは、ハクアのタロットたちを束ねているのは[隠者]の老人で、ハクアの[審判]の天使は喋るということくらいでしょうか。
「僕はね、僕はね、[太陽]のノインツィエ!! ノインツィエね!!」
「あたしは[恋人]のスゥ」
「相方のゼクだよ」
「[審判]のツァンツィグ」
あれよあれよという間に進むタロットたちの自己紹介に、ツェフェリは目を丸くするばかりでしたが、気になったのは[名前]です。ハクアのカードたちはタロットとしての名前とは別に[名前]を与えられているようなのです。
なるほど、精霊の宿る云々もそうでしょうが、ハクアがカードを買い替えないわけです。一枚一枚に[名前]をつけていたのなら、愛着も湧くというものでしょう。
「そっか、みんな、よろしくね」
歓迎の意味で微笑んだツェフェリの目を見て、ハクアのタロットたちがおおっと一様に声を上げます。
「目が若草色になったぞ」
「違うよオレンジだって。ねぇ?」
「ピンクだった! ピンク!!」
「あはは」
喧嘩に発展しそうになったため、ツェフェリは自分の目について説明しました。ふむふむ、とハクアの[隠者]が納得します。
「なるほどな。その特異な目は精霊に愛された証拠となるまさしく[目印]といったところか。我らの主も紫水晶の目をしているからな。あれも目印じゃ」
「そうなの?」
「精霊とは自然から生ずるもの。水晶なども[鉱石]であるから、自然のものであろう?」
つまり、自然の美しさを精霊たちは[目印]にしているということでしょう。
「さて、儂は自己紹介がまだじゃったな。儂はノイン。[隠者]のノインじゃ。よろしく頼むぞ、娘」
「ボクはツェフェリって言います」
「そうか。ではツェフェリよ、主と小僧が待っておるから早く行った方が良いぞ」
「あ」
サルジェから呼ばれていたのを完全に失念していたようです。ツェフェリはハクアのタロットを作業台に置くと、ぱたぱたと部屋から出ていきました。
「主らも良い主を持ったのう」
「そうですね。自慢の主です」
ちょうど一番上にいた[魔術師]がノインに応じます。
「しかし、その様子だと、主らには名前がないようだが?」
「名前の有無に拘わらず、主殿は我々を愛してくださっていますよ」
それはツェフェリのタロットたちの総意でした。
じゃが、とノインが問いかけます。
「ちと寂しくはないかの?」
……それがないと言ったら嘘になりますが。
「主殿が幸せなら、それでいいんですよ」
本当に、それだけで。