タロット絵師に示された道
大きな大きなお屋敷の小さな小さな別邸に、ツェフェリとサルジェとハクアはいました。
「ここが別邸だ。私は基本的に本邸にいる。まあ、本邸には広い客間もいくつかあるが、客間は基本的に客人用だ」
「客人って、どういう人が来るんですか?」
ツェフェリが疑問の灯った藤色の目で問いかけると、ハクアはくつくつと肩を揺らして笑った。
「それは、私はこの街の地主だからな。他の街の地主や懇意の商人、占いの客だな」
「ほ、他の街の地主!?」
「なぁに今更驚いてるんだよ。地主なら他の土地と繋がっていてもおかしくないだろ。それに北の街は大きいからな」
確かに、この屋敷だけでも充分に大きいというのに、この街にとっては屋敷も街の一角でしかありません。すると、よほど大きいのでしょう。
他の街とも繋がっている、という話も、よく考えれば頷けます。ハクアはツェフェリがいた村に一度来たことがあるのです。それは色々な方面から情報を仕入れ、移動図書館がどこにあるのか突き止めたからでしょう。
移動図書館は街から街へと移動するので、地主同士のやりとりで情報を入手するというのが妥当な手段でしょう。
「といっても、私は賑やかすぎるのは苦手だから、客人は二組以上招かないことにしている。故に、客間は有り余っていると言っていい」
「え、じゃあなんで客間いっぱいあるんですか?」
「前の地主の屋敷だからだよ」
サルジェが口を挟みます。曰く、前の地主は客人を招くのが自分の地位や権威を示す象徴になると思っていたようです。地主のすべきことというのはそれだけではないはずですが……だからこそ、以前の地主は自滅したと言えるでしょう。
さて、今は以前の地主の話などは良いのです。
「ツェフェリくん、好きな客間を部屋にするといい」
「えっ、えっ」
村にいたときは村で一番大きい[教会]に住んでいたツェフェリですが、どう考えたって段違いに大きいお屋敷です。何が違うって、一部屋の大きさが違うのです。一部屋に昨日まで過ごしていた小屋が一つ入ってしまいそうです。
スケールが違いすぎる話にどぎまぎして、ツェフェリはそれを紛らすために、サルジェに目を向けました。
「さ、サルジェはどんな部屋で過ごしてるの?」
「え、俺?」
なんとなくではありますが、いきなりこんな一部屋だけでも広いところにぽつんと一人置かれるのは、ツェフェリとて不安だったのです。そこで咄嗟にしがみついたのが、半ば一緒に暮らしていたサルジェでした。
サルジェはなんとなくツェフェリの心情を読み取り、ついでにそこに他意がないことも読み取りつつ、頬を少し赤らめ、あらぬ方向を見てんー、と惚けたふりをします。
「お、俺は……別邸に住まわせてもらってるよ。狩人としての依頼結構来るから、すぐ出られるように……」
尻すぼみになってしまったのは、自分の言に続くツェフェリの言葉が予想できたからです。それを踏まえると、自分の発言が邪な思惑を含んでいるように思われて、恥ずかしくなったのです。
そこへ、ツェフェリが予想通りの宣言をします。
「じゃあボク、サルジェと一緒で別邸がいいです!」
「ほう?」
ツェフェリの発言を慎ましいと取ったハクアでしたが、直後にわかりやすくぼっと赤らんだサルジェの顔面焦土を見て、にたぁ、と笑います。聡明な地主さまは一瞬にして事態を理解したようです。
それに、別邸も屋敷より小さいと言えど、普通の一軒家が入るくらいの大きさです。二人で暮らすのには充分すぎる大きさと言えるでしょう。敢えて断る理由もないのです。弟子の初な反応が見たいとか、そんな思いはこれっぽっちしかありません。
ハクアは満面の笑みを浮かべ、ツェフェリに頷きました。
「よかろう。まあ、一人で住むには広すぎるからな。それに弟子同様、[仕事]をするには、街に近い別邸の方が何かと便が利く」
「えっ」
ハクアのしたり顔を見逃さなかったサルジェはハクアに自分の思いが悟られて弄られるものとばかり思っていましたが、予想と少しばかり違った台詞にきょとんとします。
ツェフェリもいまいち意味が掴めず、赤みの強いピンクの目を疑問に染め、ハクアに聞き返します。
「[仕事]ですか?」
「ああ。君とて今まで店を経営して生計を立てていたんだ。それに私は君を店ごと買いはしたが、別にただ飯食らいにするつもりはないぞ」
まあ、地主さまの脛をかじって生きていくなどということはツェフェリも考えていませんでしたが、さてはて、[仕事]とは一体。ハクアは絵師としてのツェフェリの腕前を買ってくれたのです。無関係な仕事をやらせるとは思いませんが。
ハクアがその反応を見て、ああ、と声を上げ、一人納得します。
「そうだそうだ、説明がまだだったな」
ふふ、と先程サルジェを見て浮かべたのとは異なる爽やかな笑みをこぼし、ハクアは二人をとある部屋へ案内しました。サルジェは見慣れたものでしたが、ツェフェリはその部屋の大きさにもまた目を剥きました。
「食堂なんかに来てどうするんです?」
そう、そこは大きな食卓に立派なテーブルクロスが引かれ、真ん中に花の生けてある食堂でした。食堂、という言い方ではあまりに凡庸が過ぎましょうか。椅子一つから柱の装飾に至るまで、研ぎに研ぎ澄まされた内装。それはツェフェリのいた教会など比にならないほど洗練されていて、比較的良いものを見て育ったツェフェリの目にも[素晴らしく]映りました。
息を飲んだツェフェリに目論見が成功したとでも言わんばかりに微笑むハクア。それから、まあ適当にかけたまえ、と主らしい振る舞いをし、ツェフェリの向かい側に座りました。
食堂……いえ、この広間の装飾に目を奪われているツェフェリを見、ハクアは苦笑しながら、懐を探りました。
「残念ながら、君に見せたかったのはこの広間の内装じゃないんだ」
そう聞かせながら、自らの懐から取り出したのは、これだけの財力を持つ地主の持ち物とは思えない、けれどどこか不思議と惹かれるものを感じるカードでした。
まあ、見たまえ、と差し出されたのを受け取り、ツェフェリはとりあえず枚数を数えてみます。
一、二、三、四……十……二十、二十一、二十二。そのカードは全部で二十二枚ありました。
二十二枚。ツェフェリには馴染み深い枚数です。
「タロットカードの大アルカナですか」
「そうだ。言ったろう? 私は占い師もやっているんだ」
確かに。サルジェがツェフェリにハクアを紹介したのもハクアがタロット占い師だからでした。しかし、これがツェフェリに与えられる[仕事]と一体何の関係があるというのでしょう?
「ふふ、私のアルカナだが、率直な感想を伺おうか」
「えっ」
いきなり試されているような質問に、ツェフェリはたじろぎますが、ハクアのにこやかさから察するに、本当に見たままの感想を聞きたいのでしょう。
一度は客間の提供について却下してしまった身です。何を畏れることがありましょうか。ツェフェリはえいや、と思ったままを口にしました。
「年季が入っている、と言えば聞こえは良いですが、絵柄が所々剥がれていたり、カード自体に傷みが見られます。カードだけを見たら、これが名占い師として名の通った方が使う代物とは思えませんね」
ツェフェリのあまりのばっさりとした切り口にサルジェは思わずうわぁ、と声をこぼしてしまいました。この街の地主であるハクアに、周囲の地主も顎で使えるような地位のハクアに、こんなにも歯に衣着せぬ物言いができる人物がいるとは、と驚いたのです。譬初対面であろうとも、ハクアが放つオーラには足も口もすくんでしまうであろうに。
しかし、言われたハクアは一切気を悪くした様子はなく、むしろ先程より乗り気になって話を進めていきます。
「ふむ、忌憚のない意見を聞かせてくれて嬉しいよ。どうもこの街の人々は私を畏れ敬って一線を引いてしまうからねぇ」
「そりゃ、一度地の底まで落ちた街を復興させた偉人ですよ。この街の小さい子ども以外はあの時代を経験しているんですから、師匠の偉業を称えるのは当然でしょう」
「だが、私は神ではないのだがな。元を正せばただの占い師でただの狩人だ」
「ただの占い師でしかなかった人が街起こしを成功させたんですから、そりゃたまげるでしょうよ」
「崇拝されるのは好かん」
ハクアの言にツェフェリは納得しました。勝手に神格化されて、期待を背負わされるのは快いものではないのです。それは[神の子]として崇められてきたからこそ共感できます。けれどこれは身を以て経験した者でないとわからないものです。
サルジェの過去について踏み入ったことを聞いたことはありませんが、ツェフェリやハクアのように実際より過剰に美化された経験はないと見て間違いないでしょう。だから今もいまいち腑に落ちないような顔をしているのです。
ですが、サルジェの言葉を読み解くに、サルジェも前地主に痛い目を見せられた世代ではあるようです。ハクアとはかなりフランクに接しているのですが、いかなるときもハクアを[師匠]と呼んでいることから、ハクアに対する尊敬の念は読み取れます。
それはさておき、といった感じで、ハクアは告げました。
「ツェフェリくんが評価した通り、私愛用のアルカナたちはもうぼろぼろといってもいい状態にある。そこでツェフェリくんに私から仕事を与えようと思っている」
「どういうことですか?」
「そのカードの[修繕]を頼めるかね?」
それはツェフェリが予想していなかった一言でした。どちらかというと、絵師としての仕事を任されるのなら[新しいカードを作ってほしい]と来ると思っていたからです。
ハクアは朗々と語ります。
「ツェフェリくんにはこの屋敷でアルカナの[修繕師]としてその腕前を遺憾なく発揮してもらいたいと思うんだ。何か異論はあるかね?」
ハクアのその言葉は場に緊張感を走らせました。




