タロット絵師の髪結い処
こんこんこん、と扉を叩く音がして、ツェフェリははっと居ずまいを正しました。少しぼーっとしていたので。お客さまだったらいけません。
と、思いましたが。
「なんだ、サルジェか」
「なんだとはなんだ、なんだとは」
現れたのは小屋の持ち主である狩人のサルジェでした。ここ一年で、随分はっきりとした物言いをすることができるようになりました。
「街から戻ったから顔を見に来たんだよ。繁盛してる?」
「だいぶ物は減ってきたよ」
[骨董屋 宿り木]の商品は確かにだいぶ減っていました。全盛期から比べると半分以下でしょうか。ツェフェリが商売上手なのか、はたまた[虹の子]のご加護なのかは神のみぞ知るところです。
[宿り木]はマニアの間では人気で、占い処に転向するために物々交換をなしにした今でも、客が来ます。もちろんきちんと現金払いです。ツェフェリはそれを貯金しています。こんな森の中で使い道なんてありませんからね。
しかし、相変わらずツェフェリには悩みがあります。
「この際サルジェでもいいよぉ~。タロット買ってー」
「でもとはなんだでもとは」
サルジェが盛大な溜め息を吐きます。けれど、この問題に関してはツェフェリも溜め息を吐きたいのです。
ツェフェリお手製のタロットカード。彼らはどこか威風堂々と、店の一番目立つところに鎮座していました。その姿は街の店のショーウィンドウに飾られている非売品のごときもの。
しかし、その見た目に反して、これは立派な売り物なのです。
「え、まだ諦めてなかったの?」
「だってー……」
ツェフェリはタロット絵師になりたいという夢を諦められずにいました。けれど、ご覧の通り、誰も買っていきません。
「なんでだと思う?」
「タロットの売られたくないオーラがすごい」
「えっ」
ツェフェリの作ったタロットは喋りますが、その話し声は普通の人には聞こえません。ですがそんな[普通の人]の括りに入るサルジェですらはっきりわかるほど、タロットたちの不満がひしひしと伝わってきているのです。
なんでしょう、[触らば切る]と言わんばかりのオーラなのです。それは客も怖くなって近づかないでしょう。
ツェフェリがわかっていない通り、近頃、タロットたちは不満の声をこぼしません。それは作ってくれたツェフェリの願いを思うからこそです。それでもやはり、嫌なのは変わりなく。そんな複雑な心境の中で、タロットたちはそこに佇んでいるのです。
「それに、このタロット売ったら、占い処開くときに困るだろ」
「また新しいの作ればいいもん」
「あのなぁ。作るって簡単に言うけど、そんなほいほいできるもんじゃないだろ。俺はよく師匠と一緒に見に行ったりするけど……同じ作者の新作なんて、半年に一回出ればいい方だぞ?」
「それはカードの処理に手間かけるからでしょ? 描くだけならなんとでもな……え、サルジェのお師匠さま?」
初耳です。サルジェにタロットと関わりのある師匠がいるだなんて。
「え、サルジェのお師匠さまもタロット占いやるの?」
「まあ、そこそこに名が売れているとは聞くな」
「えっ、じゃあサルジェお師匠さまへのプレゼントに!!」
「いや、師匠も本業は狩人だし、しかもあの街の地主だからな?」
占い手だからこそ、使うカードは自分で厳選するのだ、と師匠に語られたことをサルジェはツェフェリに伝えました。
「なるほどなぁ。ボク、今のカードたちしか知らないから、そこまで拘るなんて知らなかったよ」
「ま、仕方ないさ。ところで」
サルジェはさらさらとツェフェリの頭を撫でます。
「そろそろ髪切るか?」
「うん!」
ツェフェリはこの小屋で暮らすようになってから、よく髪を切るようになりました。以前は村で祀り上げられていたこともあり、髪を自由に切ることもできませんでした。
骨董屋を開く前に、サルジェに頼んだのです。ばっさり切ってみたい、と。
そうして今のツェフェリは少年にも見えるくらいの短髪で生活しているわけです。ツェフェリもこの髪型を気にいっており、サルジェに定期的に整えてもらっています。
サファリからもらったリボンは大切に仕舞ってあります。髪が短くなったことで、使い所がなくなったのですが、お守りだと思うことにしています。なんとなく、サファリのあの神秘的な雰囲気が幸運をもたらしてくれそうなのです。
「なあ、なんでタロット絵師に拘るんだ?」
髪を切りながら、サルジェがふと聞きました。サルジェからツェフェリについて聞くことは少ないです。ツェフェリは少し意外に思いながら、ぽつぽつと話しました。
過去に自分が[神の子]として村で祀られていたこと、祀られている身として、自分なりに何かしたいと思ったときに知ったのがタロットカードであったこと。……タロット絵師になる、と誓ったことを。
村を出てから一年と少し。目まぐるしかったわけではありませんが、今ではあの村が遠く感じられます。
「そっか。ツェフェリがツェフェリなりに出した答えなんだな」
「うん」
「いつか、報われるといいな」
サルジェの一言が穏やかに落ち、やがて、室内の音は髪を切るハサミの音だけになりました。
穏やかに緩やかに、時が過ぎていきました。