タロット占い師の大きな大きな夢
その日、サファリと父親はラルフの家に泊まることになりました。父は恐縮していましたが、街の宿屋に行っても安全とは限らない、とラルフに言われ、それもそうだろう、と引き下がったのです。
北の街は基本的に平穏な街ですが、それは地主と狩人の和合があってのもの。今、横暴な地主に狩人が反発し、その上旗頭が[宝石色の子]と宗教性が伴います。宗教が関わると人は悪い薬でも飲んだかのように暴走しやすくなります。ベルは比較的治安のいい街に滞在していますが、道中の街の全部が全部治安がいいとは限りません。サファリも危ない目に遭いそうなことはありました。
特にベルは黒人です。黒人差別は長年続く宗教的な差別であるため、狙われやすいことは明白。いくら比較的差別の少ない街とはいえ、今は余所者と一目でわかる人間への警戒を解くことはできないでしょう。
サファリの安全を考えれば、ベルはラルフの提案に否やはありませんでした。
「いつぞやの約束を覚えていたとはな」
「ハクターのタロットカードですか?」
どうやら、ラルフは単色の絵だけではなく、タロットカードを集めることにも執着しているようでした。どうやら、タロット占いも嗜んでいるようです。医者であることと言い、多芸な人物です。
ラルフのタロットは大アルカナと小アルカナの合計七十四枚と豪勢です。
「[宝石色の子]は精霊の声を聞くから、タロットに限らず、占いの的中率は高いんじゃ。それを知る者は[宝石色の子]に占いを覚えさせてずる賢く金儲けをしようとする。儂もそんな感じで覚えた。今はもうやっとらんがな」
サファリが首を傾げます。
「目の色がくすんじゃったから?」
ベルが無言でサファリを窘めます。それはあまりにも不躾な質問だからです。ベルは容姿で差別されている以上、容姿に関する言葉には敏感でありました。
[宝石色の子]は年を取るにつれ、その不思議の力を失っていきます。そうして力が完全になくなると大人からはいらないもの扱いされ、捨てられます。黒人に比べればましかもしれませんが、これもまた一種の差別でした。それをラルフに聞くというのは、古傷とはいえ、その傷口をつつく行為です。
ただでさえ、顔の色が濃いために威圧感というか圧迫感の強いベルがじろりと睨んでみましょう。その恐ろしさはそんじょそこらの子どもなら、あっという間に逃げていってしまうものです。
「これこれ、ベル。良いんじゃよ。子どもの好奇心というのは無理に抑え込むものではない」
「そうでしょうか。分別をつけさせるのも教育だと思います」
「それもそうじゃが、お前さんの顔はちと怖すぎる」
言われて、ベルははっとしました。サファリは父に対して恐怖を抱くことはありませんが、その表情を冷たいと感じるのでした。
ベルは穏やかに微笑むことはできますが、心から笑うことはできません。そのため、無表情であることが多いです。だから、温かい表情をすることはそもそも少ないのです。ただ、これまでサファリという子どもを怖がらせないように、自分の内にある冷たい部分を表に出さないようにしていたのでしょう。
父と気まずくなんて、なりたくありません。
「お父さん、ごめんなさい」
「違う、サファリ。謝るなら先生に、だ」
「えと、先生、ごめんなさい」
「ほっほっ、良い良い。ベルもちゃんとお父さんができているようで安心したわい。……して、儂の目の話じゃったな。サファリは知っておった方が良いじゃろう」
そうして、ラルフは決して快くないであろう過去の話を語らいました。
ラルフはサファイアの目を持つ[宝石色の子]でした。髪は青みの強い黒髪だったそうです。ハクアほどではないにしろ、[宝石色の子]としては強い力を持っていました。
「西の果てに近い街の生まれでの。随分と崇められたものだが、西の果てまで行くと、砂ばかりの地が多く、肌の黒い人間の比率の方が多くなる。つまりは黒人が白人より発言力が高いことがあるんじゃ。その中で白人の[宝石色の子]はどう扱われると思う?」
「まさか、こっちとは反対に、虐げられるの?」
サファリが目をまんまるにして驚くと、ラルフはほほ、と短く笑いました。
「そこまでは行かんよ。ただ、生き延びるのに必死な人間は、他人を利用して、踏みつけにすることが得意じゃ。儂のいた街の黒人はちとずる賢くての。儂を利用したんじゃ」
占いに手品、踊りに歌に、と[宝石色の子]を見世物にしたのです。ラルフは別に、占いも手品も踊りも歌も楽しかったので、苦ではありませんでしたが。
見世物にされた自分に、コインが与えられるのはいい気分でした。けれど、そのコインのほとんどはラルフを管理する黒人に搾取されます。
「しかし、悪行は長く続かぬものでな、とある権力者の白人の耳に儂の噂が入って、儂を管理していた黒人は白人に連れて行かれた。儂は嫌じゃなかったし、黒人のことは嫌いじゃなかったがの。……それから、儂は白人に保護され、紆余曲折を経て医者になった。目の色が濁ってしまったのは、黒人と離ればなれになった直後のことじゃ」
目の色がくすんで、ラルフの力が衰えることはありませんでしたが、保護した白人たちはそれを見てラルフが能無しになったと判断したようで、すぐ外に放りました。
ずるくても、賢い者たちに育てられたラルフは白人たちがそう望んだように能無しのふりをして過ごしました。そうすれば自由になれるとわかったからです。ラルフは自由になって、やりたいことがありました。
「黒人差別の根絶じゃ。夢のまた夢じゃと笑われたよ。じゃがな、夢は夢物語と笑われるくらいが果たし甲斐がある。儂の夢を笑ったやつらは、もう生きているか死んでいるかわからん。儂を飼っていた黒人に至っては、あの後すぐに処刑されたかもしれん。じゃが、儂の大いなる夢は叶いつつあるよ。かなり気の長い話じゃがな。これでも、黒人差別は昔より良くなったんじゃ」
「そうなの?」
父は命を狙われたりしているので、サファリは驚きというよりも、疑いの目を向けました。するとするりと頷いたのは父でした。
「俺が世界中を旅して、黒人なのに[ベルの行商人]なんて名声を得ているのが何よりの証拠だ。かつての黒人は、名を持つことすら許されなかったからな」
生まれてきた赤子が黒人だったのなら、そのまま産み捨てることさえあったほどです。ですから、旅に出るまで家の中でベルが過ごせたことすら奇跡に等しいのでした。
それはラルフの人生を賭けた壮大な計画なのです。普通の人なら、すぐに成功を目にしたいことでしょう。けれどラルフはこつこつこつこつと、医者になり、自分の名声を高め、権力を得ることで、計画を確実なものにしていったのです。
それでも途方もない年月がかかりました。けれどラルフにはまだまだ計画のその先が見えているようです。
「根絶は生きているうちに叶わんでも、儂はこの思想を繋いでいく。それがいつかは肌の色でも目の色でも、人を差別せず、区別しない世界に繋がっていくと信じておる」
その目は確信に満ちていました。サファリにはラルフの見ているものがなんとなくわかります。それはラルフの意志が精霊を通じてサファリにもわかったからです。
ラルフの壮大な計画、ともしたら、自分の人生以上の時間がかかるであろう計画を確実に果たそうとする邁進と慧眼。それは年の功であり、ラルフが今でも精霊の声を聴けるからこそのものでした。
「だから、お前さんらは、仲良くしていておくれ。儂の願いが叶いかけている。その証明じゃからな」
ラルフがそう笑った夜でした。