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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット売りの占い処
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タロットと肖像

 ぽた、ぽた、とフィルターを通った黒い液体が、落ちていきます。サファリはそれを興味深そうに眺めています。

「かなり利発そうな子じゃな」

「ええ。進んで手伝いもしてくれて、助かっています」

「しかしまあ、お前さんが子持ちになるなど、想像もしなかったなあ」

 サファリはおや、とラルフの言葉が気になりました。けれど、疑問が頭の中で形を持つ前にぽた、とまた一滴落ちたので、気がそちらに逸れます。

「子育ては大変じゃろう。子どもは体調を崩しやすいからな」

「数少ないお医者さまたちを頼れるのも、先生のお力添えあってのことです。ありがとうございます」

「なんの。こちらこそ、せっかくこんな果てまで訪ねてくれたのに、大したもてなしもできなくてすまんのう」

「いえ。ここに来る前、[北の街]の噂は聞いていましたから」

 地主が横暴なこと、それに民たちが歯向かっていることまではベルの情報網で知ることができました。まさか反乱の先導をしているのが、サファリほどではないにしろ、いたいけな少女だとは、思いも寄りませんでしたが。

 それに、ベルはラルフと縁あって知り合いで、互いにどんな気質をしているか、ある程度知っていました。生き上手のラルフなら、混乱の中でも強かに過ごしていることだろう、と信頼して、ベルはラルフの元を訪れたのです。

 もちろん、ベルは商人でラルフは収集家。用件はそれだけではありません。

「先生好みそうないい絵が入った」

「ほう、どれどれ、見せておくれ」

 そう、ラルフは絵画収集家ですが、ちょっと独特な嗜好を持っているのです。サファリが父の仕入れた絵画を見た第一印象は、こんな絵画が売れるのか? というものでした。けれど、父はそれを先生への土産だと言いましたから、誰よりも信じている父のことをサファリは信じました。

 ベルが荷車から、少し大きめの絵画を持ってきます。ラルフの前で立て掛けると、保護布を取り払いました。

 そこから現れたのは、緑緑緑。少しずつ色に差違はあるものの緑ばかりで描かれた絵でした。狩人が森でうたた寝をしている絵です。どんな絵かわかる程度に緑の絵の具を使い分けられており、髪の一筋一筋にまで異なる色合いを細やかに配分した芸術作品です。

 ただ、パッと見は緑一色の絵なのであまりぱっとしない印象なのですが、ラルフの反応は非常に良いものでした。

「おおっ素晴らしい。森の木々の葉の色一つ一つまで……いや、光の透け具合などを表現するために絵の具の種類まで使い分けておるな。油絵の具と水彩絵の具。贅沢な絵じゃのう。しかも筆も細かく使い分けされておる」

「さすが、先生はお目が高いですね」

 どうやら、ラルフは絵画収集家は収集家でも、一色だけを用いた絵画をよく集めるのだそうです。父はまだ先生は緑の絵は持っていなかったから、と緑の絵を用意したのでした。

 単色絵というのは不思議なもので、その色の印象があるだけではなく、きちんと細やかに気遣いや技巧で[違う色][他の色]に見えるのです。このうたた寝している狩人も、もちろん髪の毛も緑で塗られているのですが、濃いめの緑が重ねられていて、黒髪や茶髪などに見えてくることがあります。着ている服もただ緑なのではなく、淡い緑を使ったり、淡い緑でも緑の絵の具に白い絵の具を混ぜた淡さと水で緑の絵の具を極限まで薄めた淡さとを使い分けて、色のむらを作ることで、服の模様や細かな装飾までわかるようになっています。

 木の幹も緑で塗られているはずなのに、きちんと木の色に見えますし、幹を這う亀裂まで丁寧に刻まれています。周囲の草花は筆の使い分けが見事で、おそらく植物図鑑と参照して何が描かれているかわかるくらいに詳細に描き込まれています。この一枚を描くのに、どれだけの時間を割き、どれほどの集中力を要したか、想像もつきません。

「せせらぎの街のハクター作です」

「うむ、ハクターか。あれは墨絵が好きだったな」

 どうやら、ハクターというのが作者のようです。

 墨絵というのは、絵の具ではなく、墨という通常筆で文字を書くときに使うインクで絵を描くという文化です。和紙、半紙と呼ばれる特殊な紙に描くことが多いことでも知られます。ハクターがせせらぎの街と呼ばれる場所に住んでいるのは、近くに水の綺麗な川があるからです。綺麗な水に墨を溶くと、綺麗な黒色になるのだとか。あと、水が綺麗なところだと、半紙も生産しやすいのだと言います。

 画家のハクターについてはキャペットのところでサファリも知りました。本に載るくらい有名で腕のある画家です。本には朱筆という赤い色も使った作品が載っておりました。ただ赤と表現するには明るい色合いでオレンジに近い赤は朱色と呼ぶのだそうです。ハクターの名作として有名なのは墨と朱筆を使った夕焼けの絵ですね。誰にも真似できないので、下手な贋作すら出回りません。

 本に載っているような有名人と父が知り合いであることはサファリには誉れ高いことでした。それだけ父の人脈が広いということですから。

 人脈が広いということは、それだけ人に好かれているということです。残念ながら接頭語として[黒人にしては]というものがついてしまいますが。

「ふむ、して、いくらだ?」

「銀貨二百枚ほど」

「金貨にした方が早くないか?」

 銀貨二百枚は金貨二枚に相当します。がこれにはこれで理由がありました。

「小銭がなくてですね……いつも安宿に泊まるものですから、金貨を出すと騒ぎになるんです」

「もう一人でないのだから、安宿になぞ泊まるなや」

 ラルフがベルを叱りました。そのお叱りは真っ当なものです。ベル一人で旅をしていた時代は安宿だろうが雑魚寝だろうが、なんでもよかったのですが、今は子どものサファリがいます。ラルフは暗に、子どもに気を遣わせるな、とベルに言っているのでした。

 サファリは気なんて遣っていなくて、むしろ安宿の狭いベッドの方が、父の近くで眠れていいと思っていたくらいです。

 ラルフは渋面を浮かべます。

「まあ、黒人のお前がそれなりの宿を取ろうとすると吹っ掛けられるのはわかるが、子どもを健全に育てたいなら、少しは良いところで寝かせるか、どこか定住地を決めろ」

「定住はしません。俺は一部の過激派から命を狙われている身ですし、サファリをそんな危険に巻き込みたくありません」

「……あー、そうじゃったそうじゃった。お前は家族がまず過激派じゃからのう」

「すみません、遅くなりました」

 会話に凛とした少女の声が割って入りました。その場の空気が澄み渡ります。ハクアがシンプルな衣装に着替えてきたのです。それは白いワンピースで、花柄のレースがありました。

「綺麗なお洋服……」

「ああ、この街には[ミニョン]って服屋があってな。ハクアはあまりにも洒落っ気がないものだから、そこの看板娘に見繕ってもらったんじゃ」

「首から緑色の石のネックレス提げたらもっといい感じかも」

「お?」

 サファリが父を仰ぐと、父は黙って頷きました。それからサファリは外にある荷車の方へ行き、ネックレスを持ってきます。

 緑色にちらちらと華やぐネックレスはハクアの紫と非常に合っておりました。

「おお、センスがあるのう!」

「……お洒落かはわからないが、落ち着く」

 まるで最初からそこにネックレスがあるのが正しかったかのように、すとんと収まりがよくて、ラルフもハクアも感心しました。

「宿代にはもう十分すぎるほどもらったのう。して、ベルや。我々に何か望むことがあるのか?」

 ラルフの問いにベルはすとんと頷きました。

「ハクターがハクアの肖像画を描きたい、と」

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