タロットのその向こう
近くで見て、ハクアと呼ばれた少女が紫色の髪をした紫色の目を持つ紫色の少女であることを知りました。それでサファリは察します。
「[宝石色の子]……」
「ほお、知っておるか」
「外じゃかなり話題になっていますよ」
サファリを庇うように立ち、父はハクアを見ます。
「[北の街]の横暴な領主に立ち向かう果敢な[宝石色の子]の少女の話。噂に違わぬ麗人のようですね」
「ほっほっ、さすがは[ベルの行商人]、情報収集に抜かりないな」
森を歩きながら、ベルとラルフが話します。サファリはきょとんとして話を聞いていました。
どうやら、ベルがサファリに話していた[北の街の何か良くない噂]に関わりがあるようです。弓矢を下ろしたものの、ハクアから放たれる警戒の意識がサファリの肌にびりびりと伝わってきます。
このハクアという少女、普通とは違います。サファリはそれを心や体で理解していました。感覚的で言い表すのは難しいですが、ハクアの雰囲気に周囲の空気も瞬く間に染まっていくと言いますか……
キャペットのところで読んだ本には[宝石色の子]というのは[精霊]もしくは[妖精]と呼ばれる存在との繋がりが強いようです。精霊は人の目に見えないだけで、そこら中にいて、精霊の気質がその場の雰囲気に呼応します。
精霊は基本自分の気質や性分を貫きますが、精霊のことを感じ取れる人間がいれば、そちらに流されることもしばしばあります。そんな精霊のことを感じ取れる人間というのが[宝石色の子]だというのです。
その点ではまさに、ハクアは[宝石色の子]と言えるでしょう。鮮やかな紫は紫水晶の色、そのぴんと伸ばした背筋から伝わってくる凛とした雰囲気が周囲の空気に伝播しているのをサファリはひしひしと感じます。精霊がハクア一人に右往左往しているよう、と言いますか……ハクアの放つ洗練されたオーラに精霊たちも緊張しているようです。
「それにしても、面白い息子を作ったのう。宝石色より稀な[大海の子]じゃないか」
「……容姿は母親に似たのかと」
サファリは母親と瓜二つだ、と父がサファリに母親のことを話すときに語ります。母親は雲のように白い髪を長くして、海の中で揺蕩うような色の目をしていたのだとか。纏う雰囲気もサファリと似ていたのでしょうか。
「ほう、その母親とやらは?」
「死別しました」
サファリはがん、と頭を鈍器で殴られたような心地がしました。けれど、薄々勘づいていたことです。父は母の話をあまりしたがりませんから。話したくない理由、父が男手一つで子どもを育てる理由の最もあり得る理由として挙げられるのは、やはり母との死別です。
医学が発展していなくとも、女性の出産に関わることの知識だけは世界中に広まっていて、出生率はそれなりに高いです。ただ、赤ん坊が生きて生まれる率が高くとも、母親も無事であるということは少ないです。体が元々弱かったり、お産のときに出血が多かったり、死産したりすると母親が死んでしまうことがあります。
命を生むのは命懸けなのです。このように、サファリが生まれると同時、母親の命がなくなったのだとしたら、父はどんなにつらかったことでしょう。けれど、そのつらさをおくびにも出さず、更にはサファリに心配をかけないように、と母親のことについて深く語らないできたのです。
やはり、この父の子どもとして生まれてきてよかった、とサファリはちょっぴり誇らしく思います。自分は愛されているなあ、と感じて、満たされた心地になります。
母親が既にこの世に亡い人なのは残念なことですが、衝撃を受けたのはほんの少しのことで、サファリには父親がいるだけで充分でした。
「なんと……お悔やみ申し上げるよ。さ、北の街の門が見えてきた」
ラルフがそう示すと、大きく立派な門が見えてきました。その向こうは賑わっているように感じます。
「この北の街は広大な森に囲まれておる。その森を管理するために狩人が存在し、狩人の中でも優れた才覚を持つ者は[北の守護者]と呼ばれ、北の街と森を守る欠かせない存在となっておるのじゃ。ハクアはまだ見習いだがの」
ラルフが説明しながら門を潜っていくのに続きます。すると、街の衆はハクアの鮮烈な紫色を見た瞬間に喝采を上げました。
「ハクアさまおかえり! 怪我はないかい?」
「森の様子は変わりなかった?」
「今日もお仕事お疲れさま。ほら、疲れの取れるジュースだよ」
「おや、いつもと毛色の違うお客さんだね」
北の街の人たちは辺境にも拘らず、偏見を持っていませんでした。黒人であるベルのこともおおらかに受け入れてくれます。道中、色々な土産物を持たされ、荷車から溢れそうになりました。
ハクアやラルフを伴っていとのも大きな理由であるようです。ラルフは医者として顔が広く、その声色の通り、人柄も良いので、街のみんなに好かれています。一方ハクアはラルフよりも熱狂的に信望されている、といった印象でした。通りすぎるハクアを拝む人や、ハクアに首を垂れる人はたくさんいました。
ラルフに案内されて着いたのは、診療所という看板のある木造の建物でした。木材の素の色が生かされていて、建物全体が温もりを持っているように感じます。木に囲まれている、という点では森と同じはずですが、何故だか森より建物の中の方が安心できる気がします。
「ほほ、繊細な子じゃの。森の妖精と街の妖精は持つ気質が違うからのう。木材に加工されて街で使われてもそこから離れない精霊というのは、人間のことが好きなんじゃ。だから人の傍にいるために、人に居心地よくしようとする。そんなほんのちょっとの心構えの違いが空気を変えておるんじゃよ」
どうやら、ランドラルフはハクアの面倒を見ているだけあって、[宝石色の子]と精霊の繋がりなどに詳しいようです。精霊の生態についても理解が深いようですね。
「ほれ、ハクア、そろそろきちんと挨拶したらどうだ」
ラルフに促されて、ハクアはようやく名乗りました。
「狩人で守護者見習いのハクアと言います。先ほどは申し訳ございませんでした。精霊たちの気が私以外に逸れるなんて、初めての経験だったので……」
「弓矢を向けたことをちゃんもと謝りなさい。ベルに」
ハクアはベルにおずおずと頭を下げました。ベルは短く「気にしていない」と伝えます。
ハクアの言い様から察するに、ハクアという存在は精霊への影響力が強く、ハクアは自分と精霊の繋がりを絶対的なものだと思っていたようです。そこにその繋がりを妨げる何者かが現れ、先ほどの警戒心に繋がるのでしょう。
おそらく精霊の存在に干渉したのはサファリなのですが、揺らがぬ心でずいずいと寄ってくるベルの強い意思にハクアは勘違いしてしまったのでしょう。無理もないことです。
「悪いね。噂通り、今ハクアとここの地主が一触即発状態で、どうしてもぴりぴりしてしまうんじゃ。儂は高見の見物じゃがの」
どうやらお金にがめつく、民を苦しめる地主とハクアは対立関係にあり、苦しむ民のほとんどがハクア派なので、地主のハクアへの当たりがきつくなっているのだとか。事は思ったより深刻なようです。
そこから親子で、北の街の現状を軽く話されるのでした。