タロット売りの父親
サファリは拾われ子でした。
父がサファリの母親に会ったのはサファリを託された一度きりで、詳しいことは知らないのだそうです。けれど、サファリの母もサファリと瓜二つのように美しい容姿の持ち主で、一度会ったら忘れることのできない海色の目をしていたと言います。父親が誰かはわからないそうです。
「母は治安の悪い街で娼婦をしていたそうです。それで、子どもを産んでしまったので、恨まれて、殺されそうだったところで、父さんと出会って、僕を連れて逃げてほしい、と言ったのだそうです」
「治安の悪い街……先ほどの男が言っていたのと同じか?」
「おそらく。僕は全然わからないんですけどね。思えば、父さんはわざとその街に行かないようにしていたのかな? 母さんがそういう理由で殺されたとしたら、子どもである僕も狙われていてもおかしくないです」
命を狙われているのもあるでしょうが、サファリの父親が誰かということでも争いが起こりそうです。何せ母親がサファリと瓜二つの顔で娼婦をしていたのですから、誰の子かわからないならば、客である者なら誰でも手を挙げたことでしょう。
「母さんは死にかけの状態で、父さんにすがりました。父さんはそんな母さんを荷車に乗せて、街を出たんです。母さんは助からなかったけど、僕をキャペットさんのところに預けて、遠いところに埋葬したとか」
「そ、壮絶だね……」
カードたちの中から声がします。このいたいけな男の子の声は[太陽]のものです。
タロットのみんなはほとんどがサファリとサファリの母の過去に言葉が出ないようでした。
「僕の覚えていない時期……赤ん坊の頃の父さんの子育ての話は面白いですよ。父さんは生涯独り身を貫いたし、元々黒人のせいで、恋仲に発展することもなくて。だから子育ての経験なんてなくて、キャペットさんに何がいるか聞いて、もう薄らいだ自分の兄弟の世話をしていたときの記憶をほじくり返して、赤ん坊の僕の世話をしたんですって。父さんはあまり話してくれなかったけど、キャペットさんは時々育児を押しつけられて大変だったって、今でも文句を僕にぶうたれるんですよ」
「だから時々、キャペットのところに行くの?」
サファリは旅の途中で名前を聞いたら、キャペットに会いに行くようにしています。サファリがある程度自立するまでは母代わりをしてくれた、というのもありますが、サファリにとって、キャペットは母というよりは親戚のおばさんといった感じです。
「僕がキャペットさんと会うのは、[ベルの行商人]と[キャペット道端図書館]の交遊を続けていくためですよ。父さんは先代のキャペットさんの頃から付き合いがあるんです」
「改めて思うけど、サファリもサファリのお父さんもそこそこ年いってるんだよねってエピソードだね……」
そうです。サファリはさもツェフェリと同い年であるかのように振る舞っていますが、全然そんなことはありません。サファリはどこか人の理である[老いる]という現象から外れた存在でした。実際、ツェフェリとは生きた年数が違います。すると、そんなサファリを育てたサファリの父もそれなりの年齢だったということになるのです。タロットたちは今代のキャペットに会ったことがあるため、血は繋がっていなくとも、親子して全然老けないのだなぁ、とタロットたちは妙な感心がありました。
もしかしたら、サファリの母も、老けない美人だったのかもしれませんね。それもこれも、生きていれば、の話ですが。
「母さんのいた街に行けば、僕の本当の父とやらに会えるのかもしれませんが、僕にとって、本当の父は育ててくれた父さんだけです」
「サファリ……」
「さーちゃん……」
サファリの声音は力強くありましたが、タロットたちはその手から気が沈んでいるのを感じ取り、悲しげな声でサファリの名を呟きます。
タロットたちの喋っているこの声というのは、精霊のようなものです。故に、声色の他に気配や雰囲気というものを敏感に感じることができるのです。
だから人間からすれば[心を読む]と捉えられる芸当もできます。タロットたちを手にするサファリの手からは、様々な葛藤が受け取れました。
本当は、サファリだって父親の死が悲しくて仕方ないのです。けれどサファリは嘘吐きだから、商いのために笑顔を満面に浮かべて、飄々とした佇まいでいます。感情と表面のギャップが、時折一致したときに表れるのが、占いをするサファリのミステリアスな雰囲気に繋がっているのです。
サファリは弱音を吐きません。
「僕が父さんの仕事を継ぐことに、父さんは抵抗があったみたいで、僕が父さんを継いで行商人をするんだ、と夢を語ったとき、実の子じゃないって言われたんです。そんなことを、父さんに明かさせてしまった。僕の人生に悔いがあるとすれば、それだけです」
「……そんな、近くに死んじゃうみたいな言い方はよしてよ。縁起でもない」
[太陽]の言葉にサファリはふっと笑います。その笑い方はお客さんの前では絶対にしないものです。自虐めいた笑い方。
「そう簡単に、死にませんよ」
まあそうだろうな、というのがタロットたちの総意です。縁起でもないとか言いましたが、タロットたちの中ではサファリは殺しても死にそうにない、という共通認識があります。時々背中刺されそうな振る舞いをするサファリですが、絶妙に人を味方につけているので、殺せないでしょう。
それに、サファリ自身はああだこうだと悩んでいるようですが、サファリはもう立派な商人、[ベルの行商人]の看板を背負うに相応しい人物です。それはサファリが認めなくとも、他のみんなが認めています。多数決は数の暴力という声もありますが、キャペットだって、ヴェンだって、ラルフだって、ハクアだって、ツェフェリだって、サファリを信頼しているから託すのです。
サファリの小さな体では、背負うのは大変かもしれませんが、サファリはその体格に恵まれなかったことを打ち消してあまりあるほどに強かな少年です。そうでなければ、ツェフェリに宣誓した通り、商いをすることなんてできないでしょう。
どんな事情を抱えていようと、どんなに小憎たらしかろうと、サファリはツェフェリの夢を叶えてくれた恩人です。最初は抵抗のあった[悪魔]なんかも、サファリのことはもう一人の主として認めています。
代表して[女帝]が告げました。
「主よ、あの幼女が言っていた通り、主もたくさん話すと良い。誰がいなくとも、我々が聞いている。お前の父や母にはなれないが、我々が主の手の中で生きていることを忘れるな。主が占いを続ける限り、我らを使い続ける限り、我らは主と共にある」
「サファリおにいちゃんも、つらいことやくるしいことはおともだちにはなすんだよ」
ジェニファーの言葉がサファリの脳裏に蘇りました。
サファリには今まで、父しかいないような気がしていました。それだけかけがえのない存在である父が死んでしまって、サファリは商いをすることで、父の存在を感じ、心を支え続けてきました。どんなに人に好かれても、笑顔を振り撒いても、サファリはずっとひとりぼっちのような気がしていたのです。
でも、違います。少なくとも、今は違いました。
サファリは再び笑います。今度は柔らかく、てらいなく、微笑むように。
「そうだね、君たちがいる」
大切なものを入れた宝箱を鍵を開けて、丁寧に中身を取り出すように、サファリは告げました。
「じゃあ、ちょっと聞いてもらおうかな。今日はこの辺で野宿をするから、僕と、僕の父さんの話を」
それは長い長い物語のようでいて、大自然的存在である精霊たちからしたら、瞬き一つ分のような、壮大でなんでもない人生でした。