タロット絵師と出会う前
「サファリ、大事な話がある」
サファリの父がそう言ったのは、サファリが父の仕事を手伝うようになり、自然と、将来は父の跡を継いで行商人になるのだろう、と考えていたときのことでした。
父は男手一つでサファリを育ててくれました。母のことについては気になりましたが、貧民街に行くと、片親がいれば良い方で、最悪の場合は両親がいなくて、齢十もいかない子が赤ん坊を育てている、なんてこともあります。それに、[ベルの行商人]は旅から旅への根なし草です。女の人が山を越えたり、森で野宿をしたりするのは大変だろう、とサファリは理解していました。その辺りがサファリに母親がいない理由だろう、と当たりをつけて、納得をしていたのです。
そう、サファリはそうやって、自分の身の上を嘆かず、飲み込むことができるくらいには、年嵩を重ねておりました。
だから、父は話す気になったのでしょう。
「俺はお前の本当の父親ではない」
……心のどこかでは、わかっていたことでした。
黒人差別を始めとし、この世界にはたくさんの差別が存在します。その多くが容姿に依るものです。父にも母にも似ていない子が、拾われ子だとか捨て子だとかからかわれている様をサファリはいくつも見てきました。そんな子どもを止めに入ると、サファリも指を指され、笑われました。
「お前だって、あの黒人をお父さんお父さんって呼んでるけど、絶対血なんか繋がってないって! 蛙の子は蛙! 黒人の子は黒人に決まってるだろ! なんであんな黒人の中でも真っ黒な肌したやつの血を引いた子が、こんな綺麗な真っ白な肌して、真っ白な髪をしてんだよ! 目の色だって、全然似てねえ! お前は[お父さん]に騙されてるんだよ。黒人だからお嫁ももらえない黒人が、家族ごっこをするために拾った子ども役の子なのさ! ぎゃはは!」
サファリはそんな心無い指摘に、泣きも喚きもしませんでした。そんな子どもの論理で挫けるほど、サファリの心は簡単ではなかったのです。
家族ごっこだろうとなんだろうと上等です。サファリにとって、家族が父一人であることに何ら変わりはありません。血の繋がりなんて二の次です。大切なのは一緒に過ごしてきた時間、どれだけ大切にされてきたかという事実、そこにある愛です。
無視を決め込むサファリに苛立った子どもが、サファリに手を上げます。サファリはそれを黙って受けました。それでもサファリは何も言い返しませんでした。
それが美徳だからではありません。事実、血の繋がらない父親であろうと、サファリは自分を育ててくれた父のことが大好きだからです。誰に貶されても、打たれても、その事実は変わらないからです。
けれど同じように、父が黒人であることも変わりません。黒人の中でも黒い肌を持つ、というのはサファリも実感していました。差別から逃げてきた黒人たちが小さな村を作って暮らしているところに行ったことがあります。そこで他の黒人と、父とを見比べる機会がありました。同じ黒人でも、肌がただ黒いんじゃなく、赤茶けていたり、褐色だったり、少し黄色みがあったり、と色々あるのです。そんな中で、サファリの父は髪も肌も目もひときわ黒いのでした。
それをサファリはすごいと思いました。感動しました。サファリには黒人がどうの、白人がどうの、という偏見がなかったからかもしれません。自分の父が一番、ということに、ひどく感動したのです。
誰かに指摘されても、痛くも痒くもなかったのに、サファリは、何故か父にそう言われて、ちくりと胸が痛みました。
父は続けます。
「俺は確かに、お前を今まで育ててきた。時々商いの手伝いもさせた。知り合いに顔繋ぎもしている。だが、お前と俺に血の繋がりはない。だから、お前の将来のこと、選べる選択肢を、俺を理由に狭めるな」
父は別に、サファリを遠ざけようとしているのではありませんでした。ただ事実として、サファリに伝えたのです。
「親の稼業を継がなければならない、なんて古い考え方だ。それでもその主義を尊重しようというお前の心構えを否定したりはしない。だが、俺はお前の本当の父親じゃない。だからその主義主張で継ごうと考えているのなら、それは見当違いな考えだ。それに、お前には選択肢がたくさんある。俺と違って」
ずきずきとサファリの胸や頭が痛みます。それを歯を食い縛って耐えました。
黒人である父は、選択肢以前に選択権がありませんでした。それを自分の足を使って名前を広めて、客からの信用を勝ち取り、[ベルの行商人]として世界に名を轟かせるに至っているのです。並大抵の努力では成し得ないことでしょう。ですが、並大抵の努力で足りないということは、泥を啜り、土を食むような経験もあったはずです。彼は黒人。その見た目だけで、いくら仕事ができても、帳消しにされるくらいの足枷となるのです。
対して、サファリはどうでしょう。白い肌に白い髪。美しい容貌を持ち合わせています。それだけで、父とは逆にどんなに仕事ができなくても、そこにいるだけで重宝される存在です。場所が場所なら神様にだってなれて、全ての決定権がサファリに委ねられることすらあるでしょう。
黒人というハンディキャップを物ともしないサファリの父の商才や慧眼には、サファリの持つ不思議の力さえも見えていたのでしょう。その力はいつだってサファリの味方です。それなら、もう父の庇護がなくても、サファリはどんな道にも進めますし、進んだ先で転ぶことはあっても、幸せになれる、と感じ取っていたのでしょう。
だからサファリには、もう父役は必要ない、と思って、サファリの父は半ば明らかだった事実をサファリに告げたのです。
告げられたサファリは、折檻なんて受けたことがないのに、それを受けたくらい、ずたずたのぼろぼろにされたような感覚に陥りました。目には見えない傷が次から次へと心臓を蝕んで、呼吸を忘れてしまうのではないか、というほどの苦しみが喉元まで上ってきたのです。
サファリは落ち着いているようで、まだまだ子どもでした。親に甘えることなく、利発に育ったために、まだ愛というものの形を手探りで探している途中の子ども。知識や知恵があって、子どもには見えなくとも、サファリの心は幼さを奥に秘めているだけなのです。
父の傍にいることはサファリなりの無意識の甘えでした。というか、父しか甘える先を知らない子で、人に甘えたり、媚を売るのは自分に実利のあるときだけにしていたのです。
変に利口だったので、サファリは父から出た[血の繋がりはない]という言葉を突き放されたのだと感じました。[もうお前はいらない]と言われたように勘違いしたのです。なまじ頭が回るものですから、そう言われたのではない、そういう意味ではないことは、頭では理解できていました。けれど、頭の理解に心が追いつかないのです。こんなことは、初めてでした。
「サファリ?」
黙り込んでしまうサファリの名を呼ぶ父の声は父親らしく[心配]を多分に含んでおりました。だから尚のこと切なくなるのです。サファリは泣いてしまいそうな自分の気持ちに戸惑っていました。
血の繋がりというのは、容姿に何らかの共通性を持たせます。サファリが父に似ても似つかないことは随分昔からわかっていたことです。だからサファリは[父と血の繋がりはないかもしれない]と覚悟はしていました。
ただ、いざ、本人から突きつけられて、サファリは混乱しました。自分の予想を自分で越えてしまいました。こんなに困惑するなんて、こんなにその事実を受け入れたくないだなんて、思いも寄らなかったのです。
けれど、長い沈黙の中でサファリは心を落ち着かせました。父が名前を呼んでくれたのに反応できないほど、混乱を極めていましたが、落ち着きを取り戻すと、サファリはいつもの静かな眼差しを父に返します。
「血の繋がりがなくても、父さんは父さん一人だよ。商人をやりたいのは父さんが商人だからじゃなくて、商人をやっている父さんに憧れているからなんだ」
「ああ」
父が穏やかな声で頷く。口数の少ない父の森の息吹のような深くおおらかな声色を聞いて、サファリの頭はすっと落ち着いてきた。
「だから、今一番やりたいのが商人で、父さんの手伝いをしてる。でも、父さんが言いたいこともわかった。商いをする以外にも、僕ができること、やって楽しいことはあるかもしれない。だから、探しながら、これからも一緒に父さんと旅をしたい。父さんの傍にいたい」
できるのなら、ずっと、と言いそうになったのはやめました。それは望んでもいいけれど、口にしたら後戻りはできない言葉です。後戻りなんて、できなくてもよかったのですけれど。
「わかった。お前の思うようにするといい。俺は見守っている」
そう言って、父はサファリの頭をさわさわと撫でました。その大きな手に撫でられるのが、サファリは大好きでした。
それではいつまでも子どもみたいだ、とサファリは笑います。
でも、子どもみたいだ、と言われてもよかったのです。父のことが、サファリは大好きですから、そのことが父にいくらでも伝えられるのなら、サファリはずっとずっと、子どもでいたっていいのです。
それがサファリの幸せでしたから。