1-#3
セシィアは火のついた刀を振り回しメタルドールを威嚇する。
ナィンはセシィアが本気を出して戦うのを見てうなずくと目の前のメタルドールと、丸腰で対峙する。
メタルドールはどうやら家の中にあった銛を持ってきたようだった。
銛には一度刺したら抜けないように返しが付いている。
すぐ横でセシィアが三体のメタルドールを屠っている。
切り口が燃え上がっている。
断ち切ると言うより焼き切ると言う方が彼女の戦い方にはふさわしいだろう。
ナィンは目の前のメタルドールから目をそらすことなく自分のダガーの位置を確認する。
「ブキハトラセナイ」
メタルドールはそういうとナィンに向かって銛を突き出した。
常人であればかすんで見えるほどの速度で突き出された銛をナィンはぎりぎりでかわす。
「よし、避けられる……!」
時々気が向いたように組手をしてくれるウェイカがナィンに向かって放つ突きに比べれば、メタルドールの突きは格段に遅かった。
それでも、ナィンは自分の服が少し銛にかすってしまったことに気が付く。
だが、それもつかの間。
すぐに次の攻撃が来る。
メタルドールの振りかぶったこぶしがナィンに突き出される。
ナィンは鼻先に迫るこぶしをこれもギリギリでかわす。
銀色の筋肉男は次々と銛とこぶしを突き出すが、ナィンはそのことごとくを躱した。
これならいける。ナィンはそう確信した。
次、メタルドール野郎がこぶしを突き出したとき、隙が生まれるはず。
その時を逃さない。彼はそう決心する。
「チョコマカト……!」
銀色の筋肉男はこぶしを振りかぶった。
ナィンはその隙に自分のダガーが刺さった砂浜に駆け出した。
ダガーを拾い上げ、振り返った時。
ナィンは自分が蟻地獄にはまってしまった蟻のように抜け出せない罠の中にいることに気が付いた。
「バカメ!」
銀色の筋肉男は彼の目の前に立っていた。
銛を構えたメタルドールは世にはびこる残忍をすべて集めたかのような表情を浮かべていた。
「くっ!」
ナィンは銛の挙動を逃すまいと目を見開いた。
だが、彼の目は銛の軌跡を捉えることができなかった。
銛はナィンの腹をあっさりと貫いた。
ナィンは突然口にせりあがってきた血の味に驚いた。
彼の腹から赤い液体が滴り、砂浜の白を赤く染める。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ナィンはダガーをめちゃくちゃに振り回した。
だが、狙いを定めない攻撃をメタルドールが避けられないはずもなかった。
すべてをことごとく躱され、彼のダガーを握った手をメタルドールに捕まれてしまう。
「あっ……!」
強靭な筋力を持ったメタルドールに腕をつかまれ、ナィンにできることはもうなかった。
必死でメタルドールから離れようとしても、返しのついた銛から逃れることは容易でなかった。
加えて全身を駆け巡るアドレナリンでは打ち消し切れない痛みが彼を襲っていた。
「やばい……。やばい、やばいやばい!」
メタルドールの嬉しそうな表情が現状の深刻さを物語っている。
メタルドールは口を開ける。
一生、生え変わり続けると言う鋭い牙がナィンの視界に飛び込む。
牙はナィンの首を狙っていた。
強烈な力で引っ張られたナィンはなすすべなく首筋をメタルドールに差し出してしまう。
メタルドールの牙がナィンの皮膚を少しばかり傷つけた時。
――一刀。
肉と金属が同時に焼かれ切れる音が聞こえた。
「セシィア……」
「何やってんだ、ナィン!
そんな、酒塗ってない武器じゃ何の意味もねぇって分かってんだろ!
さっさと、酒を塗れ!」
「わかってるよ! くそっ!」
ナィンは腰に下げていた小さな鉄製の水筒を取り出す。
蓋を開けた瞬間、ナィンは全身を水筒から必死で遠ざけた。
「うっ……。くそっ、なんであいつら、こんなものを塗らないと殺せないんだ……」
ナィンは強烈な気持ち悪さを感じる。それでも、何とか水筒をダガーに傾ける。
「おえっ……。くそぉ……。なんで僕は下戸なんだ……」
ダガーは真白のラインを浮かび上がらせ輝く。
ナィンは息を止めながら水筒の蓋を閉じる。
「……大丈夫か? 三年間、毎日酒を飲んでは吐いてたんだ。やっぱり、お前に酒は……」
セシィアは心配そうにナィンの顔を覗き込んだ。
ナィンはその顔を直視する。
真っ赤なルビーのように輝く瞳がすぐそばにあった。
彼は自分のほほが上気するのを感じて顔をそむける。
「……うるさいな。大丈夫だよ。さっさと行かないと被害が広がっちゃうだろ!」
セシィアはナィンの様子を見て首をかしげながらも、立ち上がるとナィンの目の前に手を差し伸べる。
「そっか。それなら、立て。
ナィンにとっては初めての戦場だ。
生まれたての小鹿が立ち上がるのに一度は失敗するように、最初の戦闘は絶対うまくいかない。
まずは生き残ることを最優先に考えろ」
ナィンはセシィアの手を取って立ち上がる。
セシィアの手は少し汗ばんでいて、それでいて固く引き込まれてしまいそうなほどの力強さを感じた。
「……ごめん」
「こういう時はありがとうだぞ。弟よ!」
にこにこと笑いながらセシィアにデコピンを当てられ、ナィンは反省とも喜びとも悔恨ともとれる複雑な表情を浮かべていた。
「……ありがとう」
セシィアは少し不満げに口をすぼめると自分のまつげを少しいじりながら、ぼそぼそとつぶやいた。
「そこでお姉ちゃんって言ってくれると最高なんだけどな」
「……ふん」
ナィンはセシィアの横をすり抜け走り出した。
次こそは。彼は心のうちに秘めた決意を新たに戦場へと走り出す。
「クジラだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
軍人の号令係の声が響き渡る。
セシィアとナィンは砂浜の海岸線の奥、人が住む世界と海を分ける境目である『海の壁』。
海の壁は薄い皮膜を張る技術を持って海と空気を分けている。
この被膜は海と空気以外の存在の出入りを拒まない。
ドームの中腹からメタルドールの何十倍もの大きさのクジラ型メタルドールが三体も現れる。
クジラの鼻先には海狩人の男がへばりついていた。
海の壁から海中へと突入しクジラと戦っていたのだろう。
クジラの強烈な力によって男は海から砂浜を飛び越え市街地へと飛んで行ってしまった。
ナィンは思わずその男の行方を目で追いかけてしまう。
「セシィア!」
「気にするな! 海狩人は体が丈夫だ! あの程度じゃ死なねぇよ!」
ここは海底都市バンクイッシュ。
水中に空洞を作る過去の技術によってつくられたドーム状の空洞、その中に集められた人々。
ドームは五十万人分の住居を用意できるほどの広さを誇っていた。
普段ならドームの天井、その奥にはたくさんの魚たちが泳ぎ回り、文献にあるような満点の星空のような幻想的風景を作り出してくれる。
しかし、今は闇に包まれている。
海と海底都市の境界面から突き出す潜水艦のように現れたクジラは自分が通過した場所を海にしながら街の方へと進む。
蛇が砂地に自分の進んだ跡を残すかのごとく、クジラは空中にその痕跡を海として残す。
巨大な体躯を悠然と動かすクジラは眼下にいる軍人やメタルドールを見ると、すぐにその方へ泳ぎ出す。
セシィアはその様子を見て舌打ちする。
「くそっ。どうして海の壁は出入り自由なんだ!
外からの侵入を防いでくれればいいものを!
昔の人間どもはどういう考えをもって海の壁を作ったんだよ!」
だが、セシィアの言葉をナィンは全く聞いていなかった。
「クジラ……?」
ナィンは全身がカッと熱くなるのを感じた。
以前、自分を食おうとした敵。
だが、それだけでこれほどの激情を持てるものだろうか。
突然、ナィンの視界は真っ赤に染まった。
景色が変わる。
クジラどもの一挙手一投足に対して数値的な必然性が感じられるようになっていた。
ナィンの口は真一文字に結ばれ、ダガーをぎゅっと握りしめる。