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二人のカラス

作者: しし



 どこかの町の廃れた繁華街。そこは人も動物も見る影はなく、ただ砂嵐が吹き抜けていた。地面にはゴミが大量に散らばり、かつてのなごりが残ったような大きな看板文字もメッキが剥がれ、何を書いていたのかも分からない。たまに客が来たと思うと白色トラックが周りを見向きせず一直線に素通りするだけ。誰も寄り付かなくなったこの土地は、無人の薄気味悪さからゴーストタウンと呼ばれるようになった。

 この物語はこの町が「亡霊の町」となってからおおよそ1年の月日が経った頃、二羽のカラスが同時にこの寂びた地に舞い降りた時の話である。




空中に一羽のカラスが飛んでいた。ただ延々と目の前を走るカラスの像はどこか寂しげな表情をしていた。




 本来ならば風景が瞬く間に変わり、それを私はいつも通りの景色としていただろう。だが、今見ている景色は代わり映えのないまるで延々と同じ場所をぐるぐると回っているような感覚に侵されてしまう。


 ここは綺麗に澄んだ海の真っ只中に位置する場所だ。とても美麗な風景で見る人をみとれさせる魅力を備えている。観光をするのにも、もってこいの場所である。

 ただ、美しさが保たれるのは短い時間の限りであって、何時間も延々と眺めていては、どういった状況であれ飽きてしまうことは明白だろう。


 いつもなら、仲間共と暑い暑いと愚痴を言い合って、それを暇つぶしにでもしているのだが、今はたまに聞こえる荒々しい波の音だけが唯一の救いという心細い状況だ。

 どうしたものか、と考えてみるが何も打開案は思い浮かばない。やはり、ここまで飛び出してきたのは間違いだったか。そんな思念が頭をよぎらせる。


 ふと、左右の景色を見て気分転換しようと焦点を合わすと、右斜め前方の遙か遠くに地の色が、かすかだが確かに見えた。ここから見える大きさの限りでは島と見て間違いない。考え込んでいた間にかなり進んでいたらしく、島の見張りを怠っていたのだろう。歓喜の声を上げる間もなく、突飛に翼を素早く動かし一人のカラスは空を駆け抜けた。



 やはり自身の視界に写ったものは幻ではなかった。たった一つの島は近づく度に大きくなり、段々とその姿を見せている。注意深く見てみると、どうやらカラスはともかく人間などの生物すら何もいないようだ。遂に私は島の端まで辿りつき、沿岸へと着地した。飛行中に見た限りでは島の形は意外と大きく、建物も以前人が住んでいたと思えるほどあちこちに建っている。


 私は街の隅から古びた街道をジロジロ見ては移動しそれを繰り返していたが、やがて一つの箱を見つけると突然急降下して地に降りた。足をせわしなく動かす私の視線の先には汚れた青いゴミ箱があった。私はくちばしを器用に動かし、ふたを払いのけて開けた。そこには生ゴミが入っていた。


 その瞬間風を切るような聞き慣れた音が段々と大きくなっていく。反射的にちらりと見ると、そこには自分の同種と呼べる存在がいた。つまりカラスだった。

 彼も私と同じように翼を折りたたみゴミ箱の溝に着地した。やせ細った体つきに私とそっくりな容貌はまるで自分を見ているようだった。そして彼は視線をこちらに移して不意に口を開いた。


「こんにちは。」

 そして私も、

「ああ、こんにちは。」

とだけ言った。軽い挨拶の後、長い沈黙が続いた。私はできるだけ目を細めて立ち、何も考えないようにした。そのうち彼が、私の方を向くと、

「一つ聞いてもいいかい?」

とおどおどした声で話した。私はぶるぶると体を震わせながら彼の目を見張り少しばかり驚いた。私も彼に対する疑問が頭に浮かんでいたからだ。コクリと頷くと彼はそのままの口調で続けた。


「僕は、今死んでもいいと思ってるんだ。誰もいないここで死ねるならそれでもいい。でも最期に聞きたい。君はどうしてここにいるんだい?」

彼はすらすらと、さもそれが当然のように呟いた。私は少しの間動揺して彼への応答にためらいを見せた。ここに来た理由は出来れば誰にも言いたくないものだし、武勇伝でも無いただの一人の無謀な決断だったからだ。


 それでもこのカラスには何故か自分のことを言いたくなった。このカラスも自分と同じような、そんな気がしてならなかった。だから――。

「やっぱり、だめか――」

「私が居住していたのはここから東の方角の人間の街だ。まずはそこであったことから話したい。他愛ない話だけどそれでもいいか?」

話をむりやり遮った私を見たまま彼は一瞬きょとんとして、笑顔になって呟いた。

「ああ、いいよ。」

 私はそれから過去の記憶を探り話し始めた。




「私はある町に住んでいた。そこはゴミが町一面に散在して、ずっと食べ物に困らない優雅な暮らしだった。人間も少なくカラスが住むのにはうってつけな場所で、まさに理想郷であるべき場所だったんだ。

 しかし、そんな幸せは嘘みたいに崩れた。人間共は町一帯を町おこしだといって新しく作り替えた。その後の私の住み家はひどく変わり果ててしまった。環境保護という名目で、道ばたにあったゴミは全て消えた。常連の店の盛り場であったゴミステーションでさえプラスチックケースに覆われて、つっつくことしかできなかった。

 それからあの人間共といったら、鳩や雀にはパンくずの一つや二つやるくせに私達を見ただけで鋭い目つきで睨むんだ。いやそれはまだいい方で、ひどい時には石を投げたり襲ってきたりする。…今思い出しても腹が立ってきたよ。」

 私はゴミ溜めを見ながら早口で続けた。


「私のつがいは数ヶ月前に亡くなった。死体はゴミステーションの横に吊されてあったから、殺ったのは人間だ。私は歯を食いしばりながら必死に生きた。生きるためなら何でもしようと、カラスでチームを作って集団で人間の食べ物を横取ったりした。そして、チームのトップまで上り詰めた。……けど、結果は何も変わらなかった。」

話し声は少しずつ大きくなって、自分の言葉が自分の心へと刺さっていく。


「私がどんなに頑張ろうとも、社会は全く変わらない。そう思った時自分の心の中である決心がついた。この町を出よう、と。これは私の仲間には伝えていない。危険な旅に付き合わせる訳にもいかなかったし、私も一人になりたい節はあったんだ。その結果が……これだけどね。」

私は恥ずかしそうに目を細め、はにかんだ。自分の失敗をごまかすために。


「でも、ここなら食料はありそうだし、住むところにも困らない。君の仲間をこの島に連れてくれば少しはましになるんじゃ?」

彼の必死な提案は、しかし暗然たる現実によって押しつぶされた。


「残念だがそれは無理だ。ここまで体調良好な私が来るのにも精神・身体共にぎりぎりまで追い詰められて、あわや死ぬところだった。他全員を連れてくるのは体力的に無理がある。それにここは食べ物はあるが、生物がいない孤島だ。食料は摂取すれば当然減っていく。この島で過ごすにはいつか限界がくるだろう。結局私に出来るのは、息苦しい環境で一生の終わりを待つことだけだ。」


しんみりした空気が二人の周りに広がった。こうして理由を綴ったが、心が晴れることはなくただ時間のみが過ぎていく。再び長い沈黙が二人の間をゆるやかに流れた。そういえば、彼は一体何故この島に来たのだろうか。考えていると、私の思考を読み取ったかのように隣人は自ら言動した。


「あの、僕も話していいかな?ここに来た理由。君の話を聞いてると打ち明けたくなっちゃってさ。ほんの愚痴みたいなものなんだけど。」

 二度目の動揺が心臓の鼓動を遙かに速く鳴らした。頼りない苦笑いを浮かべている彼の姿が私には誇らしく見えた。太陽はいつの間にか45度まで傾き相変わらずの煌めきを灯している。時間はまだ十分にあるはずだろう。

「ああ、君のことは私も聞きたかったんだ。教えてくれ。」

 了承の意を述べると肩の力を抜き彼の方に体を向けた。彼はゆっくりと目に魂を宿しきれいな佇まいを見せつけるように両足をピンと張っていた。




「僕の故郷はここから西の遠くにあるすごく美しい町だ。道にゴミが捨てられているのなんて日常茶飯事で,ゴミの山が置いてある事なんかもあった。僕は一度死にかけたことがある。同じカラスのやつに食べ物を奪われて、飢餓状態になって……本当に死を覚悟したよ。でも、そんな時一人の人間が僕の目の前にリンゴの食べ残しを置いてくれたんだ。必死に食い尽くそうとする僕を見て笑っていた一人の男だった。多分嘲笑なんだろうけど、それでも嬉しかった。僕はまだ生きられたんだって。」


 彼は微笑ましく自分の過去を言葉を紡ぎ出して語っていた。私はここまで彼が何故はるばる遠くからやって来たか、理由を全く話していないことを疑問に思ったが、それは一瞬のうちにかき消された。彼は足の爪を器用に動かし、こちら側に背を向けた。


 そこには白い斑点がある。直径は米の幅ほどで、その数は三つ。三角形の頂点を結ぶように配置された点は、注意して見なければ何がついているのか全く判断できない。

「背中の白い点々が見えるだろう。これは僕の生まれながらについていたものさ。別に何も害はない。けど、これを同じカラスの奴は、嘲け笑ったり、冷やかしたり、周りに変な噂まで流した。あいつは白い模様だからカラスの恥だとか、あいつの家族はカラスじゃないとかありもしないことを言いふらしたんだ。それから、嫌がらせは刻々と行われた。僕が力が弱かったことを理由に集団で暴行されたりして、そしてその数は日に日に増えていった。」

 彼は続けざまにゆっくりと喋っていた。その顔には悲壮な表情が窺える。


「ある日僕の一番の親友だったカラスがそのグループに混じっていたんだ。さんざん傷つけられた後、場を去って行く親友のカラスに、何故君はそのグループに混じっているんだって心を込めて聞いた。そしたら、なんと言っていたと思う?

 ごめん、本当はしたくないけど仕方ないんだ、だってさ。その時僕はこの町を出ようと決意したんだ。枷なんて何もなかったよ。悲しいことにね。」

 彼は大きく息を吸うと、大声で鳴いた。何度も何度も繰り返し鳴いていた。私はそれにつられて、気がついたら口を開け大きな声で鳴いていた。

 二人のカラスの悲痛な叫びは島中に交互に響き渡った。傍目から見れば無感情な騒音は、この二人にだけは無限を奏でるオーケストラに聞こえた。




 荒い息づかいと共に二人の鳴き声は消え、辺り一面は綺麗に静まりかえった。先ほどまでびゅうびゅうと吹いていた砂埃は知らないうちになくなり、空にあった太陽は既に地平線の向こうにある。左側から差し込む美しいオレンジ色は、皮肉にも黒色の羽毛によって吸い込まれ輝きを失った。二人はゴミ箱から飛び、木でできた屋根の上に着地して揃って夕焼けを嗜んでいた。


「僕もう帰るよ。両親が心配するといけないし、それに逃げたって仕様が無い。君と話せて良かった。ありがとう。」

口火を切った彼はとても穏やかな顔をしていた。翼を勢いよく動かすと、全体重をのせて飛び立ち、島を後にした。


「待ってくれ!」

突然私は瞬間的に叫び、彼を引き戻そうとした。何があったのかと彼はUターンして戻ってくる。彼が尋ねる前に私は精一杯の勇気を振り絞り言葉を発した。

「なあ、私たち一週間だけ入れ替わらないか?」

驚愕した表情はまさに理解不可能といった顔だった。


「いやいや、無理だよ。僕たち似てるっていっても口調も違うし、お互いの状況だって把握できてない。それに僕には白い斑点が……」

私は予想していたとばかりにはにかむと、自信満々で策を口にした。

「可能さ。口調は真似れば何とかなるし、状況は互いに教えればいい。たとえあやふやでもこれだけ時間も空いていれば記憶喪失かも、と思ってくれるはずだ。」


そして、私はいきなり後ろを向いて尾を彼に見せた。彼は少し驚いた表情で、

「君にも白い斑点があるんだ……。」

と言い漏らした。

「どうだ?ここまでタネは揃っている。決めるのは君だよ。」

私は大人ぶった言い方で彼の返事を催促した。彼はふーっとため息をついて、最後に一つだけと私に質問した。

「君はその白い斑点のせいでいじめられなかったの?」

「ああ、全くなかったよ。」

「それはどうして?」

数秒の沈黙の後、私は迷わずこう言った。

「皆が、いや私が生きるのに必死だったからかな。」


さっきの驚きより数倍驚いた顔をして、彼は私を長い間見つめていた。空白の時間、張り詰めた空気が体中を襲った。そのうち、目を閉じたと思ったら、いきなり見開いてそして言った。

「やっぱりいいや。僕は僕の生きる道がきっとある。だからまだ頑張ってみるよ。」


私はふふっと笑い覚悟の目をした彼に素直に感心し、そして疑問を抱いた。弱気な態度から来る強い意志は一体どこから生まれてくるのだろうと。

 少しばかり考えるが、やはり結論は毛ほども思いつかなかった。ただ一つ、彼の雄大な心は、町をはるばる越えた未踏の地であっても揺るぎない自我を持っているという事実だけが私の心の中に深く残った。

「じゃあもう行くね。またいつか会う日まで。その時を僕は楽しみにしてる。」

彼は口角を吊り上げて見せると、西の方角へ一目散に飛び去った。

「ああ、また今度会おう。」

力一杯の声で彼を見送ると、私も島に背を向け反対方向へと飛び去った。


 途端に辺りが暗くなり、私の目の前を暗闇が覆った。周辺は闇に溶け込み、周囲の状況が全く分からない。でも、たとえ見えなくてもこのまま進んでいけばきっと帰れる。きっとまた……。

「そうだ。きっとまた会えるさ。」




 空中に一羽のカラスが飛んでいた。そのカラスはどこか嬉しそうで、けれどもその姿は誰にも分からなかった。

ここまで読んで下さりありがとうございました

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 最近私もカラスを主人公にした〈寓話〉を書いたので、親近感を感じて読みました。 それぞれの人生(いや、カラス生ですね)によって、それぞれ故郷から離れた異郷の地で出会った二羽のカ…
2018/12/23 20:06 退会済み
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